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総合型選抜とJTC就活の類似性

 以前の記事で総合型選抜と就活の類似性について言及した。日本のJTC総合職の採用基準は総合型選抜という要素が強く、大学受験での総合型選抜の拡大は二重になるのではないかという議論を書いた。

 総合型選抜の良いところは選抜までの数年間に色々な方向性で頑張った人間を評価できるところにある。例えば最難関企業の内定者を見ると、そのスポーツや国際交流などで顕著な働きをした人間を多数見つけることができる。これがもしペーパー試験であれば選抜までの数年間を受験勉強に充てなければならないだろう。頭のいい人であっても試験突破には労力が必要なので、活動の幅は大きく狭まってしまう。

 一方で総合型選抜には悪いところがある。それは属性による採用基準が横行することだ。これは採用する側の差別意識というよりも総合型選抜がもたらす本質的な要素なのだろう。これは就職に関しても見出すことができる。

 例えばわかりやすいのが年齢だ。東大の場合、総合型選抜は現役または一浪までと明記されている。一般選抜の場合にこのような制限は存在しない。東大にエイジズム的な傾向があるとは思えないから、これは総合型選抜に伴う本質的な特徴なのだろう。これは就活にも言うことができる。日本企業の場合、基本的に入社できるのは二浪までである。JTCの就職が総合型選抜である以上、こうなってしまうのだろう。人生100年時代に25歳で年齢制限に引っかかってしまうのは酷だが、こうした慣行に疑問を持つ人間は民間企業に向ていないということかもしれない。

 この点で資格業はそこまで年齢要件は厳しくない。さすがに50歳60歳になったら厳しいかもしれないが、25歳程度であれば何も問題はないだろう。ちなみに言うと公務員も民間企業よりは多少緩いところがある。これまた公務員試験というペーパー型選抜が存在するからだろう。

 より議論を呼ぶのは他の属性だろう。例えば性別が挙げられる。筆者の祖母が就職した1960年代は大卒女性の就職先は無かった。大手の民間企業に行ってもまず採用されることはなかったらしい。ところが現在は全く違った状況になっている。寧ろアファーマティブアクションの名のもとに女性ばかりが優先して採用されている。東大の推薦も男女一名ずつという基準がある。一般選抜にこのような制限が科せられることはあり得ない。

 これが示すのは、総合型選抜が属性による判断と切っても切れないことだろう。アメリカでは黒人は不当に排除されていたが、最近はアファーマティブアクションのもとに登用が進んでいる。この場合、黒人と貧しい白人の間の違いは何かという争点が持ち上がる。救済されるマイノリティと救済されないマイノリティの違いは一体どこにあるのだろうか?総合型選抜の元ではマイノリティは不当に排除されることもあれば、不当に登用されることもある。「不当」とは何か、明確に説明できる人間は誰もいない。要するに、総合型選抜では属性による判断が不可分であり、アファーマティブアクションは誤魔化しているに過ぎないということだ。

 他にも副次的かもしれないが、総合型選抜の場合はコースが決まってしまうことがあるだろう。東大推薦の場合は当初から進む学部が決まっている。進学選択で別の学部に進むことができる一般選抜の学生とは異なっている。コースが決まってしまう点ではこれまたJTCに近いかもしれない。

 日本人の人生プランの中心を占めているのはJTCだ。JTCの独特の慣行には不思議なところがたくさん存在する。例えば資格業は多少年齢が過ぎていてもコースに戻ることができるが、大企業の場合は不可能だ。女性の登用に関しても、少し前までは女性は大企業からは排除されていた。空白期間に関しても同様で、資格があれば容易に元の職に復帰できる。ところが大企業では不可能である。今の中高年の世代では桜蔭⇒東大⇒興銀という経歴でも一度子育てで復帰してしまえばスーパーのレジ打ち程度しか任せてもらえないという話はよく聞く。なぜ、看護師や薬剤師に可能なことが金融機関やメーカーには不可能なのだろうか?

 それはおそらく総合型選抜という会社の採用プロセスが原因の一つなのではないかと思う訳である。総合型選抜の性質は属性に強く関連するので、差別もしやすければアファーマティブアクションもしやすい。どこまでも基準が曖昧だからだ。当然、コネも横行する。創業者の一族だったり、関連会社からの出向だったりするだけで普通の人間が入れないような会社に入ることができる。コネを排除する客観的な基準が無いのだから、何も問題がないことだ。大手商社をやめて応募してきた55歳男性と、関連会社の口利きで派遣されてきた55歳男性、両者の能力は変わらなかったとしても、前者は門前払いで後者は特上の役職と給与が与えられるだろう。

 総合型選抜は一件多様に見えるが、実は点数という基準がある世界よりもはるかに偏狭になりうるのである。これは突き詰めてしまえば総合職と専門職・自営業の違いにも言えるかもしれない。ある意味で大手企業総合職という立場も属性ひいては「身分」であり、その恵まれた待遇と仕事上の能力に関連はないのかもしれない。

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