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<MBTI>N型に告ぐ!キャリア形成で意識すべき、たった一つのこと

 最近はMBTI記事をあまり書いていなかったのだが、フォロワーの方からのリクエストでN型のキャリア論について書いてほしいというものがあった。今回はN型がキャリア形成で困難を抱える原因と、キャリアにおいて意識すべきことを書いてみたいと思う。

N型は辛いよ

 N型といっても色々いる。EN型は総じて新卒就活は強いが、IN型は苦戦することが多い。NT型は達成志向が強いが、NF型にとってキャリアはより大きな人生の何かの一部でしかない。NP型は会社で露骨にきつそうな顔をしているが、NJ型は優秀な扱いであることが多い。N型といっても千差万別である。

 ただし、筆者の周囲を見ていると、N型はそれなりに困難を抱えることが多いようだ。筆者の知っている中にはいわゆる「学者タイプ」の人間が多く、彼らはとんでもなく頭が良い人間も多かった。学者タイプは落ちこぼれる・就活に失敗するという趣旨の記事を以前書いたことがあるが、実際は余りある能力で誰もが羨む進路をたどった者も多い。それにもかかわらず彼らは離職したり自殺したり仕事は続けていても不満げであることが多い。N型はどうにも社会に出てからの人生が難しいようだ。一方でN型であっても何とかキャリアを形成している人間も多い。彼らを考察していると、ある重要な項目が浮かび上がってきた。N型がキャリア形成で意識しておくべきこと、それは・・・










   「自己決定権」である。

 給料や社会的威厳はそこまで問題にはならないし、本質からはズレている。N型はメンバーシップ型組織や終身雇用との相性が悪く、厳格な官僚制組織ではストレスをためてしまうことが多い。ここに気が付かないと的外れな苦労をしてしまう。

 また、N型は人生のどこかで転職をしたくなることが多い。筆者の周囲のN型は優秀か否かにかかわらず、S型よりも明らかに高い頻度で転職している。新卒で官公庁や政策金融機関のようなエリートコースに乗った者ですらそうだ。N型は人生のルートが固定化されると、途中で嫌になってしまうのだ。基本的に転職することを前提にキャリア形成を考えた方が幸福度が上がることが多いだろう。

 また、大規模な事業体とも相性が悪いと考えて良い。専門職採用や社外取締役など独立性が高いポジションなら問題にはならないのだが、プロパーの総合職としてのキャリアはなるべく避けたいところだ。

N型とサラリーマンの相性の悪さ

 こうした根本的な要因は何か。S型はあくまで見えている現実をもとに行動や価値観を決定するの対し、N型はその優れた想像力を生かして眼の前の現実とは異なったライフデザインを考える傾向がある。N型が未来志向とか理想主義と言われる理由はここだ。となると、S型は環境に大して順応的であるのに対し、N型は環境を形成したがるという違いが生まれてくる。N型の強みは型にはまらない発想力であり、しばしばこうした特徴はあっと驚くような転身を果たしたり、時代を変えるようなイノベーションを生むことに繋がるだろう。

 ところが、こうしたN型の特性はいわゆるメンバーシップ型のサラリーマン組織との相性がかなり悪い。N型が幸福度が高くなるシチュエーションは基本的に行動の自由度が高い時だ。しかし、サラリーマン組織は業務の独立性や裁量権が乏しく、N型にとっては極めて苦しい場所となってしまう。N型が持ち合わせている創意工夫や行動力がほとんど報われないのである。大企業は高度に組織化されており、集団主義が強い。S型はこうした環境に難なく適応することができる。N型の多くは仮に条件の良いホワイト企業に就職したときですら、どこか不満げで挫折感を感じることが多いようだ。65歳までの人生が見通せてしまうし、社内のちょっとした出世を除けば自分の可能性はもう残っていないという事実に絶望してしまう者が多いようだ。

 メンバーシップ型雇用を念頭に置くと基本的に組織の強さ=個人の待遇になりがちである。したがって基本的に中小企業よりも大企業の方が大軍は良い。しかし、大規模な事業体になるほど、まさにその理由によって官僚性組織の性質が強くなり、個人の裁量権は乏しくなってしまう。これがN型の苦しみの原因となる。N型はこうした事実に直面してあえて安定した大企業を捨ててベンチャーやフリーランスへと飛び込んでいく。しかし、こうした事業体は福利厚生が怪しく、茨の道だ。結局、安定した人生を歩むには我慢して大企業に居続けるしか無いとN型は悶々としがちである。S型の人間はこうした状況があまり苦痛にならないらしい。それどころか体育会系組織に順応してむしろやる気満々だったりする。N型から見ると奇妙極まりない人たちだろう。

