失われていくアイデンティティIDⅡ

20代後半はカリフォルニアの田舎町フレズノに住んだ。大学時代に国立図書館でアルバイトをしていた時に「孤独な群衆」という本を読んだのがキッカケであった。

日本人が嫌いだったこともある。日本の社会に苛立っていたのかもしれない。いずれにしろ私の知らない世界に出会えた喜びが大きかった。

その田舎町に住み着いた時に、最初に行った場所はDOWN TOWNだった。きっとヒッピーに会えるかもしれないと思ったのだ。しかし、そこには貧しいメキシカンの人たちと黒人がいるだけだった。

マスコミや本で知っていたアメリカは存在しないことを知った。

20歳の頃の私は何者かになろうとしていた。いや何かを感じていて、それを成し遂げようとしていた。それを感じてはいたが「何を感じていた」のか自分では明確に分からない。それでも見えない衝動に突き動かされていた。


フレズノの街は心地良い土地であった。同時に私は自分が社会の中でマイノリティであるということを初めて体験した。

Second Citizen(二番目の市民)である。英語は片言しか話せない東洋人という位置づけである。

日本にいた時は日本人であるという自負はなかった。日本の社会の中では私は常にマジョリティに属していたから何も特別に日本人であるというアイデンティティはなかったのだ。

30歳になった時に、アメリカで生活していくことはできないことを悟った。それから二、三年して日本に帰国した。アメリカ人であるというIDを得ることがなかったからだ。

しかし、帰国しても日本社会に馴染めなかった。どこに行っても狭い空間に押し潰されそうな感覚があって、狭いエレベーターや窓のない部屋では閉所恐怖症になった。呼吸ができなくなるのだ。

帰国して仕事を見つけ三浦半島に住んだのは数年してからだ。海の前にビルはない、水平線や遠くの島が見えるのでホッと息ができたからだ。

仕事をしても、私は日本人でない日本人だった。日本人であることにも周りの人間にもイライラしていたからだ。

当然、態度がデカい、物事をはっきり表現する。それを気に入ってくれた組織の長の下で働いた。従業員はほとんど無視した。何も自分の意見を言わない奴らと話す必要もないと思っていた。

帰国して、この仕事にたどり着くまで二年ほどかかった。仕事を探している時に弟の友達と親しくなった。弟は小説家になろうとしていたので友人も出版関係の仕事が多く面白かった。

その一人が先週亡くなったと弟からメールが来た。仲間が亡くなったような気がした。自分の仲間の一人と思っていた。片腕が失われた、羽根がもげたような感じてある。

一人でマンションの部屋で亡くなっていた。

突然、facebookに彼の絵がトップに出てきた。うーん、流石に不思議だと、うなった。

https://gestalt-momotake.com/

https://photos.app.goo.gl/aYpUGBzQ1HUky47Y7

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