見出し画像

最近読んだ本

はじめに


こんにちは。
まず、これまでの投稿を読んでくださり、いいねなどリアクションをくださった方、ありがとうございます。頭の中で考えていることを言葉にするのがどうも苦手で、でもやってみたくてnoteを始めました。拙い文章ではありますが、また誰かに読んでいただけたら嬉しいです。

今回は、読書感想文(+α)です。
正直いって普段あまり本は読まないのですが、この間読んだ小説が衝撃的でした。

朝井リョウ著『正欲』
すでにnoteでも色んな方がレビューをされているところです。

実は、この本は昨年末にも読んでいて2回目なのですが、僕は人生でこの本をあと何回読むのだろうかと、そのくらい気に入っています。
ネタバレを少し含むかもしれませんが、僕が感じたことを書きたいと思います。

多様性


この物語は一貫して「多様性」について描かれたものです。ただし、最後まで読むと、多様性という言葉を軽い気持ちで使えなくなってしまうような、そんな話です。多様性という言葉が持つ暴力性や都合の良さがこれでもかというほど描写されているので。

思い当たる経験があります。
もうずいぶん前になってしまいましたが、僕が新卒で就活をしていた大学3年生のころ、面接対策として「よくある質問50」みたいな冊子が配られました。志望動機に始まり、特技、趣味、学生時代に力を注いだこと…などなど。その中のひとつを、僕は割と自信満々に書きました。そこだけは記入するのに迷いがありませんでした。自信満々というか、嘘ひとつなくナチュラルに、といった感じです。

Q.『好きな言葉は何ですか』
A.『みんなちがってみんないい、です。』

自分としては、本当に腑に落ちた回答だったというか、自分の性格やキャラクターに合ってるんじゃないかなーなんて思っていました。こういう質問において、なんとなくおさまりのよい響きでしたし。実際に面接で聞かれた企業もあったので、2、3社は上記の通り答えたような気がします。

今回読んだ『正欲』では、このとき僕が腑に落ちた回答は決してポジティブな意味だけでとらえられていません。誰かが決めた何かの基準に照らして違う/違わない。そしてそれは違ったっていいという謎の許容。具体性が伴わない、自分にとって「違ってもいいんだよ」と許せる範囲のみに対する甘い言葉こそ、「みんな違ってみんないい」です。本作の登場人物もそうですが、世の中には、ここでいう「みんな」に含めない(含むことができない)、自分の頭では想像し得ない色々な人間が存在しています。その全てを本当に許せるのか、違ってもいいんだよと本当に本当に言えるのか、そんなことを考えさせられる作品でした。「自分の頭では想像し得ない色々な人間」は、言い換えればマイノリティ中のマイノリティです。そこに在ることさえも認知されていないこと。そんな闇の中を生きるために仲間を探していく登場人物の気持ちの描写がフィクションのはずなのにとてもリアルで、そういう人が実世界で隣にいるんじゃないかと思えるほどに、素晴らしかったです。

ゲイとはマイノリティか

かくいう僕もゲイ、性的少数者というマイノリティを生きているわけですが、各人の中で定義に若干の差異はあれど、ゲイって男だけど男好きの人ってことでしょ、くらいの理解はされているように思います。たとえ身近にゲイがいなかったとしても、テレビにはオネエ系タレントも出ていますし、世の中的にLGBTへの関心が高まってきている風潮もあるので、知ろうとさえすれば、どこかにゲイっていう性的指向の人間がいるんだな、くらいには思えるかもしれません。

そしてそれに対して「気持ち悪い」とか「まぁそういう人もいるよね」「自分に悪影響がなければ何でもいいや」とか色んな感情が湧くと思います。たぶん、こうやって賛否両論生まれている時点でゲイはマイノリティの中のマジョリティ、つまり「みんながその存在を知ってるマイノリティ」ということになるんだと思います。僕はここに属しているわけです。

