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【エッセイ】昔、必死に手を振ったことがあった#01~突然の手術~
「手術を受けた後、いつから記憶あるの?」
ふと考えてみると、彼(今の旦那)が手術を受けてから、すでに9年もの月日が流れたようです。
私の記憶では、10月1日の出来事です。
しかしそれを証明するものは、病院のカルテでもない限り、私の脳にしかありません。当の本人が覚えていないのは勿論のこと、当時の日記も、その日のページは白紙のままです。
理由は分かっています。
忙しくて書く暇がなかったとか、何を書けばいいのか分からなかったとかそういうわけではなく、書かないことにしたのです。
そう決めたは理由はいくつかあり、言葉では説明できないごちゃごちゃとした感情があったわけですが、強いて言うなら、人生での重要な一日として残したくなかったのだと思います。
良い日でも悪い日でもなく、幸運な日でもなく不幸な日でもない、昨日や今日と変わらない、特別な意味は持たない、思い出すことがあったとしても「そういえば、そんなこともあったよね」と軽く流すだけで終わるような、「いつででもあるとき」にしたかったのです。
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――9年前、誰もが、本人すらも助からないと思っていた頃のこと。
医師からは、手術が必要だけれども、その手術すらも困難だと告げられていたあの日、突如として様々な検査が始まり、そして彼は、手術室へと運ばれていきました。
私は、騒がしく動き回る光景を目の前にして、自分だけが異次元にいるかのように、佇んでいました。
どれくらいの時間だったのかは分かりませんが、ある程度状況を把握した後、ひとりの友人へ連絡します。自分の気持ちに限りなく近いだろう誰かに聞いてもらい、心を整理したかったのだと思います。
それからすぐに、「一緒に行きましょう」と彼の妹さんに連れられた先の小部屋で読んだ書類に書かれていた手術の成功率は、60%か40%だったか。多分、60%だったと思いますが、いづれにせよ、もう二度と会えない可能性があると伝えるには、充分過ぎる数字でした。
手術時間は、10時間を超えていたと思います。
しかしそのときの時間なんて、意味があるのか分かりません。時間というものは人によって変わるものだと、経験上、嫌というほどに学んできたのですから。
早く過ぎてほしいものの、最悪の結果が待っているのであれば、このまま止まっていてほしい・・・。
恐怖ばかりで希望を感じることはない世界では、祈りすらも虚しく、もし意識に電源があるのであれば、すべてが終わるまでは完全にオフにしておきたいと思いました。
(つづく)
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