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IBJで振り返る、失われた名門企業の残り香

 今回は論考ではなく、思い出語りになる。

 私はマッチングアプリというものをまだ使ったことがない。なんかタイミングを逃してしまったのだ。ただ、20代社会人の関心の的と言えなんといっても結婚だし、アプリは最も重要な手段となっている。同僚とアプリの話になることもよくあることだ。

 会社同期と遊んでいた時のことだ。その時話題になっていたのはIBJというマッチングアプリのことだった。その時ある同期が言ったことがある「IBJってDBJ(政投銀)とかBOJ(日銀)とかみたいだよな」

 筆者はその時冗談で「IBJって興銀じゃね?あれ確かindustrial bank of japanじゃん。興銀つぶれちゃったからOBが作ったんじゃね?」と言ってみた。

 気になったので同期とその場で調べてみたのだが、なんとこれがビンゴだった。創業者の石坂茂氏は東大経済学部から興銀に入ったが、経営破綻をきっかけに起業の道を選び、なんと成功してしまったようだ。他にもIBJの創設メンバーには興銀出身者がちらほら存在するようだ。なんと筆者の直観は大当たりである。仕事に役に立たない下らぬ考察にかけては右に出るものがいないのが筆者の長所だと思っている。

 その昔、日本には長期信用銀行というカテゴリの銀行があった。具体的には長銀・興銀・日債銀である。これらの金融機関の業務が都市銀行と大きく違ったわけではなかったのだが、昭和の就活事情では普通の都市銀行よりも「格上」という扱いだった。みずほ銀行の合併の際にも興銀は敷居が高く、勧銀や富士銀と比べるとお高く止まっていた。これはみずほ銀行統合の際に一つの障害になる。内定者は東大卒が三割くらいで、この点も普通の民間企業とは一線を画していた。大蔵省を頂点とし、日銀・開銀・輸銀・都市銀などと続いていく、日本のエリートの中心だった。

 そんな三行だったが、あえなくバブル崩壊で破綻する。かつてのエリートも夢のあとだ。興銀はみずほ銀行になり、長銀は新生銀行になり、日債銀はあおぞら銀行になった。これらの銀行が倒産したわけではないのだが、エリートの受け皿としての格は維持できなくなり、優秀な社員の多くは外資系に転職したり、起業の道を選んだようだ。筆者が子供のころに住んでいた家の近所の住民は東大法学部卒・元興銀(長銀だったかも)という経歴で、コンサル会社を立ち上げて年収は億を超えていたらしい。見た目はキラキラしているが、いろいろ葛藤があったのだろうなと思った。

 そんな三大長期信用銀行だが、倒産が功を奏してか、有名人の排出率は高い。50代以上のコンサルのおじさんをみると、結構な確率で興銀長銀日債銀の出身者が存在する。その中でも最も有名人を輩出しているのは長銀かもしれない。岸田文雄や林修は長銀の出身である。日本の政治と大衆文化のトップだ。興銀に比べて自由な社風が影響しているのかもしれない。長銀の同期会はいまだに開かれていて、盛り上がるようだ。会社が無くなったしまったからこそ、名門校のOB会のように集まって盛り上がれるのかもしれない。会社は潰れないに越したことはないが、潰れたとしてもこんな味わい方もある。

 他にも、世間で有名でなくても、転身してビジネスの世界で成功した人間は沢山存在する。IBJもそんな「転生先」の一つだろう。興銀というエリート企業は失われてしまったが、マッチングアプリという奇妙な形で形で名前だけは引き継がれている。時代の波とともに消え去った昭和のエリート企業。こうした考え方はビジネスの世界では異質かもしれないが、細々と受け継がれている名前に一筋の残り香を感じてしまうのである。



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