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SHO-SENSEI!!が僕にくれたもの

僕の人生で今大きく影響を受けているのがshoだ。

今までは、「好きなアーティストは誰?」なんて聞かれたときは、迷いながらもLEXと答えていた。
自分と歳の近い彼の姿は、自分に素直になれない僕の憧れでもあり、嫉妬の対象でもあった。
いや、嫉妬の割合の方が多かったと思う。
僕も音楽を作っている。
こんな音楽を作りたいな、とかイメージする先にはもうとっくに到達した彼の姿と作品がある。
だから最近は、昔みたいに彼の音楽をリピートするようなことはなくなった。

2023年11月末。
僕はshoのライブに行った。
四国の端から広島まで、片道5時間のバスで。
移動中は、ずっとshoの音楽を聴いた。
リリースされたばかりのSCRAP。
それから、特に好きなLEGOやDiamond。とにかくたくさん聴いた。
距離的にも、時間的にも、着々とライブに近づいていっているあの空間を、僕はひとりで楽しんだ。

広島に到着。
冬が始まってもいいころなのに、その日はとても暑かった。
上着と荷物は重くて、遠くからきた人だろうって、一目でわかる様だったと思う。

ライブ当日。
ぞろぞろとshoのライブを見に来たであろう若者の姿が目に映る。
慣れない場所と慣れない雰囲気。
そうだ僕は、初めてのライブだった。
そこで初めて気づいた。
shoのツアーの情報を見て、気づいたらここにいた。
不思議な感覚に陥ったことを今でも覚えている。
来るべき場所に来たんだ。
そうさせた衝動の片りんは、shoに会えるという心の高まりを激しくする。

ライブハウスの中は僕の心と同じくらいざわざわしていた。

SHO-SENSEI!!が登場する。

なぜか安心した。
うれしい、ほんとに存在するんだ。
遠くから、ぼくのぬるい胸を温めてくれていた人が、ちゃんといるんだ。

そう気づけた瞬間に、目頭が熱くなる。
それでもこらえた。
shoの姿を目に焼き付けないとならなかったから。
この数時間を、きれいで美しいものにしなくてはならなかったから。

ライブが終わる。
あっさりとshoは姿を消した。
終わってしまえば嘘みたいな空間だった。
隣の人も、その隣の人も、ステージ上の彼の姿に夢中になっていた。
どこから来たのかもわからない僕たちは、彼が現れる少しの時間のために集まった。
それが、魔法が解けたように、バラバラになる。
たったの数分を共有しただけに終わるんだ。
音楽の凄みを実感するとともに、音楽の儚さも実感した。

ライブハウスを後にして、イルミネーションがちらほら見える道路に出た。
外は冷却が始まっていたんだけど、足は震えていて、耳はよく聞こえなくなっていたから、それほど寒さは感じなかった。
ただ、shoの歌声の残り香を感じることだけに、気を取られた。

僕は、何をしてるんだ。
ライブでこう思わせられた。何度も。
たぶんアーティストのライブに行った後なんて、なんとなく感動して、また新しい日常にずるずると引き戻されていくのが普通だと思う。
けれど、僕は違った。

広島からまた四国のはじっこの小さな住処に帰るバスの車内。
どこから生まれたのか分からないけれど、エネルギーがふわっと沸き立ってきたのを感じた。
小さくて、小さくて、すぐにでもなくなってしまいそうな危うさがあるんだけど、それはぎゅっと押し固められて、まるで太陽の核みたいにしっかりしていた。

絶やしたくない。

消極的に見える感情は、僕にとっては野望そのままだった。

家に帰ると、すぐに曲を書いた。
いや、その前に日記を書いたかもしれない。
とにかく、ぼくの偶発的な感情の保存を行いたくて仕方がなかった。
少し喉が枯れて、熱もあったと思う。
でも関係ない。
それは確かにやらないとならないことだった。

そして書いた曲が積み重なる。
それでいて不安になる。
世界に対して、僕ができることはちっぽけで、誰も見つけてくれない。
今は、せいぜい地元の友達くらいにしか伝えることが出来ない。
それでもつづけるんだ。
shoのやってきたことは、耐荷重量1000トンでも耐えられない。
押しつぶされて、途方もない孤独を味わったはずだ。
だからこそ、生まれることばがある。
そう思わないと、この世界が、無意味で無味なものに思えてしまう気がする。

”あと少し高かったら、僕は何をしていただろうか”
そうなったら、『国道』でいうshoの気持ちがわかってしまうんだろうな。

ぼくは生き急いでいるような、shoの姿にセンセーショナルになる。
僕のぐちゃぐちゃなこころを癒すプレイリストには、もちろんshoの曲だ。

こうやってshoのライブに行ったことから、今まで、考えたことを書いてみたんだけど、書き漏らさずにすべてのことを書けているか心配になる。
でも、いいんだ。
完璧なんてない。
それは、shoが教えてくれたこと。
いつかのnoteに書いていたshoと同じように、ぼくも不器用だ。
続けるんだ。
書き続けるし、
歌い続ける。

僕は、やらないといけない。
今は、死んだときに残せるものがまだまだ少ないから。
音楽でも、文章でも、
なんでもいいから、残していくんだ。
shoのライブに行った後みたいに、感情の保存を世界に施す。

ぼくの家族、友達、知り合いへ
僕が死んだときには、僕をちゃんと見つけてよ。


shoからもらったインスピレーション。
これからも僕は、shoの姿をみて、呼吸する。
いつか、彼とステージで歌を歌いたいな。

そのときまで、
「sho愛してる。」


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