40暇話8・自動車が好き
私は幼児の頃から、自動車が大好きである。しかし,今、自動車メーカー各社が作り出すのは、機能と性能と設えで、個性を主張するべき自動車も白塗り電気製品様になってしまった。そんな自動車には全く興味は無くて、欲しくもないし興味も涌かない。
下の画像は、私が耕作する圃場の地域の村落内に住む、電気工事店のご隠居さんが所有していたスバル360を譲ってもらって、車検整備に出す時である。長く不動状態であったので、掛かる整備費用は覚悟していたが、意外にすんなりと走れる状態に戻った。しかし、車の程度が良くなくて、水平が保てない車。ご隠居さんが入手する以前に事故を起こしていたようで、シャーシを持たないモノコック構造の車では、走行性能に影響を及ぼす致命的な捩れと床に前後方向に縦割れを発見できたので、早々に、手放した。でも、損は無く、少しの利益が生まれる値段で手放した。
《イタリア車を所有する》
イタリア車を所有する最初の車は、フィアット・クーペ。友人が度重なる故障の対処に疲れて、無償譲渡を喜んで受けたモノ。確かに頂戴をして走り込んだら、国産ではめったにない故障が出てくる出てくる(笑)。車検を受けて、二年間だけ乗って、売ってしまうつもりで所有した。が、無理だった。イタリア人の気質であろうか、交換する純生パーツを取り寄せた時に驚いたが、ベアリングが錆びているモノが有ったり、水濡れのシミが有ったりもした。何より、すごいのは、車の樹脂製部品が、ベトベトしてきて触れると衣服や手指に溶けて付着するのである。ディーラーで対処法を聞いたが、その答えを得る事が出来なかった。95年式前後のイタリア・フランス車の樹脂製部品の特徴ともいえる現象であるらしく、高級車やスーパーカーでも同様との事が答えであった。その車の最期は、交換して2万km迄であったが、タイミングベルトテンショナーベアリングが砕けて、タイミングベルトの駒飛びからバルブを突いてお終い。よくも、こんな車を輸入て販売したものだ。しかし、単細胞にターボの効果が生むエンジンパワーは小さく軽い車体を動かすには十分以上で凄まじく、逮捕確定で精神鑑定を受ける事になる速度までは、すぐに到達できる性能を有していた事に喜び、加速重力の影響で後方へ偏ってしまった思考回路のせいで、脳は覚醒していた。
止めればよいのに、結局、次の現所有車も、イタリア車を選んでしまい、重要構成パーツ供給に難が有る状態で、入手不可能状態のまま車検が通らずに所有を続けている。
《gtv》
V6気筒の3200ccの高出力で6速MTの、アルファロメオ・gtvを購入し現有している。前所有のフィアットに比べて品質は随分と良くなって、乗り味も落ち付いたものであるが、「今日は、バリバリ走ってやるぞ!」と思えば、先のフィアット・クーペと同じように、逮捕と精神鑑定を覚悟しなければいけない車である。必要最低限の安全装備と、虚飾の無い機能的で美しくエロい作り込みは、イタリア車の【流石】を感じる事ができる。エンジンの奏でる音が運転者には心地良いのも特徴で、謂れによると、開発段階で車内で聞こえるエンジン音の調律が行われているとも聞いたが、真偽は分からない。しかし、【ブッソーエンジン】と呼ばれるイタリア国内開発で製造エンジンは、開発エンジニアの名を与えられた名機であるらしい。この後のモデルのアルファロメオV6エンジンはクライスラーの開発とも聞く。この手の車は、自制御できる精神が無いと、所有する資格はない。ドイツ製高級車やスポーツカーを操る方々に少しはその気持ちを植え付けて、勘違いした特権みたいな精神構造をポンコツ消防車で洗い流したい。大人しく譲り合う事でスムーズに道を流して運転してこそ、この手のスポーツカーや高級車に乗る人の品格が見えるような気がする。音で脅す事などは愚で下品極まりない。イタリア車のユーザーの一部に排気音バカが多いのには同族を愛する者として嘆かわしい事だ。
《心の余裕が有った頃》
gtvでは、とにかく暇を作っては、ウロウロしていた。機械的性能に信頼を寄せていたし、また壊れる気もしなかった。と、言えども、度々、問題を起こしたが・・・。
で、下の画像は阿蘇を見に行った時。大観峰からの阿蘇カルデラ内の眺めが好きになった。夕方の画像の場所で、撮影してみたら記念するに値する画像を得る事ができた。
元々、一人で長距離を運転するのが好きで、その理由は、同乗者に気遣う事無く、自身のペースで運転に集中して目に映るモノが夜間の移動が中心で無いので、日常や世間から乖離して、ヘッドライト光の届く範囲に対処する運転操作と目的地への道順と「さて、何を食べよう!」以外に考えていないからが理由だ。私のナビゲーションシステムは、迷えば最新道路地図をコンビニで立ち読みして暗記する(笑)。ナビゲーションシステムの音声ガイドでは、道を覚えにくいし、夜間運転で明るい画面への視点移動は好ましくない。と、言ったが、向かう目的地を道路地図で辿っても道順を理解しても、再訪する事は、余程のお気に入りの場所にならないと、ほぼ無い(笑)。
《カーグラ・・・・とかライダーズ・・・いうお節介な本等》
四輪車や二輪車を評論して、あーだ、コーダと歴史を述べて、先入観を植え付ける原料となる書籍に私は否定的である。90年代初頭にフランス車プジョー所有の時期が有ったが、褒めちぎっていたカーグラ・・・・の記事に騙された。ユーミンの旦那も褒めちぎっていた。高い買い物をして、ちっとも、心に響かなかった車だった。それまで、ホンダ・シビックSi(ワンダー)を所有していたが、機敏でスポーツカー並みに走ったし、ずぅ~っと楽しかった。
二輪誌でも同様の誌が今も有るであろうか?やたらと難しい文言の羅列で、試乗した二輪車の評価を記述する編集長に信者が多く居て、編集長が教祖的読者を多く産出していた。
そんな、自動車誌や二輪車誌の評価の影響を受けた読者やユーザーは、その評論の確認のために所有するのであろうか?私は、自動車や二輪車は自身が感じた良いという事は、いつまでも良いという感情が続く。世間の評価はどうであれ、所有者が気に入って購入し、操る楽しさを見いだせば、その所有者は、それらを大切に所有する価値を見出せると思う。
今回はここまで。
ではまた。
次は鉄道に付いて記述します。