 サラリーマン関係のビジネス書を読んでいると、やはりS型の性質が強いのではないかと感じることが多い。サラリーマン関係の書物は「組織の歯車になれ」とか「現状を受け入れろ」など、とにかく既存の環境に適応することを重視しがちである。安易な転職は忌避されるし、条件が悪くなったり、履歴書が汚れてしまうことが多い。サラリーマンの働き方の自己決定権はかなり低いので、こうなってしまうのだろう。新卒一括採用・配属ガチャ・全国転勤・転職の難しさ・役職定年などN型にとっては憂鬱なイベントばかりである。

N型に勧めたい進路選択

 というわけで、N型が満足の行くキャリア形成をするのはなかなか難しい。N型が満足度の高いキャリアを思い描くには「自己決定権」という軸に則り、以下のような条件を満たすことが望ましい。

・転職が容易
・働き方の自由度が高い
・業務の独立性が高い
・小規模な事業体
・独立・開業が容易
・キャリアの属人性が高い

 これらの条件をことごとく満たしていない場合、仮に興味があってやりがいを感じるような職場であってもいずれ不満を溜め込んで燃え尽きるかドロップアウトしてしまうことが多いようだ。

  以前、ミクロ型エリートとマクロ型エリートの違いについての記事を書いたのだが、N型は基本的にミクロ型エリートを選ぶべきである。ここで言うミクロ型エリートは医師や弁護士など職業観が「個人」に帰属するもので、マクロ型エリートは官僚や総合商社など職業観が「集団」にに帰属するものである。前者は小さなパイの大きな取り分、後者は大きなパイの小さな取り分に例えられる。

 N型にとって軸となるのは自己決定権であり、金や社会的地位は手段または副産物に過ぎない。出世して役員になりたがるのも、根本的な原動力は裁量を拡大したかったり、自己実現がもしかしたら可能ではないかと期待しているからではないか。給与水準に関してもそれ自体が効用というよりはやはり人生の可能性を広げるという点が本質に思える。給料が上がっても日常がガチガチに拘束されてしまったら幸福度は上がらないし、出世しても組織の歯車だったらやはり幸福度は上がらないだろう。

 以下、N型に比較的適性が高い進路について書いていきたいと思う。

医師や弁護士などの難関資格 

 フォロワーの方はまたこの結論かよ!と感じるかもしれないが、勉強ができるN型は医師や弁護士などの難関資格を取ってしまうのが最も手っ取り早い。これらの難関資格は属人的であるため、職場を辞めたところで剥奪されることは無い。これだけでもN型にとってはアイデンティティの拠り所になる。

 医師や弁護士はその高い専門性が故に転職が容易であり、独立開業もしやすい。「先生」と呼ばれる職業であるため、業務の独立性も高い。あまり一般的ではないかもしれないが、バイトで生活したり選挙に出馬したりということもできる。N型のサラリーマンが悩みがちな要素が医師や弁護士の場合は克服されていることが多いのである。

 医師や弁護士であってもエリートコースを進もうと思えば大変だし、並みのサラリーマンよりも遥かに過酷だろう。しかし、医師や弁護士の場合はキャリアの選択肢が多様であるため、駄目だと思えば別の道を進むことができるし、こういった道を切り開くことはN型にとっては得意分野だろう。

 S型にとっては不可解だろうが、N型にとっては「ただ可能性がある」だけでも幸福度は上がる。筆者の職場のおじさんに働きながら4年ほどで司法試験に合格した人がいるのだが、特に転職はしていない。弁護士事務所を自営するよりも大企業の福利厚生に預かったほうが良いし、別の会社でインハウスをやるよりも人脈の多い今の会社に居たほうが自分にとって居心地が良いとのことである。転職できないで悶々とするのと、転職できるのにあえて会社にいるのでは満足度が違うことは明らかだろう。

 また、医師や弁護士の場合は業務の独立性が高いため、小規模な事業体であっても十分な収入を得ることができる。これが最大の強みかもしれない。普通のサラリーマンが医師や弁護士に匹敵する待遇を得るには大企業に入らないと行けないので、官僚制組織の下で苦しい思いをすることになる。