僕は、特に思春期から大学生くらいにかけて、
ゲイであることについてそれなりに悩んでいました。その悩みは、ほぼ全てが「普通との対比」のもとにありました。この「普通」ってのもかなり実体のない感覚ではあると思うのですが、当時の価値観でいえば普通イコール異性愛者のことでした。もっといえば、異性愛者がする恋愛およびその先にある人生選択、性のとらえ方や性的コンテンツの消費、特有の話題やノリ…などです。異性愛者が自然と乗りこなすそれらと比べて自分はこんな風に違うんだ、だからダメだとか、でも仕方ないしとか…そんなことを思考の限界まで考えて、自己嫌悪に陥るといったループを飽きずに繰り返す青春時代でした。自分で書いていて非常に暗いですね。

ただ、普通ではない僕らにも、普通ではないかもしれないけれど、自分たちなりに欲求を満たすシステムはすでに準備されていたように思います。スマートフォンを持ってインターネットの世界とつながってからは特に。

異性愛者がする恋愛およびその先にある人生選択→同性でもパートナーは出来たし、それに出会うためのツールは専用のマッチングアプリ、SNSがある。

性のとらえ方や性的コンテンツの消費→女性には興味がなかったけれど、性的対象の性的な部位を見て興奮したり自分自身が反応したりすることは誰もが変わらないし、僕らのようなゲイを対象にしたアダルトコンテンツはたくさんあり、容易にアクセスできる。

異性愛者特有の話題やノリ→ゲイにもゲイの文化がある。ゲイバーなど、同じ文化のもとで遊んだり人と話したりできるコミュニティも、探せばどこかにはある。そのノリに入ろうとすることはできる。

結局、自分は他人と違うと精神的に閉じこもっていたこともありましたが、僕の欲求を満たすものはちゃんと世の中に準備されており、それらに触れるたび、たとえ一時的であっても満たされました。『正欲』流にいうと、自分を満たしてくれるものが世の中にあるということは、そういう欲求を持つ者が確かにいると、世の中に承認された状態、すなわち僕が疎外感を覚えた欲求は、実は「あってもいい欲」「感じてもいい欲」だったということです。

マイノリティはマイノリティの気持ちがわかる?


この本を読むまで、「世の中からあってはならないと思われている欲求」や「そんなものに欲求を抱くはずがない」と思われている欲求について、正直考えたこともありませんでした。僕が悩んでいたのは、せいぜい世間の大多数である異性愛者とゲイである自分の違いについてのみです。就活で「みんなちがってみんないい」を座右の銘にしちゃうくらい、マイノリティである自分はそうでない人よりも弱い立場にある人のことをわかってあげられるかもしれないと思っちゃうくらい、お気楽おめでたボーイでした。そんなおめでたボーイの頭では想像し得ないほどいろんな人がいるっていうのに、ゲイを自認した僕は、幸いにもその欲求があってしかるべきとちゃんと思われている世の中で生きてくることが出来ました。

「みんなちがってみんないい」と一生懸命訴えかけていたのは大学生時代の話ではありますが、基本はそのままの考えで大人になりました。今でも、弱い立場にある人は救いたいと思いますし、悩んでいる人がいたらその悩みを聞きたいなと思っています。その考え方自体は、個人的にはずっと持ち合わせていたいなと思っています。自分の中にある優しさの一形態だと思うので。ただ少なくとも、他人の悩みや欲求、良いとか悪いとか感じる心を一方的に解釈して、悩んでいる人はみな助けが必要なんだろう、と一方的に歩み寄るのはやめたいと思いました。さらに、自分もマイノリティだから、同じ悩みを持つ者同士手を取り合って…とかも、そんな簡単に都合よく解釈するもんじゃないなと思いました。

これだけ書いておいて最後それしか言えないのかよ、って感じなのですが、とにかく、僕にとっては、今まで考えてきたことが一旦全部ストップするくらい衝撃的な作品でした。

物語の終盤で、大也というキャラクターが、多様性という言葉について「自分にはわからない、想像もできないようなことがこの世界にはいっぱいある。そう思い知らされる言葉のはずだろ」というセリフがあります。この表現がとても端的で好きです。これに尽きると思います。また、物語冒頭の数ページの文章も圧巻です。

こんなに長文になるつもりじゃなかったのですが、お読みいただきありがとうございます。
もし『正欲』読んだ人ががいたら、何時間でも語り合いたい気分です…!

それではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?