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【感想】弄れた感想なんてナンセンス、だけどこういう視点で観ても良いと思う『ラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie Over the Rainbow』【ネタバレ】

概要

ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow

あらすじ

春休み。浦の星女学院のスクールアイドルとして参加する最後の大会で優勝を果たしたAqoursは、メンバーで話し合って編入先の学校でもグループを続けることを決めていた。三年生が卒業旅行に行く中、二年生、一年生は編入準備を始める。が、編入先の静真高等学校は、旧浦の星女学院の生徒を入れることに一部保護者が強硬に反対しており、結果、分校に隔離する措置がとられたという。このままでは満足にスクールアイドル活動も出来ない新Aqoursの六人は、静真高等学校の部活動報告会でミニライブを行い、大会優勝校である浦の星の部活動の実績を示そうとするも、三年生が抜けたことに起因するミスを犯し、ライブを大失敗させてしまう。

意気消沈するも、ライブの失敗はライブで取り戻すしかないと次なるライブ開催を決め、海岸の砂浜で練習を再開した六人。すると突然に鞠莉の母が現れ「イタリアへ卒業旅行に行ったAqoursの三人が行方不明になっているので、探しに行って欲しい」と依頼される。一行は、一度三年生に会って新しいAqoursについて相談するためにも、なんとイタリア行きを承諾するのであった……。

Wikipedia

このアニメ長編さ、良い作品だと思うんだ。Amazonの評価 4.6 / 5.0 に相応しい作品だと思うよ。でも、そんな在り来りな評価を吐いてもつまらないじゃない?

本来はこういうキラキラした青春アニメ映画と、セルピコとかソイレント・グリーンみたいな、社会で汚れて弄れた大人が作った映画を同じ土俵で語るのはナンセンスなんだけど、そんな事は気にせず、表現の自由を最大限に行使してやろうじゃないか。

……その上で知っておいて欲しいのは、この手の映画の感想は「可愛かった!(語彙力喪失)」とか「また観たい!傑作!(語彙力喪失)」みたいなものであるべきで、この文書はそれらを辱めるものじゃあ無いってこと。これから書く感想は完全に間違ってる。

エコじゃない登場人物

まず、渡辺月の存在はエコじゃない。この子の設定が、ちょっとスマートじゃない気がするんだ。都合良くイタリアに住んでいた経験があって、都合良くイタリア語が話せて、都合良く編入先の高校へ通ってる、メインキャラの従姉妹って設定がさ。

ただでさえメインキャラの一、二年生で飽和状態なのに、そこに観客がバックボーンを理解していない新キャラを放り込むのは、ちょっと無理があったんじゃあないかな……。

「じゃあなんでそんなキャラ出したんだよ」ってツッコミはごもっとも。その理由は考えるに二つある。一つは編入先の高校と絡みを持たせるための身近なキャラが必要だったって点。これは正直しょうがないと思う。名前のないモブを主役級と絡ませても話に危機感や説得力が生まれないし、それだったら、多少雑にでも主役級に近いキャラを登場させた方が良いってのは、それはその通りだとじゃないかな。にしてもご都合的過ぎるけど。

で、重要なのはもう一つ。イタリアの観光案内をさせるキャラがいなかったって点だよ。高校生の一、二年生だけじゃあ、海外では動かしにくいってこと。だから海外に詳しい新キャラを入れた。

「前作は高校生だけでニューヨーク行ってたじゃねーかボケ!」って声が聞こえてきそうだけど、ちょっと待って欲しい。あれは大人になりかけている三年生が同行していたからこそ出来たことであって、『大人になってしまった三年生と、それを追いかけるまだ子供の一、二年生』って筋で話を作るのなら、ちょっと大人っぽくて海外に詳しい新キャラ─即ち渡辺月─に観光案内をさせるしか手はなかったはずなんだ。

脚本の形を守るためには、多少浮いたとしてもこの子を入れなくちゃいけなかったんだよ。ちょっと浮きすぎてるような気がするけど。そもそも、話の筋に問題があったんじゃないかな。

綺麗に纏めることに拘りすぎ

この映画はちょっと綺麗に畳むことに拘りすぎてる。んまぁ確かに、このアニメ自体が、お祭り感の強かった前作と違って、整合性の合った綺麗なシーズンものって感じのアニメだったけど。

話はちょっと変わるけど、思うに、映画の登場人物ってネームドモブの二種類に大別できてさ。例えば『アマデウス』だったら、ネームドはサリエリとアマデウスとコンスタンツェの三人だけ。後は、見た目とかネームドとの関係性なんかの断片的な情報だけで認識できるモブ。名前を覚えている必要は無い奴ら。

……読み返せたり、比較的簡単に見直せる小説や漫画、アニメと違って、大量の情報をある程度のスピード感を持って、且つ短時間で観客に届けなければならない映画にとって、名前や人格なんかの二次的な情報は容量が多すぎる。だからこそネームドは少なめに、大容量化させて奥行きを出し、低容量のモブで舞台を飾るって構成が重要なんだ。

この映画は、ラブライブシリーズっていう暗黙の認識があることを加味しても、ネームドが多すぎるよ。登場人物の多い高カロリーな題材で整合性を求めた映画を作るのは大分難しいと思うけどな。

なんだかんだ言ったけど

アルマゲドンをボロクソに言う勢いで感想書いたけど、別にこの映画嫌いじゃないんだ。でもさ、普段SNS見てる時は「誰が言ったんだよ!ソース出せソース!」みたいな事を常に思ってるわけじゃない?そんなんだと、せっかくの映画でも素直に観られなくなっちゃうよね。まぁ、たまにはSNSから離れよう!って話よ。

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