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教師のリアル 〜本気の就職相談〜 7

(3.教師の仕事 担任外編の続きです。)


 前回は、私の仕事を列挙していきました。仕事の8割強が子どもと直接関わらない内容でした。それでも、私の仕事には良さがあると思います。今回はその「良さ」と、担任外が抱える問題点について記述していきます。

○担任外がいることのメリット・デメリット

【担任と管理職の「橋渡し」になる】
 多くの場合、校長先生や教頭先生は「担任」から離れて時間が経っています。担任からすると、学校運営に関して「そうじゃないんだよなぁ」という本音が届きにくい、ということが往々にしてあるでしょう。具体例をあげれば、現在教育界を席巻している「一人一台端末」です。これは、かつてなかった新しい取組で、急速に運用が進んでいます。うっかりすると、子どもの方が知識も技術も先に進んでしまいます。子どもとの接点が少ない管理職の先生は、よほど気をつけていないといけません。(「デジタルよりも、まずアナログが大事」なんて的外れなことを言っている方、いませんか?今やデジタルとアナログは共存の時代です。)また、校長先生や教頭先生からすると、学校全体を俯瞰して見ていますから、自分の経験と照らし合わせて、担任に対して「もっとこうしてほしいなぁ」という思いもあります。
 そこで、担任外の出番です。様々な会議に出ている立場を生かして、「こんな意見もあります」「こういう考え方はどうでしょう」と積極的に発信し、互いの思考の溝を埋めていくことができます。ただ、学校現場は最終的には学校運営の責任者である校長先生の判断が必要ですので、「自分が色々やってやるんだ」という考えは必要ありません。あくまでも双方に判断の元になる材料を提供する。その上で、より良い現場づくりをする、というのが大切です。

【有機的に動かないと機能不全に】
 このように、うまく立ち回ることで立場の違いから生まれる溝を埋めるのが担任外のメリットですが、職員とのコミュニケーションを怠ると「橋渡し」が機能しません。担任の先生の意見を吸い上げたはいいものの、業務に忙殺されて管理職の先生に報告・相談を怠ってしまい、「この前話し合った件はどうなったんですか?」と確認されることもしばしばありました。(この時は遅れたことを謝罪してすぐ対応できたので事なきを得ましたが。)
 また、双方の主張がよく理解できるが故に、「板挟み」状態になってうまくいかない、というケースもあります。常に「学校としてどうか」という視点を持ちつつ、担任の先生に寄り添って考え、難しい時は難しい、と言う。それが担任外の理想だと思っています。……難しいですけど。

【担任で太刀打ちできない場合の、次の一手になる】
 残念ながら、子どもや保護者の中には、なかなか対応の難しい方がいます。そんな時に、担任と連携してチームを作って対応することにより、事態が前に進むことが多いです。担任との関係が何らかの理由で拗れた子ども、保護者へ窓口となって対応することで、一種の「緩衝材」の役割を果たそう、というわけです。担任も保護者も子どもも人間です。うまくいかない相手があって当たり前。そんな時に「担任以外の先生も相談に乗りますよ」という体制は、学校にとっては間違いなくプラスに働きます。
 ここで注意すべきは、担任外の立ち位置です。子どもや保護者の学校との接点は、まず担任。「(この人への対応は)私じゃなきゃだめなんだ」という勘違いは、担任への不信を膨張させるだけです。できれば担任と同席してもらって対応するのが一番いいのですが、それが難しい場合は、やんわりと担任(や学校)の意向も伝えつつ対応することになるでしょう。大切なのは、担任とその保護者や子どもとの関係を(それ以上)崩さない、ということです。

【持ち帰りの仕事0】
 担任時代は、「家に帰ったら教材研究だな」という持ち帰り仕事が当たり前でした。また、家にいてもクラスの子どものことが気になって眠れない、ということもしばしばありました。(切り替えられない私の性格上の問題もありますね。)
 担任外になって、それが一切なくなりました。一抹の寂しさもありますが、私に取っては精神的・肉体的負担は減ったと思っています。ただ、「持ち帰ることのできる業務」がなくなっただけで、「持ち帰ることができない業務」はその分増えています。休日出勤している同じ立場の友人も多いです(何だか本末転倒な気もしますが)。それでも、家に帰って気持ちがリセットできるようになったのは大きいです。

○担任外、そして担任外を置く現場の方へ(提言)

【提言1】妥協して「担任外」にならない
 これは管理職の方にも言いたいところです。「なるつもりなかったんだけどさ」というのは正直格好悪い。自分の意思とは裏腹に、担任外という道を歩まざるを得なかった事情があるのかもしれません。また、「なるつもりがない」という言葉の中に「自分はまだ担任としてのマインドを持っているよ」という気持ちもあるでしょうか。残念ながら、それは相手に届きません。何より、選択をしたのは自分です。妥協をせずに担任としての道を貫いて退職していった先輩方もたくさんいます。それはそれで素晴らしいことだと思います。これから担任外や管理職を目指そうという方は、やはり覚悟をもって臨むべきです。そして、充実した仕事ぶりを見せることこそが、次の担任外や管理職を育てることにつながるのだと思います。

【提言2】担任として機能しなかったから「担任外」は下策
 20年余り教員を続けている中で、壊れていった学級もいくつか見てきました。様々な理由があるとは思いますが、「担任の力量不足」というケースも少なからずあります。そんな時に学校が考えるのが「直接子どもとは触れ合わない担任外に置こう」という措置です。一見トラブル回避の対応に見えますが、私は良いとは思いません。前述の通り、担任外はいわば「オールマイティ」な役割です。この策をとった時点で、その学校はオールマイティを一つ失うことになります。問題点をしっかり検討した上で担任外としては別の人材を配置し、その先生を助ける体制を作った方が、結果的に学校力は下がらない、というのが今の私の考えですが、いかがでしょうか。

 さて、担任と担任外の仕事について書いてきました。担任外については、自分が関わっているので心構え的な書き振りになったことを反省しています。次回は、少し「就職」に寄せて、教師の仕事以外にまつわることを書いていこうと思います。

2023.8.11 あーる

0.はじめに 
1.教師のお金 
2.教師の仕事 担任編 
3.教師の仕事 担任外編 ←今ここ
4.教師の仕事以外
5.おわりに

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