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デザイナー人生は理想と遠いところから始まりました

日曜日の午後、誰も居ない西日が差し込む部屋で、好きな音楽を流しながらイラストを描くのが好きな子どもでした。
風景画とか静物画のような絵画には興味が無く、美術の成績も普通で決して上手くありませんでしたが、友達に借りた漫画や小説の挿絵に描かれている美しいイラストに憧れ、下手ながらもワクワクしながら描いていたのを覚えています。

私の実家は古い平屋で、子ども部屋も障子に囲まれているだけの誰でも出入りしたり、通り抜けられる造りの部屋でした。

子どもだったのでプライベートは基本的に無いのですが、両親は私が絵を描いているのを見つけると、「また漫画ばっかり描いて・・・」と悪い事を指摘するような、からかうような言葉を投げかけました。

絵を取り上げられたり、叱られたりした訳では無いのですが、否定的な言葉を言われるのがとにかく嫌で仕方なかった私は、部屋に人が近づく気配がすると、慌てて見つからないようにノートやスケッチブックを隠すようになりました。

好きな事を堂々とできず、見つかれば否定される・・・。口答えする勇気もない・・・。それが積み重なった結果、自分の好きな事や考えを相手に伝える事を躊躇ったり、自分が表現したものを誰かに見せる事に恐怖を覚えるようになりました。

大人になってからもこのトラウマのせいでとても苦労する事になります。

肩書きデザイナーが重石でしかない時代

広告デザインの仕事を選んだのは、当時はまだ就職難だったので、少しでも仕事になる可能性がある技術職(だと思っていた)で、自分の好きな分野に近い職業だったからでした。

専門学校を卒業して就職した地元の印刷会社で最初に配属されたのは、伝票や封筒、名刺、文章が主な冊子などを作る部署でした。

その部署では実際の刷り物からデータを作るのが主な仕事だったため、グラフィックソフトの技術習得、同じものを作る正確さと速さを求められましたが、デザインに関してはほとんど関わる事ができませんでした。

仕事には慣れていきましたが、後から入社した後輩がデザインの部署に配属されたのを見て落ち込んだり、専門書に掲載されているデザイナーのインタビュー記事を見るたびに、現実とのギャップでモチベーションも無くなっていきました。

転職を考えた事もありましたが、そんな中、25歳で同業者だった人と結婚し、相手が個人事業主だった事もあり、仕事で思ったような成果を出せない自分を正当化する意識もあったのか、夫を支える役割になろうと考えるようになりました。

同じ頃デザインの部署に異動もしましたが、その頃は、仕事をこなして給料をもらえればいいという考えだったので、半ば諦めもあって無理に頑張る事をしなくなっていました。

気がつけば、あっという間に20代が終わり、30代半ばを迎えた頃に転機が訪れます。

恩人との出会い

その頃になると年齢的なものなのか、仕事とプライベートについての将来の事を色々考えるようになりました。
朝、目が覚めて上半身を起こしても、出社ギリギリまでベッドから降りる事が出来ず、毎日が憂鬱でした。

会社の業績が徐々に悪くなり、先行き不安になっていた頃、業務委託で外部からデザイナーが来るようになりました。

外部から来たデザイナーのTさんは、過去たくさんのデザイナーを指導して成果を出してきた人でした。

“神は細部に宿る”をデザインで大事にしているような方で、そんな人から基礎を改めて学べた事は私の財産です。

私は最初、どう接していいか分からず距離を取っていたのですが、ここで何かを得られなければ、この先ずっと変われないという強い不安もあり、思い切って指導をお願いしてみました。

子どもの頃のトラウマの話にもつながるのですが、私は自分のデザインしたものに自信がありませんでした。それまでの職場環境的にも、社内のデザイナー同士が意見交換したり、上司が部下の制作物をチェックをしたりする事がほとんどなかった為、担当営業以外に、作ったものを見せる事に抵抗があり、誰かに自分からアドバイスを求めることができませんでした。

自己肯定感の低い人は他人に褒められても素直に信じられないそうで、私も褒められても落ち込むタイプでした。

「今まで指導してきた中で、そんな人はひとりも居なかった」と言われたのが強く記憶に残っています。

それでも、Tさんは、環境のせいでくすぶっている人をなんとかしてやりたいという、強い使命感を持って真剣に接してくれる人だったので、私もなんとか食らいついて、徐々に成果もでるようになりました。

いまだに自信をなくす事もありますが、Tさんに言っていただいた

自分はできると思っている人はそれまでだけど
できないと思って常に頑張ろうとする方が
良いものが作れるようになるよ

という言葉で前向きに考えられるようになりました。

ただ、

もうちょっと自信持って良いけどね・・・

とは未だに時々言われます。

仕事に以前より前向きになった頃、勤めている会社はコンサルを雇い、勉強会などをやって業務改善に力を入れていましたが、あまり成果は出ず、給与もまさかの初任給と同額まで下がり、将来を考えた時に明るいイメージがなかったので、退社することを選びました。

特に次の目的があった訳でもなく辞めたのですが、たまたまTさんから新しい仕事を手伝って欲しいというお話をいただき、退社後すぐに次の仕事を始める事ができました。

その仕事はある会社の販売用カタログで、2人でやるにはボリュームが多く、忙しくなると徹夜の日々が続きました。
大変でしたが、会社を辞めてすぐだったのと、お客さんとも近い関係だったので、その時はとても充実していた気がします。

戻りたくない日々

カタログの契約が終了した後、同じ会社のDMの仕事をいただける事になりました。
最初の仕事を認めてもらえたと思い、今度も良いものを作りたいという気持ちで始まった新しい仕事でしたが、仕事に合わせて変わった先方の担当者とやりとりする中で、私は再び自信を無くし、最後の頃にはメールの受信音やアイコンに受信の印が付くだけで、胃痛と吐き気がする程、身も心もボロボロになりました。

ちなみに同じ頃、プライベートもボロボロで、今までなかった白髪がこの時期に一気に増えました。

・・・この辺の話は、詳しく書けないので違う形でまとめようと思います。

自分にとって大切な事とこれからの働き方

諸々の出来事を通して考えた事は、本当に尊敬して信頼できる相手、もしくは必要としてくれる相手と仕事をしようということです。

私が病む原因になった方は、かなりドライか鈍感な人以外には、ラスボスレベルで最悪な相手だったと思うのですが、その経験によって、自分が何を大切にしたいか気が付けたので、それに関しては感謝しています。

辛かった仕事もキリの良いタイミングで終了し、一時的に収入は減りましたが、そこに費やしていた分の時間を、信用して依頼してくれる人に集中して時間を使えるようになったので、提案や作るもののクオリティをあげる事で、信頼度はあがり、新規の依頼も増えて、また大きな仕事につながるようになりました。

ボロボロになったメンタルも、新しい仕事に関わる中で、徐々に回復する事ができました。

私は決して人付き合いが得意ではないのですが、それを自覚したうえで、自分の苦手な事が得意な人達と仕事をし、互いを認め合いながら仕事をしています。

今色々勉強しているのも、お客様やこれまで一緒に仕事をして支えてくれた仲間に少しでも還元するため。

個人からチームのパラダイムに変わった今、深い人とのつながりを大切に、これからも進んでいこうと思います。そしてまた新しく信頼できる人達と繋がれるよう、少しずつその輪を広げていきたいと思います。

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