 なお、医師や弁護士は社会人になってから転身することも不可能ではないが、これを試みる人間は100%N型だろう。新卒で進むよりも不利にも関わらず、満足度は高そうである。

教職・予備校講師など

 これまたN型にとって満足度が高い業界と思われる。教育という分野は業界のカルチャーなのか、業務の独立性が高い。進学校の人間なら誰しもが頷くだろうが、進学校の先生は優秀な人ほど教科書を使わずに手製のプリントで授業をやっていることが多い。これは大企業のサラリーマン組織には見られない状況ではないだろうか。個々人の創意工夫がダイレクトに反映できるわけである。

 また、教職はジョブ型の資格業であるため、サラリーマンに比べると転職等もし易いかもしれない。子育てでキャリアの中断があったとしても、復帰は遥かにし易いはずだ。それに学校は事業体としてそこまで規模が大きくないため、大企業のような厳格なマネジメントは不要である。

 ただし、教職の問題は最近良く知られているように、あまりにも多忙であることだ。明らかに業務に見合っていないだろう。これはN型の仕事にありがちなデメリットである。N型は物質的な見返りに無頓着な傾向があり、ブラック化しやすいのだ。また、最近は無駄な書類仕事が増えているとも言う。

 予備校講師等も選択肢としてあり得る。これも基本的な性質は教職と同じである。カリスマ予備校講師は存在するが、カリスマサラリーマンは存在しないあたり、業務の独立性の高さを物語っているだろう。ただし、予備校講師の場合は勤務が夜間になることと、給与水準が低いのが難点である。ただ教職と比べて教えること以外の仕事が少ないのはメリットだろう。

 高学歴難民の最後の砦となっているのが受験産業だが、その理由の一つはN型の形質が報われやすいところにあるかもしれない。学者崩れの高学歴難民にとって、同じ給料だったら中小企業の営業担当になるよりは予備校で得意科目を教えたほうが遥かに精神的な満足度は高いのだろう。カリスマになれば独立したり参考書を出版したりすることも可能である。

学者・研究者

 おそらくN型にとって理想の職業は学者かもしれない。N型の持つ思考能力や創造性をダイレクトに活かす事ができるからだ。それに業務の独立性が高く、社会的地位も高い。匿名ブログでコソコソとではなく、堂々と公の場で発信することも可能だ。これ以上に恵まれた立場はない。

 しかし、これらの仕事の難点は兎にも角にも「食えない」ことである。アカデミアの闇は最近ようやく知られてきた。アカデミアの雇用形態は悲惨であり、しかも給与水準は300万台だったりする。筆者の周囲を見ても挫折して民間企業等に進む人間が大半であった。

 というわけで、学者・研究者はN型にとっての天職でありながら、安易に勧めることができない業界となっている。医師免許等を持っていない場合、民間企業の新卒一括採用の壁に阻まれることが多く、かなりのリスクをはらんでいる。例えば筆者が通っていた進学校やS台予備校は博士課程で挫折した人が多かった。それでも教育関係の仕事に付けたことでなんとか満足の行くキャリアを歩めたのかもしれない。何人かは運良く大学教授への転身に成功している。

エンジニア・アナリストなどの企業内専門職

 N型との相性が比較的良いのはエンジニアのような専門的な職業である。こうした職業は業務の裁量権に関しては微妙だが、何か興味のある技術を極めるという要素が強いため特にIN型にとっては比較的相性が良い職種だろう。こうした職業観はサラリーマンに比べるとキャリアが属人的であるため、アイデンティティの葛藤も経験しにくい。

 また、文系総合職に比べると転職も容易である。N型は環境に含まれない項目に関しては強みを発揮するので、転職活動との相性は良いと考えて問題ない。筆者の周囲のN型を見ても、新卒でないと入れないような企業に何らかの手段で華麗に転身した者がいる。こういった芸当はN型の得意とすることだろう。

 ただし、医師や弁護士と違って資格業ではないので、このような普通の専門職は大規模な事業体の被用者として就職することが多いという事情を加味する必要がある。インフラやメーカーの場合は上に文系総合職が君臨することが多いし、総じて社風も保守的だ。いわゆる「理系は偉くなれない」である。一方でIT系などの場合はそこまで保守的な大企業にこだわる必要はない。

