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僕がサラリーマンでいられなかったワケ


こんにちは。
土地売りボーちゃんです。
前回の記事、「僕が不動産屋さんをはじめたきっかけ」が地味に閲覧されておりましたので、その続編。
いや、シーズン0のお話しをします。


僕は愛知県内で急成長していた、ベンチャー不動産会社へ就職しました。
周りは、新卒の切符を我が子のように大切にしていた中で
プロ格闘家になる予定が怪我で断念した僕は、
華やかであれば何でも良いという価値観での
就職活動でした。


稼げる=華やか
の考えの基、辿り着いたのが不動産業界というワケです。


マイナビで最初に目に映ったのが、のちに就職することとなるA社です。
僕は5回の審査を経て、急成長中のベンチャー企業A社の内定を見事ゲットしました。

その後、残りの学生生活を日本1周武者修行の旅に出ますが
話しが長くなるので割愛します。


超イケイケ、ベンチャー不動産会社A社へ入社


A社は当時売上約70億円、社員100名超、平均年齢26歳。
社員旅行は海外、全社ミーティングは会員制ホテルのエクシブで行うなど
超イケイケのベンチャー企業でした。

そんなイケイケ不動産会社に、2016年頃に8名の同期と入社しました。


入社後まもなく、たくさんの研修を受ける中で
本社の社長室で研修を受ける時間がありました。

そこで目にしたのは、
65インチTVと同じ大きさで、創業者(会長)の顔写真と
「粉骨砕身」骨は俺が拾ってやる。
と書かれた特大の絵でした。


僕は、なんて良い会社に入ったんだ!!!!
と心躍っているさなか
他の同期、みんな震え上がっていた姿は今も鮮明に覚えています。


不動産屋さんってそんなもんです。
どれだけキラキラした姿をSNSで発信していても
根っこはアングラの塊。
まさにヒップホップ。


先日売上1兆円を超えたオー〇ンハウスさんも
交差点で物件のプラカード体に張り付けて、
四方八方に営業の乱射をしています。
素晴らしくヒップホップしてます。


そんなことはさておき、
ぱっと見キラキラ、中身超ダークな不動屋さんに就職した僕は
入社後3ヵ月という速さで、契約を勝ち取ります。
理由は簡単で、良い上司に恵まれたからです。


この上司、Tさんとの出会いが僕の
サラリーマン人生2年という、
蝉レベルの寿命にしました。




超エリート上司Tさん


当時、Tさんは飛ぶ鳥を落とす勢いで出世しており
営業成績も全社員1位。
最年少での店長兼マネージャーという
社会人1年目の僕にとって、キラキラに映る存在でした。


そんな上司Tさんに憧れをいだきながら毎日を過ごしていました。

新卒ホヤホヤの僕に案件がくることはなく
入社後2か月間は
便所掃除を全力でこなす、
ベンジョンソン作戦をとりました。


人が嫌がる事を誰よりも率先して行う。
このベンジョンソン作戦が、功を奏して
入社3ヵ月というスピードでお客様を任され
見事契約を勝ち取りました。
(Tさんが接客している横にいるだけ)


その後も
物件の草刈りを誰よりも率先してやる
草刈正雄作戦。

どこ行くにしても、車をだして運転をする
ドライブスルー作戦
数々のマーケティング施策を行った結果
Tさんから案件をふってもらい、契約を取り続けました。

その結果、入社1年目で
私土地売りボーちゃんは、新人賞を受賞しました。


その間に
他の店舗で頑張っていた同期が店長のイジメに合い
僕と同じ店舗へ移籍されてきました。


同期Mくん


移籍されてきたM君は、同期の中で一番成績も頭も悪く
入社半年間、数字は0。
極めつけは、単位を1つ落として大学を留年してしまっていたという
ぶっ飛び具合です。

内定後に卒業できないという事実が発覚したので
入社半年間はインターン期間となり
大学生であり会社員という
もはや意味が分からない状態でした。
ベンチャー企業じゃなかったら、確実クビ案件です。



