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はじまる日

甚一が教室に入った時、前の学校の雰囲気は無かった。さっぱり洗い流されて、不穏と言えるような物も、ないと思えた。
こうしてリニューアルされていくのだ。なんとも言えずシンプルなものだった。細胞ってシンプルなものだなとまるで素朴に感じられたほどだった。
自分も特別な存在ではない。ここにこうして居るのは時間が運んでくれたのだ。なにを構成する部分なのか分からないが私も、はがれる日は来るのだろう。それがことさら悲しい事には思えなかった。
爽やかすぎて感傷に浸る暇もない。風を運転しているように自分は流されなかった。スポーツくらいは気楽にやれる学校にした。
みんなのまえで運動するのが嫌でなきだす子は居ない。そういうこのめんどうばかり見ていたのが懐かしさの内に、むなしく少し思いだされた。もうあんな手加減を今後する事は当分ないだろう。やる気と体力がなくても参加出来るイベントを作り、約束とルールに葛藤したり、こまおちのつもりで相手の人数を多くし、やや卑怯な集団戦のチームプレイを対処するくたくたの日々。自分にがっかりしようという案もおもいつかない。そんな日々がゆっくり過ぎていたっけ。ここでボールを放すのか。仲間に委ねて仲間が奪われる。そういう運命にあまりに酷く謙虚なあいてをいなしながら、ちょっとそれは悲しすぎた。運命にもそうするようで。参加までは企画してあげた。ここからはめんどうを見られない。それなのに、手加減までしてあげてた自分が彼は、いやけがさすのか、もしくは退屈だった。今日からそれはない。今日からそれは無い。自由だ自由の身だ自由なんだぞ大声で今かれは、叫びたかった。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。