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メディアの伝える意味「MINAMATA」「由宇子の天秤」鑑賞メモ

たまには朝ドラ以外の投稿を。「おかえりモネ」への想いがあふれすぎて、ほぼ朝ドラnoteになってましたが、本当はもっといろんなエンタメについても書きたーい! 執筆の速度を上げることがいま一番の課題です。

ずっと観たかった「MINAMATA」と「由宇子の天秤」を観ました。日比谷シャンテ2本立て。観たかった映画がたまたま同じ映画館で観れたので、同じ日に続けて観ることができたのですが、奇しくも底に流れるテーマが繋がっていた。前者は写真で、後者は映像で、メディアで伝える意味を考えさせられる作品でした。

軽く内容に触れるので、ネタバレ読みたくない方は閉じてくださっても。もう公開されてかなり経つので大丈夫かな…という程度ですが。(ラストには触れていません)

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事実はそのまま伝えられるのか

日本の四大公害病のひとつ“水俣病”を取材して、世界に知らしめた写真ジャーナリスト、ユージン・スミスの姿を描いた「MINAMATA」と、3年前のいじめ自殺事件を追うドキュメンタリー監督の由宇子の姿を通して、正義とは何かを問う「由宇子の天秤」。

どちらも劇中で作為的な妨害が入るシーンがある。「MINAMATA」ではユージン・スミスが暴行を受けたり、現像小屋に火をつけられたり。「由宇子の天秤」では、ドキュメンタリー・ディレクターの由宇子が、丁寧に取材を重ねて引き出した証言を、切り張りして編集するよう指示される。

都合の悪いこと、気に入らないことは大きな力で捻じ曲げられる。編集される。映画の中の描写ほどではなくても、大なり小なり、情報は加工されている。わかりやすくするためだったり、大事なことを伝えるために加工することは必要だ。

ドキュメンタリーはノンフィクションじゃない

そんなことを言ったのは情報誌時代の先輩だったかな。

だって作り手の意図が入らない、ただ垂れ流しのドキュメンタリー映像なんて、観にくいし伝えたいことが伝わらないじゃん、と言われて、確かにそうだなーと。ノンフィクションはフィクションの完全な対義語じゃない。

そんなことをつらつら考えながら観ていた。誰かといろいろ語りたい作品でした。それぞれの映画で心に残ったことを少しだけ。

写真の中の魂「MINAMATA」

「MINAMATA」はでジョニー・デップ演じるユージン・スミスが写真について語ったセリフ。(暗闇でのメモなので正確ではないかもですが)

写真は撮る者の魂も奪い取る。
だから本気で撮ってくれ。
カメラを向けるときは感情に支配されないで
伝えたいことだけに集中すること。

写真には魂が乗る。魂がこもった写真は、エネルギーが伝わってくる。同じ被写体を撮ったとしても、伝えたい事が違えば違う印象の写真になる。

ユージンが撮った、あの母と娘の写真、自分は小学校時代に社会の教科書か資料集かなにかで見て、強い衝撃を受けたあの写真。怖かったけど「人間のしたことのむごさ」を心に刻みつけられたあの写真。あれを日本人ではなくアメリカ人のフォトジャーナリストが、危険な目に会いながらも魂を込めて撮影した一枚だということを40年以上経って知りました。映画ってすごい。

ネガ、紙焼き、暗室も懐かしい。昔は今のように気軽に撮ってすぐ観れるわけではないから、一枚撮るのにもっと慎重になっていたなあ、とか。現像してみないと、どんな写真が撮れてるのかわからない、なんて今の子供たちはわかんないんだろうなあ。

ジョニー・デップの貫禄。ジョニー・デップだけどジョニー・デップじゃなかった。「シザー・ハンズ」とか「ギルバート・グレイプ」とか美しいジョニデ時代から観てると感慨深いものが。エンドロールで世界各地の環境汚染が次々と流れるのを見ると、やるせなくなる。人はなにと引き換えに自然を侵食してきたのか。

情報と真実と人間の矛盾「由宇子の天秤」

「由宇子の天秤」については、パンフレットの中で監督が語っていた言葉を抜粋したい。

誰でも発信者になることができ、1つの情報が人を殺す凶器にもなり得るいま、情報を扱うことがいかに難しいか、情報を鵜呑みにすることがいかに危ういか
誰かの主観によって繋がれた真実は、真実という大きな塊の一側面にしか過ぎないのです。

作為的なカットを指示されて抗議する由宇子に、仲間のプロデューサーが「俺たちの繋いだものが真実なんだよ」と言うシーン。上層部の意向、スポンサーの意向、いろんな外野の声が入るたびに、本当に伝えたいことからそれていってしまう。切り貼りされた報道。世間の無責任な声が、誰かの人生を狂わせてしまう。先日観た映画「空白」でも、ここが容赦なく描かれていたっけ。

由宇子は、塾を経営する父からショッキングな事実を伝えられることで、ドキュメンタリー監督としての正義と、自分の中の正義をタイトル通り天秤にかけることになる。人間の中の矛盾。強いと思われた由宇子は弱かったのか。

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どちらの作品もメディアで伝えることの意味、信念を持って行動する人間の正義が侵食されていく危うさ、自分の正義を通すために人間が取ってしまう行動の虚しさ、哀しさ、など、ありきたりですがたくさんのことを考えさせられました。何度も心をざわつかせる、チカラのある作品でした。観てよかった。

外の人間に何ができるのか。
外の人間だからこそできることがある。

おかえりモネにも通じるテーマでもあったな。
やっぱり朝ドラ脳(笑)

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