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猫のもみちゃんへ

今、もみちゃんには何が見えていますか?
虹の橋を渡って、無事にお空へ行けましたか?
もしかしたら、もう生まれ変わっているのかな?
もみちゃんに会いたいです。


もみちゃんに初めて会ったのは、4年半前くらい。
庭に痩せた地域猫がやって来ました。
何かあげてみようかと、かつお節をお皿に入れ、庭に置き、様子をみました。
すると、美味しそうにかつお節を食べました。
その日から、毎日もみちゃんは庭に現れるようになりました。
実家で猫を飼っていた主人が、
「今度、猫エサを買ってきてあげてみよう」
と言い出し、早速、買ってきた猫エサをお皿に出し、庭へ置きました。
すると、とても美味しそうに食べました。

その日から、もみちゃんは毎日、庭に来るようになりました。
餌も毎日、出すようになりました。
主人が、
「こんなに毎日来るようなら、うちをあてにして来るのだろうから、餌をあげ続けよう」
と言いました。

もみちゃんは去勢手術のされている猫で、切られている耳(さくら耳)の方をネットで調べたところ、メス猫ということが分かりました。
そして、名前もつけました。
名前は子供がもみじがいいと言い、私達家族は
「もみちゃん」と呼ぶようになりました。
もみちゃんは茶と黒のキジネコで、手足が短く小さめで、顔の怖い猫でした。

そして、餌をあげ続けていた数日後、子供と私は衝撃的な場面を目撃する事になりました。
庭にいたもみちゃんが、痙攣を起こしました。
横に寝っ転がりながら、ガタガタと震え、それも激しく、おしっこを漏らしながら、なおもガタガタと震えています。
子供と私はその衝撃的な光景に、どうすることも出来ずに、二人で泣いてしまいました。
何とかしようにも、何も出来ない。
おそらく、もみちゃんは痙攣をもって生まれてきた猫なんだろうと思います。
私は猫が苦手でした。触ることも出来ません。

痙攣を起こした直後、もみちゃんは相当の体力を消耗するようで、しばらく動けないようでした。
ただ、動けるようになると、痙攣の消耗を餌を食べることで打ち消すかのように、いつもの倍くらい餌を食べました。
それだけ、痙攣というのはダメージと消耗があるのだろうと思います。

もみちゃんはとても怖い顔をしています。
けれどそれは、痙攣のせいなのではと思います。
痙攣を起こすから、険しい顔になってしまったのだろうと思います。
ネットで猫の痙攣について調べました。
すると、栄養状態が良くなると、痙攣の回数も減る場合があると書いてありました。

うちは主人と子供は猫好きです。
ですが、住まいが賃貸の為、飼うことが出来ません。
家族と話しをしました。
その結果、もみちゃんがうちに居付いてくれている間は、飼うことは出来ないけれど、餌は切らさずにあげ続けようという事になりました。

ご近所のやはり地域猫ちゃんに餌を出しているお宅へ、もみちゃんのことを聞いてみると、どのお宅もそういう猫は来ないとのこと。
だとすると、もみちゃんはうち以外には行っていない。とても用心深い猫ちゃんなので、それも納得出来るなと思いました。
ならば、なおさら、餌を切らす訳にはいきません。

それから4年半近く餌をあげ続けました。
うちはよくキャンプへ行くので、家を空ける時には多めにお皿に出すようにしました。

お天気の良い日は玄関前で日向ぼっこをしながら、お昼寝をするもみちゃんを良く見かけました。
この4年半の間には、用心深いもみちゃんが、唯一心を許した、トラちゃん(子供が命名)と昼間、一緒に居るところも良く目撃しました。
もみちゃんが大好きで追いかける猫、ゆりちゃん(子供が命名)から逃げるもみちゃんを目撃したり、時には酷い痙攣をまたも、目撃したり。

とても用心深いねこちゃんでしたが、餌を出す私には少しだけ心を開いてくれたのか、まばたきやサイレントミャーをしてくれる日もありました。
私が買い物から帰ると、道の方を向いて帰りを待っていてくれる日もありました。

もみちゃんの痙攣は日に日に回数が減り、月に数回目撃していた痙攣は月に一回くらいになっていきました。
それは私達家族にとって、とても嬉しい事でした。
酷い時には道の真ん中で痙攣を起こし、動けなくなっていたもみちゃんを主人と子供が偶然発見し、抱いて家の前の安全な所へ移動させた事もありました。
そんなもみちゃんも4年後くらいには、だいぶ毛並みも荒れ、元々、若い猫ちゃんではなかったので、更に歳を取ったように見えました。
そして4年半くらい経った頃、毎日、庭に居たもみちゃんの姿が見えなくなりました。

猫は亡くなる時、人間から見えない所で死んでいくと聞いた事がありました。

それから、私は、また会えるんじゃないか、今日は会えるんじゃないかと、毎日毎日、もみちゃんの姿を探しました。
けれど、一週間経っても、三週間経っても、一ヶ月経っても、半年経っても、もみちゃんは現れませんでした。
いつか、亡くなる事は心のどこかで分かってはいました。けれど、私の中では、ずっと庭に居てくれる存在のような気がしていました。

悲しいけれど、もみちゃんが居なくなったこと、虹の橋を渡っていったことを受け入れなければいけない時なのかもしれません。

ご近所の方が言って下さいました。
もみちゃんは、つむぎさん御一家がいたから、きっと、4年以上も生きられたのよ、と。
それは何よりにも代え難い言葉でした。

もしも、もみちゃんに言葉をかけるとしたら
「本当に良く頑張ったね」です。
しんどかったよね、けど、4年半本当に良く頑張った。

私達家族はもみちゃんに出会えて本当に幸せだったよ。猫の苦手な私がもみちゃんにだけは心を開く事が出来た。もみちゃんへの餌やりは痙攣を軽くしてあげたいという気持ちと、使命感みたいなものをもってやってきました。けれど、それが結果に繋がって、もみちゃんの痙攣の回数を減らす事が出来た。
それが何より嬉しかったよ。

もみちゃんに会えなくなってしまったのはとても寂しいことだけど、もう、痙攣に苦しまなくて良くなったのだとしたら、私達家族は本当に嬉しいです。

もみちゃん、うちの庭に来てくれてありがとう。
もみちゃんに会えてしあわせでした。
もみちゃんのことはずっとずっと忘れないよ。
ありがとう、もみちゃん。

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