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#10 【話術】3回は笑い取れ!

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 戻ってきました!「じゅぎょうくえすと」、今日から再開です!連投にはなりませんが、日々気づいたことを放っていきたいと思います。放っちゃダメか。

 今日のタイトルは、私がお世話になった校長先生が、若い頃に言われた話。45分の授業中、3回も笑いを取れだなんて、なかなか攻めた考えの持ち主だなーと思います。お世話になった校長先生の、さらに上の方といえば、時代は昭和の真っ只中。ゆとりにも入らない頃です。おそらく、私が小学校に入学する前くらいだと思います。その頃といえば、1、2年生にも社会や理科があったり、土曜日は午前中が授業だったり。視点をもっと広げると世の中はバブル景気に向かっていくあたりですので、ちまたには「モーレツ社員」などという流行語と共に、今では考えられないスケールで働いていた(そして稼いでいた)方もいた時代ですね。

 そんな中、モーレツに授業をするわけではなく「笑いをとれ」ですから、これは相当勇気が入ります。教育実習に行ったことがある方ならわかると思いますが、一旦関係ない話題に入ると、なかなか授業の本題に戻れないことがあります。笑いを取るためには、ある程度子どものわかる話にしなければいけないので、「3回」はけっこう難しい。

 方法論を語る前に、この「3回笑いをとる」ことの妥当性を社会科を例に考えてみます。当然ですが、私が教える小学校社会よりも、中学校や高校で教える先生の方が圧倒的に詳しい。その知識量は、いつも尊敬します。ただ、私はこれまで、「中学校で社会が好きになった」という卒業生に出会ったことがありません。ある年の学力テスト(アンケート)では、私の勤務する自治体で嫌いな教科NO.1にもなった社会科。地力が違います。

 誤解が無いように付け足しておくと、教え子の中に「中学校の社会科が好きな生徒」はいます。でも、それは小学校から好きな子たちの中から生まれます。「社会が好き」の数%と、社会科が「好きでも嫌いでもない」「嫌い」という生徒は、確実に嫌いになります。

なぜか。それは、圧倒的な内容量の違いです。

 余談を挟む隙間もないほど、中学高校の社会は知識量が半端ないのです。わからない子は余計わからなくなり、ちょっとできるかもと思っている子は、新しい出来事や地名、法律用語などを今までの知識のどこに当てはめればいいかわからないまま、用語の海に沈んでいきます。そして、社会科は点を取るための「暗記」ゲームになっていくのです。学んだ先にひたすら暗記するための作業が待っているとしたら、好きになりようがないですよね。

 しかし、私は違いました。高校の時です。圧倒的に話術が上手い先生がいたのです。高校の世界史といえば、国や地域はあちこちいくわ、年代は行ったり戻ったりするわという中身。これを実にわかりやすく、講談師のように語ってくれました。もちろん板書もしっかりする。生徒に学習のポイントも示唆する。令和の学習のように、生徒が考えたり発信したりする授業ではなかったものの、その時間はあっという間に感じられていったのです。

 ここでわかるのは、「教えることが多い=つまらない」は成立しない、ということです。「内容が多いから、つい一辺倒の授業になっちゃってさー」というのは教師の言い訳に過ぎない。どんなフィールドであれ、子どもの興味関心を引くことはできるということです。

 「3回笑いを取れ」。これは、言い換えれば「話術を磨け」ということだと思います。先ほどの高校の先生であれば、世界史をドラマ仕立てで語り、時折「次、どうなると思う?」と生徒に問うこともありました。当てられるのは大抵賢いとは真逆にいる「ちょいワル」たち。
「えー、そんなん、わかんねー。」
「そうか、じゃ、○○国滅亡だな」
「えっ、俺滅亡すんの。そりゃないじゃん!」
 とクラスが一笑い。授業内容や生徒に合わせて、コミュニケーションをとりながら授業を作っていってくれていました。授業に絡めなくとも、授業はコミュニケーションで成り立つものですから、子どもたちとのやり取りのなかで、微妙な「間」を作ったり、突っ込んだり、こちらがボケたりすることで突っ込んでもらったりと楽しい空間を演出することができます。

 「授業がうまいこと」と「話がうまいこと」は別のスキルです。でも、私は車の両輪のように思います。子どもたちが一番長い時間をすごすのは「授業時間」。その時間が楽しくなるためには、どちらも大切だと思うのです。

2023.10.3 あーる

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