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後悔しないと誓ったあの日は遠く

こんばんは。Lucaです。

突然ですが私は一度、人間関係の嫌がらせが原因で大学を中退してます。
今は、2度目の2回生です。いじめなんて、大学生にもなって存在してるのかと思われるかもしれないけれど存在しているんです。

それによって、私は講義に出ることも家から出ることすら出来なくなってしまいました。今でも、その傷跡に悩まされています。

今日は、自分の気持ちを整理するためにnoteを開きました。うまく書けないだろうから、記録のつもりで。こんなことを考える奴もいるんだなって気持ちで読んでくれると嬉しいです。

最近、大学の講義で初めて作った服が返ってきました。型紙の手直しから仕上げのアイロン掛けまで全て自分の手で作り上げました。
雑だったし、下手くそだったけど自分の手で何かを創り上げたのが嬉しかった。

けれど、返された服をみて、私はトイレで泣きました。出来が悪かったとか評価が悪かったとかじゃなく、猛烈にどうしようもなく悔しいと感じてしまって。

私は何故ここにいて、どうして服なんて作っているのだろうか。"本当なら"、夢に向かって研究に勤しんでいたはずなのに。

その言葉だけが私を支配して、誰も来ないトイレで声を押し殺して泣いてしまった。

決して今の勉強が嫌なわけじゃないんです。そりゃあ、クラスに友達はいないし成績だって誇れるものじゃない。だけど、何かを表現するのは楽しくてしかたない。けれど、あの日はどうしようもなく悔しくて悲しくてそれだけが頭を支配していた。

あの日からよく昔のことを思い出します。

私は昔、ひとりでは何もできない子でした。身体が弱く、外で遊ぶことが少なかった私にとって、湿った土の香りと頬にあたる畳の感触だけが世界のすべて。
あの頃は、暖かな手に包まれて、何もかもが不透明で輝いていた。

高校に上がって、外の世界を知った私は世界が広いことを知りました。
全てのものがはっきりと色づいて、明確になったのは1度目の大学生活。

希望に溢れ、初めての一人暮らしにわくわくしながら大学の門をくぐりました。

けれど、私はすぐに逃げてしまった。
電車に乗れず、ホームで時間を過ごして部屋に帰る日々。あの日は確か曇り空だった。友人の家に何泊かしていた私は、友人の部屋のカーテンを見てふと大学に行きたくないとこぼしてしまって。けれど、行くしかなくて駅に向かったはいいけれど、どうしても改札を通れなくて母に電話をした。

頑張ったね。疲れちゃったんだね。ゆっくり休もうね。

その優しい声に、人目も憚らず泣いてしまった。そこからは、あまり記憶にないんです。
けれど、気がついたら私は芸大にいて笑えるようになっていた。

人の頭ってよくできていて、嫌なことが自分の許容範囲を超えると機能が停止するんです。大学を休学してから暫くはそれに苦しめられました。
日常のふとした場面で、私は瞬きをしたくらいの体感時間なのに実際は何時間も経っていたなんてことが何度もあった。寝ているわけではないので、側からみれば何かをする姿勢のままぼーと何時間も座っている状態です。けれど、自分自身にとってはそれは一瞬の出来事で。

だから、私にとって休学していた1年間は殆ど記憶にありません。

つらい毎日だったけど、そんな日々のお陰で今の私がいるから、どんな時でも自分に後悔しないと誓って選択してきたつもりだった。

1度目の大学を辞め、今の大学を受けると決めた時も確かに後悔はしないと誓ったはずだったのに。なのに…あの日の私を支配していたのは悔しさという名の後悔で。

どんなに後悔してもあの頃には戻れないのに。
止まらない涙が後悔を物語っていた。

けれど、私にはあの頃の大好きがわからないんです。あれほど必死に学んだこともすっぽり頭から抜け落ちてしまった。

わからないのに、後悔をするっておかしなことですよね。

でもそれって、とても可笑しいけれど、とても素敵な感情だと思いました。叫びたいほど哀しくて、悔しくて、寂しいけれど、どこか愛おしいと感じてしまう。

そんな矛盾を抱えながら毎日を過ごしているからこそあの日、私は泣いてしまったのかもしれない。

このnoteで、私が画面の向こうの誰かに伝えられることはきっとなくて、最初に言った通り自分の思考を整理する為のものです。

あの頃の"大好き"は、きっと私自身が小瓶に詰めて流してしまっていて、けれど、あの日流した小瓶がいつかの私に流れ着くような気がしてならないのです。

それがいいことなのか、悪いことなのかわからないけれど、それまでは馬鹿みたいな矛盾を抱えて生きていこうと思います。

その時に、この文章が役に立つと嬉しいです




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