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変化

末っ子が卒業式を迎え、我が家の義務教育が終わった。
卒業式で配られた式辞を見て思い出す。
入学した年にコロナが流行り始め、何をどう対処すればいいのか戸惑い、店頭からもネットからもマスクや除菌グッズが消えた。時間があればミシンで布マスクを作った。テレワークとは程遠い仕事なのに交代でテレワークをした。テレビをつければ毎日都知事が会見し「三密」を訴えていた。

そしてその犠牲を最も受けたのが子どもたち。
緊急事態宣言が発令され、それに伴う休園、休校。
小学校の卒業式はかろうじて保護者1名のみ体育館に入ることができた。もちろん私語はできない。いや、そもそも怖くてフラットに話せない。隣に座る人がコロナに感染していたら?とわけのわからない不安に誰もが支配されていた。歌もない、証書授与もない、謝恩会も中止、何もない名ばかりの卒業式。

中学の入学式は休校が解除された6月。部活を楽しみにしていたのに、当然のように部活にも制限がかかる。
ことごとく、見事全てに、「感染症対策」がうたわれ、これまでの概念を全てリセットしなければ新しい生活様式に順応できなかった。
そんな時代の中、末っ子の義務教育は過ぎていき、卒業を迎えた。

この3年、子どもらが得たものは何だろう。こんなあり得ない状況下でも、それらを受け入れ、いつしか子どもらにとっての「日常」になっていった。マスクをしながらの体育、会話をしてはいけない無言の給食。
入学して一番に教わるのは、廊下を走らないことでもなく、挨拶はしっかり大きな声ですることでもなく、感染症対策やマスクの自己管理。集団生活の中でコロナから身を守る術を学んだ。

年月が流れ、この時代を生きた子どもたちが過去を振り返った時にどう思うのだろうか。制限だらけでもそれなりには楽しかったと思ってくれるだろうか。人生100年時代と言われる中の3年だと思えば一瞬かもしれない。でも子どもらにとってこの3年はかけがえのない3年、たかが3年ではない、されど3年、なんだ。

極端な変化に順応できなかった子も知っている。
変わってしまった学校生活に馴染めず登校できなくなってしまった同級生。
卒業式、名前だけ呼ばれて、式に出席できなかった人数のあまりの多さに苦しくなった。涙が出そうになった。
一人二人ではない。桁が違った。
なぜ。
コロナ禍で気持ちが窮屈になっていった子もいれば、友人関係に悩んだ子もいるだろう。理由はそれぞれにあるのだろう。
末っ子は名前を呼ばれて堂々と返事をし、卒業証書を手渡しで受け取ることができた、その違いは何なんだろう。何が違ったんだろう。
毎日学校に行くのが当たり前であった末っ子、それだけでもありがたいことなのだと思った。

少し自分のこと。私は順応力や適応力が高いほうだと自分で思う。置かれた環境に慣れるのが早い。変化を受け入れるのも早い。変化をあまり苦だとは思わないところがある。ただ、自分からは変化をあまり望まない。
そして用心深くて心配性だが、大胆なところもある。用心深さと無頓着さ、神経質と大雑把が混在していて、その場面によってどっちが前に出てくるのか、自分でもよくわかっていない。基本的に根気があるので、気は長い。でも自分のペースで歩けない人混みはすごく苦手でイライラする気の短さもある。大事にしたい物とそうでない物との境界線がはっきりしている。マイペースでかなり凸凹のある極端人間だと思う。

そんな私の元で育った我が子らは、それぞれだ。義務教育を終えた末っ子は、これからも続けたい部活のためにフィーリングの合う高校を選んだ。部活だけで選んだといっても過言ではない。
まずは強豪校の部活体験を、と夏休みは何校か巡った。私も同じスポーツをやっていたので知識はあるし、練習の様子を見ていればその学校のレベルがどのくらいかの判断はそれなりにできる。
強豪校を2つ体験した帰り道の電車。
「みんな上手だね。強かったね」
「体験来てる子もみんなガチだね」
「あの上手だった先輩は都大会で優勝した〇〇中のエースだって、しかもまだ一年生」

「なんか、違うかなぁ」

それはね、部活体験が始まって10分もしないでわかっていたよ。
強豪校でガツガツとがむしゃらにやるのは末っ子には合わない。その中にいても楽しそうじゃない。
同じスポーツをしていた私から見ると、末っ子はセンスがある。中学の顧問にも、センスはピカイチだからさぼるな、と言われた。本気でやれば今よりもっと上手になる。身長は中学3年間で20センチ伸びた。あと5センチ伸びれば、このスポーツをやる高校生では恵まれた体格だ。プラス5センチはさすがに難しいかもだけど。

強豪校に入り、大きな大会を勝ち進んでTVにも出ちゃったりして、そんな姿を見たいなって欲ならある。
でもね、なんか違う。末っ子が求めているものはチームの強さよりも心地良くプレイできる空気感なんだ。強いチームの空気感が悪いっていうことではない。強さの維持、もしくは更なる向上のために必要なレベルの練習を当然こなしているから、どの学校も独特のピリッとした緊張感があって、それを末っ子は敏感に察知していた。

性格・気質はバラバラの我が子たちに似通っている部分、自ら学級委員をやるタイプではないというところ。チームを率いるキャプテンにはならないが、コートで仲間にプレイを教えるコートキャプテンは任される。クラスで劇をやるなら、主役には決して立候補しない、せいぜい主役の引き立て役。人見知りなわけではない、寧ろフレンドリーに人と接する方だ。一番上はそうでもなかったが、二番目と末っ子は特に注目されるのを嫌う傾向が強い。
私自身もそのタイプだったので、血は争えない。

結局、見学先を全て見直して、強さのレベルを「強い」ではなく「そこそこ勝てる」に落としたところ、これから通う学校に出会った。
うん、いい。雰囲気もいい。
強くはないけど、楽しそう。そんな風に末っ子も私も思う学校だった。正直なところ、学力的にはもうちょっと上でも十分に狙えたので、塾の先生には本命にするのはもったいないと言われた。でも本人が行きたいと選んだ学校である以上、周りがとやかく言うことではない。

私は子どもに口うるさい親ではないつもりだ。多分、寛容な方だと思う。ここぞという時は叱る。生きていくうえで困らない必要最低限のマナーや常識、知識がちゃんと身についていれば、いずれ親元から離れてもやっていけるだろうと思い育ててきた。子どもが人生の岐路に立った時、親はそっと背中を押せる程度でいいと思っている。その代わり、迷っているなら選択肢を広げる手伝いはしてあげたい。

二番目の子はこの春から社会人。小さい頃から一年の始まりである4月はナイーブになる子だった。クラス替えのある新学期初日は高校生になっても「ドキドキする」と言っていた。社会人一年生、きっと変わらずドキドキするだろう。でも、ドキドキをわくわくに変換できる強さやポジティブさも身につけている。何より、愛され力に長けている子だ。とにかく外面がいい。だから見守りはするけれど、さほど心配はしていない。
二番目、末っ子、共に人生の中で大きな変化を迎える4月になる。

頑張れって言葉は仕事でも家庭でも言わないようにしている。頑張るかどうかを決めるのは自分自身であって、頑張ることは誰かに言われてすることではないと思う。
自分で決めて頑張っていたなら頑張ったねと言ってあげたい。
新しい春を迎える二人には「がんばれ」じゃなく「楽しんで」と送り出してあげたい。

さて、我が子たち。ドキドキをわくわくに換えて、変化を楽しんでおくれ。えいえいおー!!

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