あひる

とある会社の経営者。 時々先生と呼ばれる仕事 &旦那のペット

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最近の記事

雑談

金(喜平K18の場合) 時価(本日の)取引する時の計算方法は、 重さ×その日の売り相場×0.75(K18時の金の含有率)×消費税 で販売価格が出ます。 (売りたい時は買取相場 ) 加工が多いと価格は定価になりますので、この計算方法は当てはまりません。 (売りたい時は買取相場価格) 先日、喜平に定価つけてぼったくってたお店があったので笑 (ショーケース前で思わず吹いたw) ちなみに宝石(ダイヤモンド)の価値は、 1カラット100万で買ったら、 売値(引取り)は1万くらい

    • ニホンゴムズカシイネ

      日本語の達人さんがいたら教えて欲しい。 疲れた時に出る「(´Д`)ハァ…」は 【⠀ため息 】だけど、 お味噌汁とかお茶とか飲んだ時に出る「ε-(´∀`*)ホッ」はなんて言うの? 目上の方から別れ際に「またね(´▽`)ノ」と言われた時、どんな返事をするのが適してる? この辺りで「ごきげんよう」は使うの恥ずかしいし笑 ちなみにシチュエーションは、いつも温泉で一緒になる素敵なおばさまが帰り際に「またね(´▽`)ノ」と言われたイメージ。 英語なら「はばないすでー」で済むのにね(

      • 人生って歯磨き粉

        最近思う。 人生って歯磨き粉なんだな~と。 生まれる前(魂の時)に神様と約束した、 死ぬまでにやるべきことが歯磨き粉の中身で。 人生を隅からキチンと使って(途中で残っていたのを集めたり)最後まで使う人はきっと、心残りなく、綺麗な人生を送れる人なのかなって。 逆に、人生を最初からただ握り出し、最後に隅から残りをかき集めて絞り出す人は、年老いてからやり残しが多くてなかなか死ねないみたいな。 年相応に出来ることをちゃんとクリアしておかないと、後になって(年老いて)から後悔しそ

        • 「女子の方が使い方が汚い」

          「女子の方が使い方が汚い」 この言葉は私が学生時代に住んでいた学生寮の寮長先生から聞いた衝撃を受けた言葉だ。 ちなみに寮のお風呂やシャワー室(排水口の髪の毛の処理や石鹸の泡)、トイレの話。 女子が? そんなはずないでしょと、咄嗟に思った。 まあ、男子専用のトイレやお風呂に入ったことがないので私自身の経験では全く測れないこともあるのだか。 女子トイレの個室内側に張り紙があった。 これを書かれるという事は相当ひどいのかと察し。 先日のコンビニでのトイレの事件はヂーさまだっ

          出来ない と やらない は 実は大抵「やらない」なのよ。 やれば出来る(た)

          出来ない と やらない は 実は大抵「やらない」なのよ。 やれば出来る(た)

          頑張っちゃダメ

          初めて過労で死にたいと思う人の気持ちが分かった年末。 いや、ここ1年半、本当にキツかった。 ストレスがストレスと気づかない自分が1番いけないんだろうが、気づく暇もなかったかもしれない。 今年はもう少し、ゆったりまったりと生きれるよう努力しよう。 自分が一番大切なんだから。

          頑張っちゃダメ

          若い世代に良き人生を!

          当社に勤務する、若いお母さん社員さんの話 (身バレしない程度のフェイク入れます) 子供さん2人(未就学児と年長さん)で正社員さん。 有給休暇付与後、自分のためには一切使えず、3ヶ月位で使い果たす。 その後は欠勤扱い。 子供さんはふたりとも保育園に通っていて、鼻水が出た、咳が出た、微熱が出たと会社に保育園から連絡が入り、お帰りを命じられる。 彼女の母、義母とも仕事をしているので預かって貰えない。 その後の預け先が無いので欠勤せざるを得ない。 感染症にかかったら、母子に感染回るま

          若い世代に良き人生を!

          育てたように子は育つ

          結果は40歳以上になってから出ることを、身をもって知る機会がこんなにあるとは。 親の背中、躾、愛情、思いやり、感情、無関心、過干渉、過保護。 全て親が子を育ててきたように子は育ってる。 だから子を見れば親が分かるし、親を見れば子も分かる。

          育てたように子は育つ

          なんだかなー

          昨日、4年前に起きた出来事を書いた話をこちらにアップさせてもらいつつ、読み直して目眩がした。 あの子の周りは何も変わってない…… 不幸が増えてただけだった。 今日は代議士と食事会。 現状の打開策を提案してみようと思う。