 企業内専門職は被用者という形にはなるが、INTPなどであればむしろ被用者の方が税務等をやらないで済むので、個人事業主よりも気が楽かもしれない。体育会系根性論が幅を効かせているケースはまず無いので、下手に医師や弁護士になるよりもINTPにとっては満足度が高いというケースも考えられる。また、大企業は福利厚生が手厚いため、見かけ以上に給与水準は高いということも留意すべきだ。労働法制がちゃんとしていることも魅力である。最近インハウスローヤーが流行っている事情の一因はこれなのだろう。

 筆者の周囲で観測されるめちゃくちゃ頭の良いN型は意外に大企業などにこだわらず、中規模な会社でデータサイエンティストなどをやっているケースが多い。S型の価値観だと「パッとしない」ように思えるのだろうが、本人は十分に考えた上でそうしたキャリアを歩んでいるのである。

 必ずしも必須というわけではないが、この手の進路を選択するうえでは基本的に理系に進学した方が無難である。

起業・自営業

 個人事業主であっても大変さの程度は変わらないのだから、サラリーマンが文句を言うべきではないという人がいる。確かにそうかも知れない。しかし、筆者の親戚などを見ていると、個人事業主になったN型は総じて満足度が高そうである。同じ苦労でも被用者としての苦労と個人事業主としての苦労では全く感覚が違うらしい。理屈では説明できないが、やってみるとそうらしいのだ。

 自営業は資格業や専門職とはまた毛色が違うが、属人性は極めて高いし、裁量権も広範に存在する。創意工夫の発揮の余地が多分に存在するのである。自営業の場合は転職は基本的に困難で、土地に縛り付けられることになるが、現実のN型を見ているとこの点はそこまでストレスにならないようである。

 ただし、こうした個人事業主の場合は大変なリスクが伴うので、くれぐれも慎重に行う必要がある。なるべくなら医師や弁護士など独立開業が容易な難関資格業であれば望ましい。なお、N型のビジネスセンスは高いとも低いとも言えない。N型は一般に金銭や実利に関する関心が低いと言われるが、EN型はむしろ実業家の印象もある。S型はあくまで現実的な間合いで商売を考えているのに対し、N型の場合はアイデアの実現に重きを置いているように思える。

ベンチャー企業・フリーランス

 これも先程の自営業の延長線上である。ベンチャー企業の場合は性質上裁量権が効きやすいため、優秀なN型にとっては比較的生きやすい環境かもしれない。ただし、ベンチャーは不安定であり、中高年の時のキャリアを考えると慎重に進める必要があるだろう。

 フリーランスも同様だ。フリーライターなどの自由業はN型が好む形態の一つであるが、福利厚生は期待できないし、生涯賃金その他は大きく劣ることになる。また、N型が好むフリーランスの業態は「食えない」ことが多いので、慎重になる必要があるだろう。

N型に勧めない進路選択

 一方でN型に勧めない進路選択もある。進路選択が不適切だった場合、単に幸福度が低いだけではなく、取り返しのつかない失敗になることも多いのだ。

 N型が避けるべき進路の筆頭はメーカーやインフラといった保守的な企業の文系総合職である。いくら給料が高くてホワイトでもN型がこれらの業界に進むのは辞めたほうが良い。文系総合職の場合は業務の独立性が低い上に裁量権が乏しく、N型は嫌気がさしてしまうことが多い。上級管理職まで出世したり、専門的な部署に配属されれば別かもしれないが、基本的にN型にとってはあまり充実感を感じられないのではないか。追い打ちを掛けるのはこうした業種の文系総合職は転職市場での価値がほとんどないことである。となると、転職が難しいため、ますますN型の閉塞感が強まってしまう。

 重厚長大系に比べればマシだが、総合商社など、いわゆる「就職人気企業」に関してもそこまでおすすめはできない。大規模な事業体である上に転職前提のキャリア構築が難しいからだ。筆者の周囲を見てもこの手の就職先で満足げに活躍している者はS型ばかりである。N型の多くは外資などに転職してしまっている。残っている者も仕事やキャリアに関してはどうにも不満げである。

 やはり基本的に保守的な大企業の文系総合職という働き方がN型との相性が悪いと考えて問題ないだろう。文系総合職は組織の強さに依存するため、良い待遇を受けたければ大規模な事業体に行く必要がある。しかし、こうした事業体は自己決定権が乏しく、N型の多くにとって居心地が悪い。定年まで我慢して働いていたが、大して出世もしなければやりがいを感じることもなく、モヤモヤしたまま引退するというN型は結構多いのだ。この点、S型であれば集団行動や慣習に自然と染まっていくし、個性を発揮することにもそこまでこだわりがないので比較的適応することができる。