そんなMくん
頭は悪いが、人柄がすこぶるよく
どんな雑用も文句ひとつ言わず、周りの人の為にやってくれました。
マサオくんの上位互換といったところでしょうか。


そんなMくんでしたが
店長にボコボコにイジメられていたのが
不憫に思われ
僕と同じ、上司Tさんの基へ引き取られました。


仲間意識


当時店舗に新人は僕しかいなく、先輩社員も
個人戦を繰り広げている方が多かったので
あまり、和気あいあいとした雰囲気はありませんでした。


しかし、ポンコツ同期Mくんが加わり
みんな自分の事で大変な中、必死にM君を指導をしていました。
僕も同じ新人ではあるものの、先に進んでいたので
Mくんにベンジョンソン作戦などのアドバイスをしました。


その甲斐あって、入社1年目の終盤には
自分1人で契約がとれるレベルになりました。



ベンチャー企業の闇

入社2年目の4月
僕とM君は既に第一線で闘っていました。
先輩の付き添いはなく、1から10まで
自分自身でやりなさいという環境でした。

Mくんはミスが多いものの上司Tさんに気に入られ
案件を多く振ってもらえるようになっていました。

急成長中真っ只中だったこともあり、恐ろしい業務量を
毎晩夜中の12時過ぎまでMくんと一緒にこなす日々が続いていました。

遅い日で夜中2時という日も珍しくない、
とてつもないブラックな労働環境でした。


このころより上司Tさんのメンヘラ感が強くなり
何するにしても報・連・相を徹底することを余儀なくされていました。

今どこで何をやっているのかを毎日10回以上電話をさせられており
連絡しないと、不機嫌になるという束縛メンヘラおじさんとなりました。


後に知ることとなるのですが、Tさんは事務員さんと不倫の末、
再婚します。


やはり裏でコソコソやる人は、
自己肯定感が下がり
メンヘラになっていくんですね。お疲れ様です。



激務の中に起きた悪夢


そんなメンヘラ化した上司Tさんでしたが
仕事は天下一品です。
僕ら歩兵を見事なまでにコントロールし、毎月目標の120%超の達成率で
社長含め役員クラスもなかなか口出しできないレベルまで成果をあげました。

