娘が悲しむとき

行楽日和が続く10月、 娘(5歳)の保育園でもバス遠足がありました。

今年の春に転園してきたので、今の保育園では今回が初めてのお弁当。

前の保育園と勝手が違っていてはいけないと、私は入念に案内に目を通しました。

すると持ち物には「弁当 水筒 しきもの おてふき」とありました。

見慣れない「しきもの」という一語に目が留まりましたが、

私は迷わず「レジャーシート」のことだろうと判断。

レジャーシートを自分でもっていけるなんて楽しいね、と、娘とひとしきり盛り上がりながら前日の夜は更けていきました。


そして当日。
娘は大人2人分ほどのサイズのレジャーシートを、これでもかとスマホサイズほどまで分厚く折りたたみ、小さなリュックにはちきれんばかりに押し込んで、勇んで出かけていきました。


さて、その日の会社の昼休み。
私は娘と全く同じ内容のお弁当を食べながら、今ごろ娘はどうしているだろうかと思いを馳せました。

遠足の行先は市の文化施設で、そこで娘ら園児たちは子供向けのコンサートを観賞したはずです。

お弁当はきっと、その施設内の多目的ホールのようなところで食べているのだろう。長机が並ぶ部屋で、園児たちは思い思いの席に座って…

と、

そこまでイメージしたところで、

私の脳内の「娘がお弁当を食べる図」には”足りないもの”と”余分なもの”があることに気づきました。

そういえば、お弁当の下に敷くナプキンのようなものも必要だったのでは…?

…というか、その状況でレジャーシートって必要?

そして私の疑問は一つの悲しい結論にいきつきました。

「しきもの」って、お弁当の下の敷物で、ナプキンのことだったんだ…!

あんなに楽しそうにレジャーシートをリュックにつめこんでいた娘が、お友達から「ちいちゃん、しきものはしきものだけど、ちいちゃんをしくものじゃないでしょ(笑)」と突っ込まれて、いたたまれなくなっている図まで鮮明に浮かびます。

私はいてもたってもいられなくなり、その日の午後は仕事になりませんでした。



ヌケが多いうえに切り替えが苦手な私はこういうことが多分に起こり得るので、普段の昼休み中は娘のことを思い出さないように努めているのです。(午後の仕事がおじゃんになるのでせめて夕方に思い出すことにしている)

けれど今回ばかりは、お弁当の内容が同じという強制的なトリガーが設けられていたのでどうしようもありません。
定時までがとてつもなく長い1日でした。

帰路で見えてきた保育園は、「失意に沈む娘を収めた箱」にしかみえませんでした。


そして保育園に駆け込み娘を見つけるやいなや、

私は(たぶん)異様な形相で娘に「ごめん、母ちゃん、間違ってたよね!??」と詰め寄りました。

ところが娘はいたって冷静で、

わたしのデカめな疑問文に戸惑いもせず、ー「何が」「どう」間違えていたのかを、確認することもなくー、

「ううん。あってたよ」とだけ、明るい声で一言答えました。

私のただならぬ様子に先生の方が心配して、

「あ、お母さん大丈夫ですよ。施設から保育園に戻ったあと、園庭で、みんなでレジャーシートしいて食べたんです」と教えてくださりました。

6時間分の肩の力が抜けた私でした。



そんな1日の終わり。

私は寝る前に、寝息を立てる娘の横で今日のから騒ぎを振り返っていました。

私はどうして「しきもの」にこんなに振り回されたんだろう。

もっと冷静になれたら、午後の仕事はもう少し進められたのに。

私のなかには、「あ、レジャーシートじゃなくてナプキンだったのね、こりゃとんだカン違い!」では済ませられなくさせる何かがあったんだ。



そうして私は自身の幼いころの母との関係に思いを馳せていました。

なんでもトラウマと結びつけることは主義ではないのですが、今回はとても自然にそのことが紐付けられたのです。

私が娘と同じ5歳のころ。

そのころの私にとって、この世界で起こり得る一番悲しい出来事は、
人類滅亡でもなく、近親者や自分の死でもなく、仲間外れにされることでもありませんでした。

欲しいおもちゃが買えないことでも、兄が自分のブドウゼリーを食べてしまうことでもありませんでした。

それは、

母が、私に対してよかれと思ってやったことに何か間違いがあり、

そのことで母が母自身を責めること。

5歳の私にとって、これ以上に絶望的で悲しい出来事なんてありませんでした。

細かすぎるようにも、ぼんやりしすぎるようにもみえるかもしれませんが、でもこれ以上具体化も抽象化もできず、とにかくこうとしか言えないのです。

単に母が悲しむことではなく、苦しむことでもない。「私に対してよかれと思ってやったことに何か間違いがありそのことで母が母自身を責める」という必要十分のこの状況こそが、幼い自分にとっては死よりも恐ろしいことでした。