 この点、転職はN型にとって救いがある。サラリーマンが最も自発的に活動が転職活動だからだ。ただし日本のサラリーマン社会ではまだまだ転職は忌避されるので、慎重に行うべきである。なるべく難関資格を取得するなどして転職前提のキャリアを準備しておきたい。

N型組織という難題

 ここで扱いが難しいのが「N型組織」というべき存在だ。N型の人間が多く集まり、それなりにN型の問題意識を解消できそうな組織である。例えば代表例としてキャリア官僚・大学病院の医局・一部のメディア系企業・裁判所などにこうした要素があるという噂を聞いたこともある。ビジネスを主眼としていないエリート組織に多く見られる。

 これらの組織は確かにN型の性質が強いのだが、組織であることには変わらいないため、独特の緊張感をはらむ。N型はそれぞれ持論を持っていることが多いため、組織を作ろうとするとお互い抑圧し合うような形になる。評論家が多すぎてしまうのである。Xでエリートが繰り広げる陰湿な評論が日常のものとなっている。

 したがってN型組織には独特の権威主義的傾向や内部抗争が付き物だ。N型が多いがゆえに特定の考え方を押し付けられるような形になってしまうことがある。N型組織は確かにN型が理想を持って入ることが多いのだが、見合った満足度が得られるかは分からない。

 N型組織の特徴が極端な形で出ているのは共産党である。強烈な思想を持っている人々を中央集権型組織で統制しているわけだから、独特の権力性を伴うのは避けられない。反発する磁石を無理やり輪ゴムで束ねている状態になるわけである。共産党はエリート組織とはみなされないが、革命が成就すれば国家と社会の全てを支配する機関になるわけだから、ある意味で未来志向のエリート組織と言えなくもない。こうした空想上の可能性に命を掛けられるのもN型の特徴が強く出ていると言えるだろう。権力性と相互批判が渦巻く恐ろしい世界である。

まとめ

 細かく論じていくと際限なく長くなっていくが、重要な論点は少ない。N型はS型に比べて自己決定権に重きを置くことが多い。転職率の高さや体育会系適性の低さも全てはこの要素から派生したものだ。N型はなるべく自己決定権を大きくする方向にキャリアを設計すべきである。金や社会的威厳はあくまで副次的なものであり、それを目的としては焦点がズレた人生になってしまう。

 理由は複数あるのだろうが、基本的に日本のサラリーマン社会は自己決定権に繋がる要素は否定されがちである。N型の好む「可能性が広がっていく感覚」もあまり好まれない。サラリーマン論に関する言説も現状にいかにして適応するかとか、現状をいかに受け入れるかという観点が多く、N型の重視する可能性や自己実現とは程遠い内容が連なっている。N型の感覚では頑張れば頑張るほど可能性は広がっていくはずなのだが、現実はむしろ狭まっていくことが多い。例えば大企業で働き盛りであるはずの40代は転職市場では相手にされない年齢である。これもN型にとっては閉塞感の原因となる。

 筆者はキャリア論を記述する時に「進路選択」という単語を使うことが多いのだが、これもN型的な要素を入れ込んでいるつもりである。「仕事」とか「金儲け」ではなく、「進路選択」なのだ。最終的な目的は金銭それ自体ではないし、職場のその場限りの何かでもない。そうではなく、幼少期から繋がる人生の物語の選択肢をどう選ぶかというニュアンスが込められている。しかし、自己決定権の乏しい環境では「選択」する場面がほぼ与えられない。こうなるとN型の強みは生かしにくいし、満足度も低くなってしまう。

 こうした事態を避けるにはN型は基本的に手に職を付けて「ミクロ型エリート」を目指すべきである。一見「マクロ型エリート」の方が大きな仕事ができそうなので憧れる人が多いが、あまりオススメしない。基本的に大きな組織の末端よりも小さな組織のトップを目指すべきだ。ジョブ型雇用の場合は大規模な事業体に所属しなくてもそれなりの給与と社会的地位を得ることが可能なので、N型にとっては理想的だ。

 ただ、N型にもバリエーションがある。特にNF型はここに書いたようなキャリア論以外の方向でも活路を見出すことができるかもしれない。NT型とNF型の間にもキャリア論の違いはある。長くなるので今回の記事ではこの程度に留めるが、NT型とNF型のキャリア観の違近い内に解説したいと思う。

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