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命の大切さを考えた日

今日は、おばさんの家に行きました。
さつきちゃんの遺影を前に、
「やっと来れました」と言いながら、
手を合わせました。

久しぶりに会ったおばさんは、いつもより元気がありませんでした。
それでも、私達を優しく迎えてくれました。
おばさんと色々話しをしました。
娘のさつきちゃんのことを
「治ると思っていたんだけどね、けどね、病気の進行が早くてね」と話してくれました。

生前、さつきちゃんが、ずっと闘病ブログを書いていたことは聞いていました。
それをさつきちゃんのご主人が本にしたものを
今回、私は見せてもらうことが出来ました。
開いてすぐに、号泣しました。
そこには、病気のこと、治療のこと、残される人たちに向けて書かれた言葉。
それから、感謝の言葉の数々が綴られていました。

おばさんは、その本を「私は見れないの」と言いました。
見れないおばさんの心情を思ったとき、
私は心にチクチクと針を刺されているような感覚になりました。
娘に先立たれてしまったおばさんの気持ちを考えました。
気持ちのやり場がないという言葉が頭に浮かびました。
いいえ、言葉なんかでは、表現しきれない深い悲しみの中にいるのだろうと思います。
数日眠れない日もある。
ずっと泣いてしまう日もある。
そんな日常だということを話してくれました。
私は話しに耳を傾けることしか出来ませんでした。
聞くことしか出来ませんでした。
私は無力だと思いました。

今日は、命の大切さについて、考えています。
生きている人は生きられなった人の分まで生きなければいけないと思わされました。
悩んでも、葛藤しても、子育てができることに感謝をしなければいけないと思いました。
子育てをしたくても出来なかった人がいたということ
見届けたくても子供の成長を見届けることが出来なかった人がいたということを忘れちゃいけないと思いました。
だから、私は一生忘れないでいようと思います。

生きられる今を噛み締めながら
生きていきたいと、今日改めて思いました。


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