5歳、私たち一家は父の海外赴任に付き添ってニュージーランドで暮らし始めました。

私が現地の幼稚園にはじめて行く日、私よりも戸惑っていたのは母でした。

持ちものには何が要るのか。相談できる人もいない。

日本の幼稚園の常識は通用しないだろう。

母は不安そうに、「使うか分からないけど、これ、入れておくね。使わなかったらごめんね」と言いました。母はいろんな状況を想定して、色鉛筆から文房具、自由帳からさまざまなものを持たせてくれました。

私自身は海外での幼稚園生活にほとんど不安はありませんでした。

20人ほどのクラス内に日本人の子も4~5人はいて、わからないことは彼らに聞けたからです。

「これっている?お母さんが、わからないけどっていって持たせてくれた」

と聞くと、彼らは明快に答えてくれました。

「えっそんなのいらないよ」と。

自由帳も色鉛筆も文房具も、そこでは全く不要でした。


私にはそのショックがとてつもないものでした。

園内のトイレにドアがないことよりも、Helloすらいえない初日から英文で絵日記を書かされることよりも、母が用意してくれたものが不要だったというその事実だけが、

5歳の私を打ちのめしたのです。

申し訳なさそうに私の用品を準備してくれた母の背が浮かぶ。

その母になんていえばいいのだろう。

―あまりの悲しみは恐怖に近いのだと、このとき知りました。




私は子供のころから思いやりや優しみとはかけはなれた性質でした。母に穏やかな言葉をかけたことは一度もありません。

そんな悪態ばかりの幼少の私にとって一番つらいことが、こういうこと(母が苦しむこと)であることを、母は思いもよらなかったと思います。



…そんなころの娘と自分を勝手に重ねてしまい、

娘に、あの思いをさせるんじゃないかという恐怖が、今日の午後の私を硬直させたのだと、ほの暗い和室の天井を見上げながら思い至りました。




次の日の朝。朝ご飯を食べていた娘が、昨日の遠足のときの話を急にはじめました。

自分もちょうど、昨日の午後の不穏な感情を思い出していたところだったので、
「あ、私も遠足のこと考えてたよ。いっしょだね」と伝えます。
すると娘は干してあるレジャーシートを指さして
「あれを二人ともみたからじゃない?」と言いました。きっとそうだね。

そして娘が「母ちゃんは遠足の何のことを思い出してたの?行っていないのに。」と問うので、

私はありのままに答えました。

「レジャーシートを間違えたかもしれないことを、会社で思い出したときの心配な気もちを思い出したの」と。


すると娘は米粒とのりだらけの小さな手をこちらに差し出して、

「はい。ちょうだい」

といいました。

何を?という様子で私がとまどっていると、娘は何かを自分の胸元から取り出すようなしぐさをして、また手を差し出すのです。

私が「ああ、私の心配な気もちを、ちいちゃんに渡すってこと?」と問うと、にこにこうなずく娘。

私が娘をまねて、胸当たりから何かを取り出すそぶりをし、娘に差し出します。
それは透明な、私の「心配な気持ち」です。

娘はそれを、ー具象化された母の感情をー いきおいよくくしゃっとひと丸めにして、

11階のベランダから外に向けて威勢よく放り投げたのです。




しばらくあっけにとられていた私ですが、ハッとしました。

そうだ。忘れていた。

私とちいちゃんは全然違う人間。

「あの”心配”、1階の人のお庭に落ちたらどうしようね」
なんて笑い合える時間をくれる、

ちいちゃんは、そういう人だった。

私が間違えて私を攻めたりしも、ちいちゃんが一緒にうちのめされたりなんてしないどころか、私を息のしやすい場所へ引き入れてくれる。
そういう人だ。




でも、これも絶対に忘れちゃいけない。
私とちいちゃんは全然違う人間。

私がニュージーランドの幼稚園で抱いたものと同じくらいの、もしくはもっともっと深い悲しみを、あなたは私が思いも寄らない場面で抱え込んでいるかもしれないということを。

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