見出し画像

なぜ中学受験は難しいのか〜異なるジャンルを比較する難しさ〜

 前回の記事では実は有名中高一貫校に入る難易度は東大に入るのと同等か、それ以上に難しい可能性が高いと論じた。しかし、実際のところ感覚値以外で本当の難易度を判定するのは困難である。今回の記事ではその理論的な根拠について語っていこうと思う。

 結論から言おう。難易度の判定に必要な要素は3つ存在する。それは①相対比率②母集団のレベル③競争の激しさである。異なるジャンルの難易度比較が本当の意味で困難なのは③の客観的な判定法が存在しないからだ。それでは一つ一つ見ていこう。

①相対比率

 筆者がしばしば記事で触れている学歴ランク表がこれの一例である。母集団の中で上位何%に入っているかを難易度判定の基準にする方法だ。例えば同じ金メダルでも、競技人口の少ないスピードスケートよりも競技人口が多いマラソンの方が難易度は遥かに高いことになる。

 この方法だと東大は日本全国の上位0.3%の学力である計算になる。これを応用すれば「東大合格と甲子園の出場、どちらが難しいか」といった考察も可能になってしまう。ちなみに全国の野球部員のうち、甲子園に出場できるのは1%だ。ではこれを根拠に甲子園のほうが東大より簡単だと言って良いのか?いや、違う。それは②が原因だ。

②母集団のレベル

 次に問題なのは母集団のレベルだ。教育困難校で上位5%に入る難易度と有名進学校で上位50%に入る難易度はどう考えても後者の方が高いだろう。相対比率の単純比較が成り立たない原因は母集団のレベルが同じではないからだ。

 例えば母集団のレベルが著しく高い競技が相撲だ。相撲はそもそも体格に恵まれた人間しか参戦しないため、極めて競技人口のレベルが高い。相撲の競技人口はせいぜい5000人ほどだが、この中の上位10%に入る難易度は明らかにサッカーや卓球で上位10%に入る難易度よりも高いだろう。普通の人が参加しても即座に投げ飛ばされてしまう。白鵬は5000人の中のチャンピオンではなく、文字通り土俵すら登っていない無数のヒョロガリの上位に君臨するチャンピオンなのだ。

 先程の甲子園の例を考えてみよう。東大の母集団は全国の高校生なのに対し、甲子園の母集団は全国の野球部員だった。後者の方が母集団のレベルは高い。運動音痴の人間は高校で野球部に加入していない可能性が高いからだ。東大と甲子園の難易度比較は大学進学者を母集団にすべきかもしれない。こうなると、両者はかなり近いことになる。

③競争の激しさ

 全国ペン回し選手権というものがあるらしい。こうした趣味の大会で上位1%に入る難易度と大学受験で上位1%に入る難易度はどちらが高いだろうか。母集団のレベルを同様と仮定しても、後者の方が難易度が高いだろう。というもの、参加者が競争に掛けるエネルギーの量が全く違うからである。大学受験は幼少期から膨大な教育投資を受けた高校生が人生を掛けて挑んできている。素質面を度外視しても生半可な努力では不可能だろう。趣味の大会にここまでの情熱を捧げている人間はレアだろう。

 競争の激しさで超難関試験となったものが旧司法試験である。旧司法試験は東大よりも遥かに難易度が高く、理三に匹敵するとの定説だった。これは直感的におかしい。理三の人数が100人なのに対し、旧司法試験は合格者が少ない時代でも500人ほどだ。大学受験に参戦するのが日本中の高校生なのに対し、旧司法試験に挑むのはほぼ法学部の学生に限られる。しかも法学部であっても弁護士に興味がない人間は多い。成績上位層の大半を占める理系は蚊帳の外だ。両者が同格というのは、一体どういうことなのか。

 旧司法試験の難易度が異常に高かったのは競争が異常に激しかったからだ。5浪10浪は当たり前の世界だった。ベテラン受験生の多くは後が無い状況であり、人生の全てを司法試験に捧げていた。大学入試の場合はせいぜい1浪までで諦めてしまうので、旧司法試験のような異常な加熱ではない。旧司法試験の異常な難易度は選抜試験としての門の狭さというより、合格までにかかる多大な浪人期間が原因である。

中学受験の難しさについて

 これらの事情を踏まえて中学受験が難しい理由を考えてみよう。超進学校は実は高校からも入学可能である。中学から入るのと高校から入るののどちらが難しいかは良くわからない人が多い。高校受験の方が募集が少ないので難しいという意見もあれば、中学受験で上位層が抜けてしまうので中学受験の方が難しいという意見もあった。内部の人間であっても良くわからないよだ。筆者の体験に基づくと高校の方が簡単である。