ただ、現場の第一線で闘っている僕たちは疲弊し始めていました。


唯一の水曜日 (業界が休み)  ですら、仕事をしないと回らない労働環境。
毎日モンスターエナジーを2本がぶ飲みし
脳も体もバグらせないと、やっていられない状況。



そんな日が続いた、とある雨の日の夜19時頃
店舗に架電が入りました。


「今新築住宅の目の前にいる、室内を見たい」との反響電話でした。
上司Tさんの指示で、M君は急いで物件に向かいます。


その道中
M君は交通事故を起こしてしまいました。


幸いM君に怪我はありませんでした。
ただ、相手方が高齢者だったこともあり、軽傷を負ってしまいました。
M君は案内後、店舗に戻り事故の報告をしました。


上司Tさんは、心配する素振りはなく
案内が決まらなかったことしか頭になさそうでした。


翌日
M君は、自分の自動者保険の期限が切れていて、
更新されていない事を知ります。

M君は、相手方の保証と自分の車の修理を自己負担で行わないといけない
事となりました。

期限切れを気付かなかったM君にも落ち度はありますが、
そんなこと気にしていられる余裕がない状況だったことは、
誰が見ても明白な労働環境でした。



しかし上司Tさんは、保険に入っていないお前のせいだろの一点張りです。
使用者責任という概念がない人ですね。


事故をして2週間ほどが経った、
5月中旬、僕たちにようやく少しの休みがおとずれました。


僕もM君も、地元を離れて1人暮らしで過ごしていたので
休みがあれば、M君の家で語り合っていました。


「ボーナス入ったらベンツを買おう」
「今年全社員1位をとろう」
「一緒に店長になったら、地元に店舗を出店しよう」

そんな話ばかりをしていたら、圧倒言う間に休みが過ぎ去りました。


明日からまた過酷な日々が始まることを、少しでも忘れるために
その日の夜、M君と夜中までカラオケで歌いあかしました。




そして翌日
M君は命を絶ちました。








気づいたら、葬儀場にいました。
ショックでその前後の記憶があまりありません。


棺桶にいたM君の顔は強張っていて
苦しそうな表情でした。
その顔をみて、
「お前の分まで一生懸命生きるでな」
と誓った事は覚えています。


M君は、最後になぶり書の遺書を残していました。
内容は僕も確認できなかったのですが、聞くところによると
事故で相手方の親族に責めらていたようで、それが原因ではないかと思われる内容だったようです。


会社は、全社員に対して
事故で被害者から責められたことが原因であったと公表しました。
上司Tさんも、それについて何もアクションを起こすこともなく
ただ頷いているだけでした。





責任者とは。


僕は、自分自身をすごく責めました。
前日の夜中まで一緒にいたのに、そこまで思い詰めていたことさえ
気づけなかった自分が情けなくて。
救えたはずの立場にいたはずなのに、何の力にもなれていなくて。
心の中で、何度も謝罪しました。


しかし、上司Tの思いは全く違いました。
会社は悪くない。事故の相手方が悪いの一点張りでした。
僕はとても虚しく、そして激しい怒りを覚えました。



この狂った労働環境にメスを入れなかったのはどこのどいつだ。
テッペン越えるのは当たり前・休みもなく働かされ
思考停止状態に陥って、考えることすらできない環境を放置していたのは
誰ですか。
雨の日の夜、急がせながら車を走らせる指示を出したのは
どこのだれですかと。


もし、被害者の親族から責められたことがきっかけだったとしても
そこまでになってしまう、要因を作ってしまった責任はあるはずだと
僕は強く思いました。


責任者は、責任を取ることが何より大事な使命です。
だから、普段偉そうなこと言って、高い給料もらってもいいと思うのです。
ただ、責任者が責任を取らなかったら、お前は一体なにものなんだという話です。

もう、それはなにものでもない。
ただの屍だ。




そしてあろうことか、この件について上司Tはなんのお咎めもなく、
幕を閉じました。



この日から僕の会社員生活の時間はストップしました。



変わらない日常。


事件の数日後には
今まで通りの普段の日常に戻っていました。

そして数週間後には、上司Tはいつもの通りの
横柄な態度、メンヘラ上司に戻っていました。


そんな上司Tの態度に僕の心は、完全に折れてしまいました。

仕事は、「なにがしたい」も大事ですが
「誰と一緒に」という部分がすごく大事なんだなとその時痛感しました。



事件から数週間後。

店舗全員が集まる朝礼の場で、
僕は誰も逆らえなくなっていた上司Tに
ついに噛みついてしまいました。



そこからは、想像に難くなく
僕は、見事に窓際族へと転身しました。




どうせやるならテッペン目指して。


僕は、この事件が起きた数日後に退社を決意していました。

本来であれば、1年2か月程で終わっていたサラリーマン人生を
何とか2年まで持ちこたえたのは、1本の電話です。



退社を決意していましたが、
「やめてどうしよう」という不安など一切なく
ただ事件のショックに打ちひしがれている日々を過ごしていました。


そんな時に突然着信がなりました。
「おめぇ、元気ないらしいな。気持ちはわかるけど、そんなんでMがむくわれんのか。」



その電話の相手は、創業者の会長でした。
創業者である会長自ら、末端社員である僕に直接電話をくれた。


そのたった一本の電話。たった一言の言葉が僕の
折れた心を奮い立たせました。



僕は、まだこの会社で何も成し遂げていない。
この親父にだけは、背を向けて辞めちゃダメだ。
そこで僕は、決意しました。


期限は、年内。
今年、全社員1位を取る。
誰よりも数字をやって会社へ貢献して、親父(会長)へ恩返しをする。


そして、表彰を受けて
M君の墓前に報告に行く。


これが、
前回の記事「僕が不動産屋さんをはじめたキッカケ」に書いたとある約束です。


その後知ることになるのですが、
会長は何度も遺族に会いにいって、
謝罪していました。
この事件の数年後も、M君の弟の就活やスポーツの大会に足を運んだりと
M君の家族を遠くから見守っていました。


