記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

主人公より強い男が生存を許されない世界: ママ系ヒロインによちよちされながら成り上がるゲーム『ネタバレが激しすぎるRPGー最後の敵は勇者の父』【ゲームレビュー/ネタバレ】

今回は味変でゲームをレビューしてみます。こんなにレビューしたいと思ったゲームは初めてです!
『ネタバレが激しすぎるRPG〜』はシナリオがとても秀逸でネタバレしているようでありながら結構ネタバレしていない(?) 的な面もあり、まるで本やアニメのようにストーリーも楽しめるRPG。特にキャラのネーミングセンスが抜群で声を上げて笑うレベルの面白さです。
ただ今回のレビューの本線はそこではなくフェミ系(というか厳しめの女目線の話)ですので、そーゆーの無理ぃ!な方は回避お願いします。


あらすじ

主人公、ハロルド・ケンジャノッチの国では国民が失踪する事件が相次いでいた。事態を憂慮した国王クロマークはケンジャノッチに黒幕である魔王ユウ・シャノチーチの討伐を依頼する。
だがいざ魔王と対面したとき、ケンジャノッチ一行は衝撃の事実を知ることになるのだった……。

1.驚くほどに幼い主人公がしっかり者のママ系ヒロインによちよちされながら頑張る冒険物語!

まず主人公に感じるのは圧倒的幼さである。皆を救うため、自分の意志で勇者になったものの、その責務を果たせているのか、皆の役に立てているのかを自意識過剰的に延々うじうじと悩み続ける。
そして、戦闘が始まるや尻込みをし、同行者(両方女性)の陰に隠れてしまう。
その後冒険が始まっても自分の意志はほとんどなく、終始パーティメンバーに先導される形で進んでいく。
人間臭さを感じるというレベルではなく言動も考え方も十歳児並みの意志薄弱な男である。
このように、主人公は非常に他力本願で自分の意志がないキャラクターなのだ。

だが、これはさしたる問題ではない。なぜなら、このようなダメダメ系主人公というのはゲームに限らず小説でもアニメでも映画でも数多く存在し、視聴者や読者はそれに自分の弱さを重ね合わせて感情移入しながら物語を追っていけるからだ。こういったキャラクターは一種のデフォルメされた人間の劣等感とでもいうべきだろう。
だから主人公の初期のダメさ加減は全く問題ではない。
問題は、そのダメさが根本的には最後まで直らず、精神年齢十歳のまま冒険を終える点である。
これがどういうことかを次で説明していこう。

2.精神年齢十歳でフィニッシュ!主人公が最後まで大人になれないわけ: ほぼ強運だけで成功したので最後まで精神的成長がない。

それでは成長物語であるはずの冒険譚で主人公が全く成長できていないというのはどういうことだろうか?
それは、成功の仕方にある。
主人公ケンジャノッチはその名の通り「賢者の血」を引くスーパー賢者である。本当に大事な人が危険に晒されたときにその力は発動し、無敵になる。
ヒロインであるマーシャ・ウラギールは出会った当初からそのことに気づいており、あなたはすごい人なのよと折に触れてはケンジャノッチを励まし、慰め、鼓舞する――俗に言うとよちよちしてくれるのだ。
主人公はこのウラギールの献身的な支えのもと、何とか自分を奮い立たせて強敵に挑んでゆく。そうして魔王を倒し、裏で糸を引いていた国王と王妃を倒し、国の問題を解決し、ウラギールの愛を獲得し、ハッピーエンドを迎えるのである。
問題点はここなのだ。

ケンジャノッチが成功したのはほぼ運のおかげで自分の実力ではない。
偶然賢者の血を引いていたことから無敵パワーを手に入れ、ウラギールの愛を手に入れ、そして悪を倒して成り上がったのだから、すべての幸せは遺伝と運という自分では操作できない外的因子により手に入れている。ありていに言えば、自分ではほぼ努力していないのだ。
ラッキーで賢者だったおかげでウラギールに気に入られ、敵を倒し成り上がれた。
ゆえに、自身で努力したり、何かに打ち克ったりしていないので精神的成長はなく、主人公の性格や本質的な部分は最初から最後まで変わっていない。
相も変わらずママのウラギールによちよちしてもらって尻を叩かれないと何もできない状態である。
そして精神年齢十歳でフィニッシュするのだ。

成長とは何かを考えたときに、一つの基準は自分で自分を幸せにできるかどうかであると思う。
最近テレビで見た女性タレントの言葉で非常に印象的だったのが

私は自分で自分を幸せにできるので、誰かに幸せにしてもらう必要はありません。

というものだ。
これは非常に真理をついていると思っていて、誰かに幸せにしてもらおうと思うのが子供、自分を自分で幸せにできるのが大人、である。
だから、終始与えてもらうだけの主人公のケンジャノッチは最後まで大人になれないのだ。

3.主人公より強い男が存在しないぬるま湯の世界:父親や恋敵が無力化されたので男性プレイヤーはコンプレックスを刺激されず快適にプレイ可能!