 首都圏を例に取ろう。開成と筑駒の中学受験組と高校受験組の割合は3:1である。首都圏出身の東大生の割合を調査してみたところ、中学受験組と高校受験組の割合は3:1のようだ。2024年の東大合格者を数えてみても、例えば神奈川県の場合は私立御三家(栄光聖光浅野)の東大合格者は公立の翠嵐・湘南の合計の3倍だった。中学受験の方が母集団のレベルが3倍高いが、その分募集も3倍多いという解釈ができる。超進学校の中学受験組と高校受験組の成績は変わらないと言われているが、少なくとも東大受験という文脈においては正しい可能性が高い。

 しかし、競争の激しさは全く異なる。まずどうしても有名中高一貫校に行きたいという人間は確実に中学受験で受けるだろう。そうでなくても首都圏で競争意識の強い人間は周囲に遅れを取るのを恐れて中学受験バトルにのめり込んでいくはずだ。中学受験の旗振り役が親であることも原因の一つだ。これにより本人の競争心を超えたレベルで競争が激化していくのだ。

 一方で高校受験はどうか。難関高校を受ける層は中学受験に参加しなかったのんびりした人間か、帰国子女などで日本にいなかった人間だ。何が何でもという人間は少なく、地元の公立進学校の延長線上で受けてくる人間も存在する。リベンジ組は競争心が強いかもしれないが、中学受験のトップ層に比べればパワーが劣るし、学習ペースの関係から高校受験に多大なエネルギーを注ぐわけにはいかない。あくまで高校受験は通過点なのである。

 これらの事情により、相対比率と母集団のレベルが同じでも、中学受験の方が遥かに難易度が高い。筆者が本格的に高校受験の特進コースに入ったのは中3の秋だった。実質5ヶ月弱しかハードな受験勉強をしていない。他の同級生も似たようなものだった。そもそも中3になって始めて帰国したという者もいた。一方で中学受験組に話を聞いてみると、全然違った様相だった。小4でヨーイドンで受験勉強が始まり、小5に始めても遅いという具合らしい。小6になって受験勉強を始めたという人間は皆無だった。たぶん、中堅校に入って後から伸びるタイプは受験勉強の開始が遅かったのだと思う。

異なるジャンルを比較する難しさ

 人間の能力を客観的に査定することは難しい。大学受験の能力は野球の能力とは異なるし、相撲の能力とも違う。だが、相対的な比率を想定することで難易度を擬似的に算出することはできる。こうして東大よりもプロ野球のほうが難しいという言説が生まれてくる。母集団のレベルを算定するのは難しいが、工夫すればできることもある。中学受験の上位層の厚さを計算したのが一例だ。

 しかし、それでも本当の意味で難易度を算出するのは原理的に不可能だ。なぜなら「競争の激しさ」を客観的に評価する方法が全く存在しないからだ。スポーツの場合もプロ選手に限っては大学受験の比ではなくエネルギーを投入しているので、一概に大学受験のチャンピオンと野球のチャンピオンのどちらが難しいかを評価することができない。大学受験よりもスポーツの方が競争は緩いだろうが、ことトップランカーに限れば逆転している可能性も十分にあるだろう。大学受験の世界には存在しない、スポーツのプロアマのレベルの断絶はこうした事情によるものである。

 日本社会で学歴主義が幅を効かせている最大の理由は、勉強の「競技人口」の多さと競争の激しさにある。スポーツをやっていた人間であれば、その分野のトップランカーを尊敬してしまうのは当然だ。勉強の場合は野球やサッカー以上に競技人口が多い。その上、トップランカーだけが死にものぐるいになっているスポーツと違い、勉強は中間層であってもそれなりに一生懸命にやっていることが多い。これは単純に働き口の広さの問題である。

 学歴とは日本人の大半が人生の前半を懸けて挑んだ競技の結果なのだ。ジャネーの法則によれば人生の体験の半分は20歳までに終わるらしいので、その影響は大きい。競技人口の多さはあらゆるスポーツや資格試験を上回るだろう。就活はレールが複線化されており、学歴のようにはならない。思春期以降のモテも含めた婚活の投入エネルギー量は勉強に匹敵するが、やはり序列化が不可能なので、学歴ヒエラルキーのようにはならない。学歴を上回る「競技」はおそらく「金儲け」オンリーだろう。年収や資産が最強のステータスになる理由である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?