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子どもにとって「良い」とは。真剣な眼差しを引き出せる場づくりの必要性。

どうも。「いそいそ」と申します。
平日毎朝投稿の10日目、子どもたちと外でたわむれる仕事のおかげで、いい感じに日焼けしてきました。

僕は25歳になりましたが、2023年6月現在、独身です。ただ、仕事柄、毎日子どもと関わります。
その中で最近、「あれ、これって子どものためになっているのかな」と思うことが増えました。

良い教育環境、良い指導法・・・それって全部大人の目線なんじゃないのかな?
そんな疑問を持ったことありませんか?


子どもに良いってなんだ

楽しく、自由に、自然に近い、教えない・・・こんなフレーズがついた教育サービス・施設が最近増えた気がします。
体罰や詰め込み教育、勝利至上主義などの前時代的な教育からの転換なのでしょうか。

それはあくまで、大人になった僕たちの視点。子どもにとって「良い」は子どもにしかわからないのではないでしょうか。

だからこそ、大人ができることは、子どもが前向きに参加してくれそうな場をつくることだと思います。

子どもの笑顔が大事なのか

僕も子どもにサッカーを教える時は、サッカーを楽しんでもらうのを意識しています。なかなか、集合したりルールを聞いたりすることが難しい子もいますが、ある程度自由にボールを蹴ってもらおうと考えています。

一方、Jリーグのジュニアや欧州クラブの下部組織の映像を見ると、同年代の子どもが真剣な眼差しでサッカーに取り組んでいます。指導者の話を聞き、お互いに指示を出し合う。セレクションに合格したり高い月謝を払っているのだからそれも当然なのか、8〜12歳の子どもたちが「チーム」になっているのです。

果たしてどちらが「良い」のか。確かに、僕の指導するクラブには笑顔が絶えません。
プロクラブの下部組織は子どもにとってつらい練習もあるかもしれない。けれど、真剣だからこそ、勝利を目指すからこそ、上のカテゴリーを目指すからこそ、「楽しい」「良い」と言えるのではないでしょうか。

子どもの意思を知ること

結局、大切なのは子どもの意思に沿った場所や教育なんだと思います。一人一人求めているものも違う。僕ら大人は、しゃがんで目線を合わせて子どもの話を聞く、これくらいのことしか本来できない気がします。

スポーツも勉強も、真剣だからこそ楽しいし、本当の意味で笑顔になれる。一方、子どもは大人の道具ではない。言うことを聞かせるために怒鳴ったり、縛り付けたりしても、楽しくないし、成長しない。

大人の考える良い場を与えるのではなく、子どもが何を望んでいるのか、本当はどうなりたいのか、それを読み取る、あるいは湧き上がるような場をつくっていくのが大切なのかなと、教員でもないのに考えています。



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