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挨拶はコスパ最強の仕事だ!

 ちょっと前になるが、AbemaTVでこのような回があった。

 どうも挨拶に対する反感を持つ人が増えているらしい。Z世代らしい意見ということだろうか。確かに挨拶はあまり仲良くない人間とも交わすことが求められるし、仕事上の人間と関わりたくないという人も多いかもしれない。そういう意味では挨拶が嫌という意見もあるのだろう。

 しかし、筆者は異なる意見を持っている。筆者は挨拶は非常に重要だと考えており、下手すれば人間関係に関するあらゆる事項の中で最も重視すべきかもしれない。

 まず挨拶はなぜ存在するのだろうか。人間は常に他者の存在を意識している。相手が有害な人物か無害な人物か、常に探る必要性を感じている。この際に社交として有用なのが挨拶だ。挨拶をすれば自分が無害な人間であると相手に印象付けることができる。しばしば日本人が海外に行ってビビるととりあえず(引きつった顔で)笑顔を見せたりするが、あれと似たような原理である。

 人間は単純接触効果といって、ただ日常的に触れているだけでも相手に好感を持つと言われている。実際、見ず知らずの人間よりも見知った人間を優先するという傾向はあらゆる社会に見られるものだ。コネは良い例だろう。むしろ知人を贔屓せずに見ず知らずの人間と同様に客観評価するという「フェアネス」の方が人間の本能からすると不自然なのかもしれない。

 一方、挨拶をしない場合は相手への印象は極めて悪くなる。好きの反対は無関心というように、人間にとって最も不愉快な反応は「無反応」である。ぶっちゃけて言えば「挨拶をしないこと」は動物で言うところの威嚇に近い。「あなたのことを気にも留めていませんよ」というアピールになるからである。若い人間がやりがちな、目上の人間に対して反応しないというムーブは最悪だ。オーバーリアクションで良いから反応するに越したことがない。筆者の周囲を見ても目上の人間に対して反応しないタイプの人間は就職活動に失敗したり、上司から好かれなかったりした。

 挨拶の最大の特徴はコストがほとんどかからないということだ「おはようございます」とか「お疲れ様」といった言葉を発する時の労力は極めて低い。どう考えても通勤やパワポの作成よりも楽だと思う。さらに挨拶は雑談と違ってバックグラウンドを共有する必要もなければ鋭いオチも必要がない。挨拶ほど難易度の低いコミュニケーションはない。コミュ障であっても挨拶くらいはできるはずだ。英会話でも最初に習うのは「hello」である。

 挨拶をしない代わりに同等の効果を別のもので挽回しようとすればコストは遥かに大きくなる。挨拶はただ一言「おはようございます」と発すれば良いのだが、営業成績を挙げたり無遅刻無欠席を貫いたりするのは相応の苦労が伴う。挨拶しない代わりに仕事で成果を十分に挙げられるというのなら問題はないが、平凡ないしは無能な人間の場合は挨拶は非常に有用な手段である。コミュ障で冗談の一つも言えない人間であっても毎日挨拶を欠かさないだけでそれなりにインサイダーの一員として認知してもらえるものである。

 ある意味、「コミュ障」や「無キャ」にとってやり方を間違えなければ職場の人間関係は中高よりも遥かに容易かもしれない。面白いことを言う必要も無ければ徒党を組む必要もない。挨拶をはじめとした基本的なコミュニケーションを押さえ、仕事を普通にやっていればコミュニティで問題になることはまずない。職場の付き合いというのは見方によっては友人関係や恋人作りよりもずっと簡素で難易度が低いのである。

 おそらく動画で述べている挨拶嫌悪論は挨拶それ自体というよりも、体育会系の特有の礼儀作法が嫌だったということなのではないか。確かに体育会系集団においては挨拶の域を超えたような慣習が強要されることは多いかもしれない。ただ、一般社会で求められる挨拶の水準は体育会系の礼儀作法よりも遥かに簡素なものであり、両者を混同しても良いことはないだろう。筆者は体育会系には全く適応できないタイプの人間なのだが、挨拶が苦痛と思ったことはないし、両者は違うものだと思う。

  もしかしたら体育会系慣習で挨拶を押し付けられたことによって挨拶の有用性が見えにくくなったのかもしれない。会社という場所は何でもかんでもルール化強制化しようとする人種が多いのだが、筆者としてはむしろこうした行為は物事の価値を見失わせる可能性があると思っている。

 挨拶は職場で印象を良くするために有用な手段であり、しかもコストが他に比べて極端に低い。大した労力も才能も必要ないし、長年の積み重ねも不要である。正直、挨拶をしないという判断は勿体なすぎるのだ。これほどコスパの良い心がけはないだろう。

 挨拶は不思議なものだ。古今東西どの文化圏にも存在するし、短いフレーズにも関わらず、人間関係を円滑にする作用を持つ。挨拶とは魔法の言葉だ。そう、「挨拶は魔法」なのだ。これは津波の恐ろしさや原発のリスクと並んで我々日本人が東日本大震災から学んだことの一つではないだろうか。


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