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堕落渇望論

僕は、現実がうまくいっていないときのほうが、よいものが生み出せると思っている。
もっといえば、うまくいっていないときでないと、芸術的創作意欲は掻き立てられないと。
不幸な種は、限りなく不揃いな可能性をはらんで、奇々怪々の甘美な美酒を醸造する。
不遇の扱いを受けていないと、きっと素晴らしいものは、ぼくの手から出現しないと信じてやまないのである。

数週間前の日記にこう書いてあった。

現実世界で息をすることは、理想世界を捨てたことに準ずる。

2024年5月の日記より

アンバランスなアクセントマークが、ぼくのあたまにあふれていることに、君は不可解な目を向けるかもしれないが、仕方がない。
これが、いつも首からぶらさげているコンパスで、せかいの掟なのだ。

自分でも、生きづらさに気づいている。
それでも、やまない、仕方がない。
ぐにゃぐにゃの思想は、辿っても辿ってもマントルに近づけない。

『異端者の悲しみ』の将三郎のように、さいごに、くさみをきれいさっぱり落とした、すっきりとした爆弾を完成させることができたらな、なんて他人事に思う。

いまもなお、つかみかけた幸せを、すっと手放す。
顔もそむけて、ひとみも閉じて。
ぼくが、宝石を手にするのには、まだ早いんだ。


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