          なんだかなー

          朱里がいた2年の話 9 epilogue

          「もっと福祉を充実に!」 私は2年前までその意味が分からなかった。 報道とは違う現実、本当に税金が必要な理由、私は福祉に携わっている方に頭が上がらない。 朱里と知り合えたおかげで知る事が出来た。 これは私にとって一生の宝物を貰った時間だったのかもしれない。 感謝をしたい。 その後の朱里については今継続中、来月子供が生まれる。 この先朱里がどうなるのかは、手を引いた私にはもうわからない。 ただ、あの子達みんな、幸せになってほしいと心から願うしかない。 ……この話を書いてから

          朱里がいた2年の話 9 epilogue

          朱里がいた2年の話 8

          朱里が新しい仕事を受け持つことになった。 そんなに難しい仕事では無いが、目盛がきちんと読めないと出来ない仕事。 先任は正確に仕事が出来ずにその部署から退いた。 頑張っている朱里にやらせてみようという社長の提案だった。 まずは適性検査だ。 入社試験とは別な、いろいろな試験をしてみた。 クレペリン検査・・・安定していて全問正解 小学校六年生レベルの問題も、なんの問題なくクリア。 全然普通だ。 いや、普通以上かも。 知能的に何の問題もなく、新しい分野の仕事も意欲的に熟していた。 来

          朱里がいた2年の話 8

          朱里がいた2年の話 7

          次の日、私は朱里にある提案をした。 「朱里ちゃん、福祉から週末にお金を頂いたら、貰ったその日に私が買い物に連れて行くよ。一週間分の買い物を先にして、残ったお金で週末遊びに行けばいいんじゃない?」 「良いんですか!?是非!お願いします!」 私は毎週、朱里がお金を受け取った日に買い物に連れて行くことになった。 初めて買い物に連れて行った時のこと。 子どもたちを保育園と小学校へ迎えに行き出発。 初めて行くという、このあたりでは有名なスーパーは鮮度もよく、一週間買いだめしてもそう痛

          朱里がいた2年の話 7

          朱里がいた2年の話 6

          よく世のニュースでは、児童相談所の手抜きで子供が死んだとか、もっと早く手を打っていたらなんて報道をされるが、児童相談所及び行政は本当によくやっていると思う。 内情を知ったら、責める事なんか出来ない。 身勝手な報道のせいで、本当はしてあげたいことも出来ないし、万が一のことがあるとニュースにされる。 朱里の事もそうだ。 快楽ゆえ子供を作ってしまう朱里に対して、避妊リングを入れる事も、朱里が幸せになれることだと信じていたが、2018年に優生保護法で知的障害者が避妊手術を受けさせら

          朱里がいた2年の話 6

          朱里といた2年の話 5

          仕事も入社してからぎりぎり半年経っていたので有給を使える事にし、つわりから堕胎まで有給休暇を目いっぱい使って休み、社内ではてんてこ舞い。 なんとか辞めることなく仕事は続けられるように配慮できた。 前々から現状で子供を作ると、あなた自身の生活が出来なくなるから、とにかく避妊をしなさいと言い続けてきた。 でもやはり快楽に走ってしまうのか… 北野さんとふたり、おおきな溜息と脱力感に苛まれた。 先にも書いたが、朱里のご両親も家計支援という支援を受けている。 まるで、江戸っ子は宵越し

          朱里といた2年の話 5

          朱里がいた2年の話 4

          北野さんが、 「あかりちゃん、食事の用意できるのかしら…?」と心配をしていた。 確かに…。 今まではそれでも親がいたので、なんとかなっていたはず。 今度は子供二人を連れて、三人分の食事を作らなければならない。 元々私の表の顔は料理の講師なんて職業だったもので、料理を教えるのはお手の物! 安い食材でたくさん食べられる料理をたくさん教えた。そして、 「毎日食事の写真を撮って、インスタグラムへアップしなさい」と、これは半ば命令でお願いした。 なぜなら投稿を見てくれた人が、 「おいし

          朱里がいた2年の話 4

          朱里がいた2年の話 3

          夜分遅くに朱里からLINEがあった。 「助けて!お父さんに首を絞められた!」 「大丈夫?電話できる?」 「今はできません…」 「ご両親は今、何をしている?」 「寝ました。怖い。怖い。」 「どうする?今からうちへ来る?」 「なんとか大丈夫です。明日会社へ行きます。」 お得意の嘘?大げさ?なんて思った。 が、違った。 次の日会社へ来た朱里は震えて泣きじゃくって真っ青だった。 すぐに抱きしめて、頭を撫でて詳しい話を聞いた。 はぁ… 朱里の実家は生活費に全く余裕がなく、福祉から生活(

          朱里がいた2年の話 3