人間としての器のデカさを学びました。
僕の経営者としての考え方や生き方のルーツになったオヤジです。




理想と現実


決意を固めた僕は、マシーンのように働きました。
上司Tにかみつき、窓際族にはなっていたものの
実力だけは、誰もが認めざるを得ない状況で
案件を次々にこなしました。


身体はボロボロになりならがも、ひたすら働き
僕は、全社員1位の数字を獲得しました。


そして、半年に一度の全社集会の場。


この日、僕は最優秀営業賞を獲得して、
M君の墓前に花を添えて、この会社を去るつもりでした。


表彰の時間。
例年1番の数字を取った人が最優秀営業賞を獲得していたので
僕は、最後に名前が呼ばれるのを待っていました。


そして、僕の名前が呼ばれます。


それは、最後から2番目の優秀営業賞でした。
最後に名前が呼ばれたのは、昨年最優秀営業賞を受賞した先輩でした。


僕は頭が真っ白になりました。
1位を取ったのに、受賞したのは実質2位の表彰。


すぐになぜかわかりました。


この表彰の2日前に、僕が辞めるという噂が社内を駆け巡っていました。
上司Tからの、「やめるのか?」との問いかけも軽くあしらっていました。


辞める可能性がある社員を最優秀にしてしまい
すぐに辞められたら、他の社員のモチベーションが下がってしまう。
上司Tが裏で工作したであろうことは明白でした。


僕は、M君との約束を果たすべく
命がけで働きました。
体を壊して、6年たった今でも後遺症が残っています。


しかし、その思いをぶち壊されました。




土地売りボーちゃんの誕生。


とある日。
M君宅の仏壇に報告にいきました。
「数字1位は取ったけど、最優秀は外された。すまん。」


心なしか、
「あの態度じゃ、そうなるって(笑)」と
M君が微笑みかけているように感じました。


そして僕は、A社を去りました。
最後の最後まで上司Tさんとの確執は解消されませんでした。


入社時は、誰よりも尊敬していた上司Tさん。
退職時は、僕の思いを全て破壊した上司Tさん。


たった、2年の間で起きた
色濃い出会いと別れが、今の僕を
土地売りボーちゃんとして育ててくれました。



退職した僕は、また日本1周の旅に出ました。
日本中の街・不動産を見たくて。


旅の中で出会った様々な感動が
僕に起業する力をくれました。



人生は選択と決断。


この業界にいると、人の闇をたくさん見ます。
M君もこの業界の闇の犠牲者と言えます。

大きなお金が絡んでくるので、
人は簡単に変わります。


お金・出世・名誉・保身。
様々な思いから、人を蹴落としてでも
他人を犠牲にしてでも、
そして、自分自身の心を犠牲にしてでも
突き進んでしまう方が多い業界です。


「これくらい、いいだろう」
そんな邪な思いが、少しずつ心の根っこを腐らせます。
一度腐った根っこを戻すことは、容易ではありません。



一つ一つの選択と決断の繰り返しが、自分自身を
ひいては、人生を創っていきます。


この業界にいる方・営業の方。
いや、全ての人に言える事だと思います。


僕は、誰も逆らえない上司に逆らってでも
自分の思いを口にしました。
そして窓際になり、会社員生活の幕を閉じました。

1mmも後悔はありません。
そこで、自分の思いをぶつけなかったら、
心の根っこに毒が残っていたと思います。


目の前に大きな選択が来た時に、
後悔しない方を選んでください。
その先に、どんな過酷な人生が待ち構えていようとも。



土地売りボーちゃんは、
不動産という闇が深い業界にいますが
お天道様の日のもとで、胸を張って歩いていけるよう
後悔しない道を進んでいきます。



懸命に生きる、すべての人に幸あれ。


ボ。





















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