そして、そんなお子様主人公が生き生きと輝ける世界は、現実とは違い競争相手のいない温室のような空間である。
ケンジャノッチが超えられない男は『ネタバレが激しすぎるRPGー最後の敵は勇者の父』には存在しないし、恋敵も存在しない。
順を追って見ていくと、

1 主人公以外の唯一の男性パーティメンバーのルキウス・スグシヌヨンが冒頭五分で雑魚死
2 魔王ユウ・シャノチーチを撃破
3 国王クロマークを撃破
4 主人公の父はスライムとなり無力化

このように、ケンジャノッチのライバルとなりそうな男性キャラは次々と死亡していく。
それに対し、女性パーティメンバーのウラギールとテレーゼ・アイキューサンは冒険の最後まで主人公に同行し、(主にウラギールが)主人公を褒め、励まし、慰め、よちよちし、戦闘でも援護してくれる。
アイキューサンに至っては、一度敵対し死亡したように見えたにも関わらず再びパーティに合流している。

このぬくぬく環境が示すものは何か。
それは、(主に他の男性との)競争社会に疲れた男性の、甘やかされたい、よしよししてもらいたい、努力はしたくないでも地位も金も女も手に入れたい、という現実逃避的願望である。
自分にとって脅威とならない女、それもママのようにあふれる愛情で包み込みよちよちしてくれる女だけがいる環境に身を置きたいという願望がこれでもかというほど滲み出ているのだ。

だから、恋敵となりそうなスグシヌヨンは即雑魚死し、最強の魔王も国王も倒され、父親は言葉をしゃべることもできないスライムとなり無力化される。
男性にとっては最初の、そして一番の壁であるはずの父は最初から不在であり、出会ったときには弱弱しいスライムとなっているのだ。
これが最も象徴的にこのゲームのシナリオの本質を表しているだろう。
父親への劣等感を刺激しないような造りになっているのだ。
本来あるはずの、そしてタイトルから最も予想されるはずの、父親への葛藤や劣等感、父親とのやり取りは一切登場しない。だってスライムだから。
口もきけない弱いスライムだから壁を超えるも何もなく、主人公はあっさりと父親に勝利する。
このように男性プレイヤーのコンプレックスを一切刺激しない温室的俺TUEEE環境が整っているからこそ、特に男性は心地よくプレイできるゲームなのだ。

まとめ ではどういう展開が理想だったのか?:エンタメにも多少のリアリズムが欲しい派の意見

ここまでグダグダと言ってきて、じゃあ何だったら満足だったんだよ?と言われれば、その答えはウラギールと父親の立ち位置ということになるだろう。
ウラギールは一見主人公を裏切る風の名前をしておきながら、最終的には真の黒幕であり自分の上司である王妃・フリーンを裏切り主人公側につくキャラクターである。
また、ここまで散々述べてきた通り、ケンジャノッチのメンタルコントロール係であり、かつケンジャノッチに好意を抱いている美人の魔法使いヒロインである。

彼女は当初、フリーンの部下として主人公に取り入り、世界征服をするために動いていたキャラだったが、主人公を好きになったためにフリーンを裏切ることになる。おそらくここが一番の非現実的要素であろうと思う。
言っちゃ悪いが、客観的に見て主人公に惹かれる要素は何一つない。
意志薄弱で自意識過剰の小物感溢れるキャラだからだ。
そのケンジャノッチにウラギールがなぜそこまで惹かれるのかが単純に理解できない。
一部のダメ男保護したい系女子(ハーマイオニー系女子?)にはウケるかもしれないが、大半の女性は惹かれないようなうじうじ系男子だからである。
だからもし、シナリオをもっと現実的にするのであれば、ウラギールは任務を終えたら主人公から離れる、というのが自然だろう。
そうしてフリーンの幻惑魔法は、愛の力などというふわふわしたものではなく、自らの力で解除すべきだろう。

そして二点目に改善するとすれば、父をよわよわスライムせずラスボスにするのが良い。
ものすごくフロイト理論を信じるわけでもないが、男性にとって永遠のテーマの一つといえるのが「父を超えられるか否か」であるというのは古今東西さほど変わらないだろう。
息子にとって最初で最大の壁は父であり、父を超えようとして葛藤し苦しみ傷つき、成長してそのうち折り合いをつけていくものだ。
その部分を描写するために父をスライムではなく、ラスボスにすればよりリアルを描けるだろう。

だが、エンタメ作品にリアリズムは必要ない、というのももちろん正しい。
現実は厳しいし痛いしただただ疲れる。だからそこから逃避するためにチートで俺TUEEEしたいし、ハーレムまたは逆ハーレムでチヤホヤされたいし、競争相手のいないぬるま湯環境でぬくぬくしたい。それもわかる。
だから女性は少女漫画を読むし、男性は俺TUEEEラノベを読むし、こういったゲームも流行るのだ。
それが悪いことだとは全く思わない。
ただ多少のリアリズムがあった方が感動するのも事実である。これは本当に好みの問題だからどちらが正しいとかではないと思う。

だから散々シナリオ批判をしたが、このゲームが嫌いだとかでは全然ない。ただ、今も昔も多いご都合主義的展開にちょっと思うところがあっただけである。
ゲーム自体はめちゃくちゃ面白いので(何度も言うが特にネーミングセンス)ぜひやってみることをオススメします!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?