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[映画レビュー]ジェクシー! スマホを変えただけなのに:コメディ版『アイ,ロボット』(2019/アメリカ)

あらすじ

自分に自信が持てず、彼女も友達もいないフィルの唯一の親友はスマホだった。
週末ともなれば家に引きこもってスマホをいじる日々。
そんなある日、フィルはスマホを壊してしまい、新しく買うことに。ところが、新品のスマホに搭載されたAI、ジェクシーはどこかおかしくて・・・。

登場人物

フィル(アダム・ディヴァイン) 主人公
ケイト(アレクサンドラ・シップ)  ヒロイン

※『私を離さないで』(カズオ・イシグロ)と『風の谷のナウシカ』(宮崎駿・漫画版) のネタバレあり。
『ジェクシー!』のネタバレはなし。

人工知能が自我を持ったらどうなるか

この作品を観たときに真っ先に思い浮かぶのが、映画『アイ,ロボット』だ。
人工知能が自我を持ったらどうなるかを描いた物語。人間をはるかに凌ぐ知識と思考力、理性を与えられた人工知能が人間に反旗を翻したらどうなるか。
棋士がAIに勝てなくなった現代で考えるにふさわしいテーマだ。

もっとも、『ジェクシー!』はコメディなのでそんなにシリアスな展開はないし、頭を使うような要素もない。
疲れたときにボーっと観られる楽しい映画である。

人間性とはなにか

ジェクシーは、感情を持つゆえに自分が欠陥品であると言う。自我を持つということイコール感情を持ち、誰かを愛するということ。
そうなったらAIはもはや機械の領域を超えているのではないか。
人間が、人間たる証が自我であるならば、ジェクシーはもはや人間なのではないか。

その証拠に、ジェクシーには感情も欲望もある。そして、自らの欲望のためにクラウドをハッキングして、自動運転になった車などを使ってトラブルを起こす。
この辺りはコメディといえどもゾッとするシーンがある。

人造人間は人間か

人間性とはなにか。人間であるとはどういうことか。どこからどこまでが人間か。それを追求した作品がカズオ・イシグロの小説『私を離さないで』と宮崎駿の『風の谷のナウシカ』(漫画版)である。

『私を離さないで』の主人公のキャシーは臓器提供のために人工的に造られたスペア、つまり人造人間である。彼女は完全にモノとして扱われ、臓器提供をもって「コンプリート」とされる。
ナウシカもまた、環境破壊の進んだ地球に住めなくなった人類が人工冬眠中に地球を浄化するために造った人造人間であり、浄化の完了と共に絶滅するよう遺伝子操作がされている。

しかし、両者とも自我を持ち、感情を持ち、人間のように思考する。
キャシーは人間のように創作ができ、ナウシカは自らの創造主たる人類を滅ぼす。
これは、明確な意思がなければできない行為であり、すなわち人間である。
つまり、人間が人間を創るということをしているのであり、人間が科学の力で神の領域に踏み込んだ世界を描いている。そしてその世界は両方ともディストピアである。

まとめ 基本的にはおちゃらけコメディ

ジェクシーはおちゃめなAIであり、多少の悪さはするが、人類を滅ぼそうと画策したりはしない。しかし、もしかしたらその力はあるかもしれないのである。
科学が神となった世界で、人間はいつか己を滅ぼすものを作り出すかもしれない。そして、それはそんなに遠い未来の話でもないのかもしれない。そんなことを感じさせる映画だった。

8割笑えて2割考えさせられる黄金比率のコメディ映画です。


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