畳コーナーを小上がりにする理由は、「目線の高さを揃えるため」ではない・・・!?
家の新築にあたり、「リビングの一角に、畳の小上がりが欲しいんです」という人は多い。
「戦前の床座」から「戦後のLDK」に生活様式が変化してなお、ゴロンっと寝転がれる畳の空間が欲しいという要望は途絶えない。
ところで、「小上がり」とは、「ちょっと床が上がっている」という意味である。
なぜ小上がりである必要があるのだろうか。
腰かけて足を下ろしたいから?
下に引き出し収納をつくりたいから?
…確かにそれも理由のひとつだと思う。しかし、もっと本質的な理由があるようにも思える。
今回はその疑問の本質を深掘りしていきたいと思う。
日本人が床に座り続けた理由
日本建築史の第一人者である東京大学教授の太田博太郎氏はその著書の中で、床に座るという日本人の生活スタイルの起源について次のように言及している。
まとめると、以下のとおり。
どの国の人々も、最初は床に座っていた
人々は湿気から逃れるため、イスに座り始めた
それは、貴族が奴隷に地位を示すためでもあった
一方、日本の貴族は高ユカの家に住むことで湿気から逃れていた
さらに、権威を示すこともできた
湿気は物理現象の話で、身分・権威というのは人間の心理的な話。
現代の日本の家は高ユカ(地面から50〜60cmくらいの高さ)で湿気対策はある程度確立されているから、「ちょっと高い床」に座りたい理由として重要になってくるのは、後半の心理的な要因であろうと思う。
もし「フラットな畳コーナー」だったら…
例えば、飲食店の「座敷」席。
あれは必ず小上がりである。
もし座敷席がフラットだったら。
地べたに座っているすぐ脇に、カウンター席に座っている人の足があったら…。
ここでのポイントは、「同じ床の高さで、すぐ隣にイスやソファに座っている人がいる」という点だ。
貴族と奴隷とは言わないまでも、やはり「心理的格差」が生まれる。
イスに座る人と床に座る人が共存する空間を考えるときは、やはり床の高さの違いを意識しなければならない。
これは畳コーナーを小上がりにしたいという日本人の潜在的な理由のように思える。
重要なのは「目線の高さ」ではなく「床の高さ」
こういった話をすると、
「知ってる知ってる。目線の高さを揃えることが大事なんでしょ?」
という声が聞こえてきそうだが、それは合っているようで少し本質的ではないように思う。
重要なのは、目線の高さを揃えることではなく、床の高さが変わることで空間の質が変わるということだ。
例えば最近流行りの「ダウンリビング」は、リビング空間の床面をキッチンやダイニングの床面よりも1〜2段下げて、逆に目線の高さを低くするというもの。
これはこれでアリ、というか居心地の良さとして成立している。
床の高さや素材が変わることで空間の質が変わり、なんとなく「ここはくつろぐ場所なんだな」と感じるようになる。イスに座るダイニング空間とは異質なので、共存していてもあまり気持ち悪さは感じない。
(なおこのダウンリビング、計画にあたっては他の空間とのつながりや窓のとり方、一体的な家具の計画などが重要になるので、設計士のプラン力とやる気が問われる)
もちろんフラットな畳コーナーがダメというわけではない。
最近もっぱら使われるようになったロボット掃除機でシームレスに掃除できるし、段差がないことで躓く心配がないというメリットもある。
ただ、一般的にフラット畳に言われるデメリットで「小上がり畳よりもインテリア的に難易度が高い」というのは、まぁそれもあるかもしれないけれど、本質的ではないなと感じる。
(なお、メインのリビングやダイニングの空間自体にフラット畳を採用することもあるが、本記事の要旨とは少しズレるため、そこには言及しない。今回はあくまで「付随する畳コーナー」の話)
まとめ
床の高さを変えることは、日本人にとって気持ちを切り替える仕掛けであると思う。
玄関で客人を迎え入れるときに「上がっていってください」というのもその気持ちの表れの一つだ。
何気なく気軽に要望しがちな畳コーナーだが、そういった本質的な居心地に影響する人間の心理を理解することで、住み始めたあとに「なんか居心地悪いな…」ということを防止できるのでは、と思う。
少しでも読んでいる方の家づくりのヒントになれば、嬉しいです。
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