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昔は 何もかもがノンビリだった。

わたしの母は浅草生まれの銀座育ち。
いわゆる江戸っ子だ。

粋な女かといえば、
中身はまあまあ江戸っ子。
外見はそこそこ粋かなといったところ。

その昔は銀座小町と
狭い親戚内ではもてはやされ、
本人もまんざらでも無い様子が、
娘としては少し痛かった。

というのも、
その器量自慢の母から
凡庸な顔立ちで生まれたわたしは
器量という面で子供の頃から
否が応でも冷静にならざるをえなかった。

美しい娘が自慢だった祖母は
なんの躊躇いもなく、
「顔では勝負ができないから、
愛嬌でがんばれ」と真顔で諭した。

わたしは極めて単純なこどもで
祖母の言葉を実に真摯に受け止め、
幼い頃からコツコツ努力を惜しまず
生きてきたわけだ。

冷静に考えると、
母が綺麗で得した年数は短く、
チヤホヤされている年数カケル三倍くらいは努力をして来た自分のほうが
結局はお得だったような気さえする。

考えようによっては、
初期段階で方向性の「現実」を
突きつけられた事は
無駄な部分にヤキモキせずに済んで、
今風に言うとダイパが良かったと思う。

性格が歪んでしまっただろう
身内からのプチ暴言も、
時代なのか、
わたしの性格なのかが幸いし、
好転したことは
今の時代では考えれない荒業でもある。

ちなみに母が言う江戸っ子の定義のひとつは
「お金にキレイなこと」らしい。

その点、彼女の金離れの良さは
「銀座小町」の過去の輝きを
いまだにどどめていると言えなくもない。

そうやって「粋」にこだわって生きてこれた
のは、今は昔の日本のことなのかもしれない。

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