小説『ハチゼロ太陽』(下)

 わたしの学校は中間試験の時期に差し掛かっていた。高校に上がって最初のテストは、大体が中学の復習内容だと、同じクラスの石井さんが教えてくれた。石井さんはわたしと同じ英会話部に入っているのでよく一緒にいる。石井さんは姉がこの学校の2年生に居るらしく、情報通であった。
「紗弥ちゃん、この問題解けた?」
石井さんに話しかけられる。石井さんとは一緒にお弁当を食べつつ、数学の小テストの勉強をするのが日課だった。

 学校からの帰り道コンビニに寄るとそこには伊織ちゃんがいた。飲み物の棚を眺めている。どうせゆずサイダーを買うくせに、一丁前に悩んでいる伊織ちゃんを尻目に、私はキレートレモンを手にする。ここで声をかけないのも変なことである。
「伊織ちゃん、久しぶりだね」
「あれ、こんなところで会うなんて」
伊織ちゃんは優しい。この間あんなひどいこと言ってしまったのに、優しくいてくれる。変わらず屈託なのない笑顔を浮かべる伊織ちゃんに安心する。会計を終えた私たちは一緒に帰ることにした。

「恋ってなんなんだろうね」
 伊織ちゃんはいつもまわりくどい。好きな人ができたならそう言えばいいのに。確か幼稚園の時も、伊織ちゃんはこんな感じであった。
 ただでさえ夏の気配にうんざりしてる私は、伊織ちゃんの白黒はっきりしない問いかけに、もやもやする。
 「伊織ちゃん、恋してるってことでしょう。私分かるんだから」
 「ああ、やっぱり紗弥にはすぐバレちゃうのか」
 嬉しそうにそう言った伊織ちゃんの顔は幸せに綻んでいた。私は全然面白く思えなくて、多分表情も無に近かっただろう。
 「実は同じクラスの高城くんに体育祭で告白されて。それがきっかけでちょっと気になってるんだ」
 桜丘西高校はもう体育祭を終えたのか。体育祭で告白するなんて、小心者だ。お祭り気分の渦中で告白しなければならないほど自分に自信がないか、体育祭という特別な雰囲気にあやかって勢いつけて成功率を上げようとする品のない子か。
 どちらにせよ私は高城くんという男の子のことをよく思えない。そんな小心者の高城くんにのぼせてしまいそうな伊織ちゃんも嫌だった。体育祭で告白するようなずるい奴を見極められない伊織ちゃんが気に入らない。
「紗弥、私の話聞いてる? 」
「ああ、ごめん。ちょっと考えちゃって」
「とにかく、明日また話聞いてね。」
そう言って伊織ちゃんは横断歩道を渡る。点滅し出す信号に少し焦って小走りになる伊織ちゃんにクスっと笑ってしまう自分が嫌だった。
 今日は炎の夕日だな、なんて思いつつ、帰路に着いた。
 たぶん、伊織ちゃんがまた遠くに離れてしまった。

 伊織ちゃんにも夏の気配にもうんざりだ。まだ5月だというのに夏がすぐそこにいるかのように熱く、太陽の眩しさと人々が浮き足立つ空気感をどうしても好きになれない。それに、夏は薄着でなければいけない。冬のコートやダウンジャケットの重みで安心したいのに、これでは心が安まらない。
 湿り気を帯びたあたたかな空気が身体に纏わりつき、わたしの気分をさらに引き下げる。

 5月の灼熱の太陽、桜木町駅で伊織ちゃんを見かけた。隣には男の子がいる。高城君だろうか。隣の男の子に微笑みかける伊織ちゃんの笑顔はとても眩しかった。
 離した手の届かない場所で伊織ちゃんが輝いている。ただそれだけなのだ。
 爆ぜろ、太陽。砕け散る、春の終わり。

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