見出し画像

風穴を開けろ 〜ラジオからの美しい滑舌で思い出した精神科医のコトバ〜

(2023年5月8日 加筆修正あり)

朝、スマホの目覚ましアラームを止めると、そのまま、ラジオアプリ「radiko」を起動する。
 
そしてしばし、ベッドの中でストレッチをし、身支度を整え、朝食準備のため部屋を出て行くまでの間、「ながら聞き」する。
聞くのはNHK R1の「マイあさ!」だ。

だが、正直言って、天気予報以外にはほとんど注意を傾けていない。
 
しかし、ついこの間、ひとつのフレーズが、耳に滑り込んできた。
 
それは「風穴を開けて」という言葉だった。
 
どのような話題の中で、どんな文脈で使われたのか、前後はさっぱり分からない。
しかし、プロのアナウンサーの美しい発音・滑舌による「風穴」は、私の意識をすみやかに覚醒した。
 
あぁ、そうだった、「かざあな」だった!
 
風穴と書いて「かざあな」と読むんだった!
確かに今、アナウンサーは「かざあなをあけて」と言ったのだ。
そしてそれが正しいのだ。
 
でも私、この数年これを「かぜあな」って言って使ってたような…

私は言葉使いや読みの間違いが許せないタイプの人間だ。「それも含めて今日的な日本語の“幅”だよ」と言われても好きじゃない。「一応」を「いちよう」と言う人や、「延々と」と言うべきところを「永遠と」と言われたりすると、内心ヤレヤレと思ったりした。
 
しかーし!
 
言ってたよーーー自分!
風穴(かざあな)を風穴(かぜあな)って言ってたよーーー!!!(恥)

「風穴」をネット検索してみると「正しい読み方は『かざあな』ですか?『ふうけつ』ですか?」という議論を見つけることが出来るが、そこに『かぜあな』の出る幕はない。(涙)
 
実際に富士山の周辺などに富岳風穴(ふがくふうけつ)や駒形風穴(こまがたかざあな)などいくつかの自然洞穴がある。

それも含めて、インターネットにはこうある

1 風が吹き通る穴やすきま。障子の破れ穴など。
2 通風・換気のために壁や窓にあけた穴。かざぬき。
3 山腹などにある大きな奥深い穴。夏、冷風が吹き出る。ふうけつ。

goo辞書

そして「風穴を開ける」については

1 槍・鉄砲の弾丸などで、胴体を貫く。「どてっぱらに―・けてやるぞ」
2 転じて、閉塞感のある組織や事態などに新風を吹き込む。「寡占市場に―・ける」

コトバンク/デジタル大辞林

悪習といった古い習慣により柔軟性に乏しく凝り固まった価値観をもつ組織や物事などに、新鮮な風(新たな価値観)を吹き込むこと。

ことわざ・慣用句の百科事典

リアルな「風穴」は少々物騒なところもあるが、概念としてのそれは「ヤル気・元気」に満ちている。会社とかで上司が喜びそう。私もよく使っていた気がする。

「コミュニケーションを活性化して仕組みをカイゼンし、閉塞した部門間の壁に『かぜあな』を開けます!」とか

・・・いやー もはや開ける気ないよね、
「かぜあな」だもん。
そりゃ提案も通らないわ・・・

しかし、その朝聞いた、この上もなく美しい「風穴(かざあな)を開けて」は、そんなうわべではなく、かつてボロボロだった私の心を慰め、支える言葉として、他者から向けられたことがあった、という思い出を引き出した。

それは、ある精神科医の言葉だった。
 
20年くらい前、私はその精神科クリニックに、母に飲ませる抗うつ剤をもらいに行った。

前年、もっと大きな病院に入院した母は短期間で驚くほど穏やかに落ち着いた。だが、電気治療の副作用による健忘症状で、自分の家さえ忘れており、退院するなり不安で震え出した。
結局、状態は悪化した(※副作用の可能性は説明されていたし、全ての人に起こるわけではない)
 
その後、どういういきさつでその小さなクリニックに辿り着いたかは覚えていない。ただでさえ身体が不自由なうえに拒否が強い母を、姉と2人で引きずるように初診に連れて行き、そのあと一、二度、私だけが行って母の容態を報告し、薬をもらった。
 
薬はなかなか効かなかった。
むしろ神経はどんどん鋭敏になって行くように見える。
 
まるで、どんなに硬い鉄の鎖で縛って封じても、引きちぎって飛び出して来る魔人の様に見えた。
その魔人は私や姉を自分の棲家に引きずり込んで扉を閉めようとする。
私や姉がこの家を飛び出して行ったところで、もはや足の萎えた母が、それを追いかけて捕まえられるはずはない。
しかしそれは絶対に出来なかった。なぜなら、母の命を守り、明日のパンを買ってくることが出来るのは、私たちだけだったから。
 
仕事と食料品の買い物など最低限の外出以外は一切できなくなった。出る気にもなれなかった。出てはいけないような気もした。
 
外の世界と私たちはあまりに乖離しており、どちらがおかしいのか、なにが現実か分からなくなった。
また、こうして母の苦しみに寄り添わなくてはと思った。それが出来るのは私たちだけだ、そうすべきだ、ほかに誰が責任を取ってくれるのだ?
 
憤りと罪悪感と諦めの感情が脳内をはみ出して内臓まで埋めて、苦しい。
そんな状態でクリニックに行った私の顔を見て、先生が言った。
 
「今、とてもつらいと思う。
でもあなたとお姉さんは、外に出なさい。
お母さんと一緒に閉じ籠ってしまってはダメ。
もちろん仕事は続けて、外の世界と繋がっていなさい」

 
というようなことを。そして、
 
「あなたが風穴(かざあな)を開けなさい」
 
と。
 
どてっぱらをぶち抜くような威力は無かったが、その言葉は私の心に小さな風穴を開けた。
とても細く小さい隙間だけど、風を感じ、酸素が運ばれ息が吸える。光が通る
 
私は、まだ大丈夫だ、命がつながりそうだと思った。
そう思うと少しだけ、心があたたかくなった。


あの頃のことを懐かしく思い出せるようになるまで、本当に本当に、長い時間がかかった。そして今も、自分がどこに行きつくのか、たまらなく不安になることもある。
 
でも、かつて誰かが向けてくれた思いやりや、心を砕いて発してくれた言葉があった、という記憶は、思い出すたび今の自分にも力を与えてくれるお守りだ。
 
ラジオからふと流れてきた、美しく正しい「風穴(かざあな)を開けて」が、それを教えてくれた。
 
先生、その節は本当に有難うございました。
 
 
そしてまた、長くなってしまいました。
σ(^_^;)
読んでくださり、有難うございます。
どうか良い一日を

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?