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人生の選択

散歩をしていると老夫婦に出会った。
彼らの幸せそうな姿は遠くから見ていてとても微笑ましかった。そして、こんなことを思い出した。

私にはこんな夢があった

「老夫婦になったら手を繋いで散歩したい」

私の両親は若くに結婚し、結婚式資金も惜しんで新規事業費用に当て結婚生活をスタートさせた。それくらい新事業に情熱があった。両親のお陰で我が家には物質的な豊かさがあった。欲しいものは全て与えてもらえた。それに反比例し、自由は全て奪われた。親子でも心の触れ合いが少なく、会話がない。一方的に怒鳴られる、言いがかりをつけられる、そんな記憶の方が多い。忙しい毎日で、両親も心が休まる時間がなかったのだと思う。家族の団欒はなかった。家は殺伐とし、母親はいつもイライラしていた。父はいきなり怒り、手を挙げるのでいつ怒られるのか怖かった。父も母もいきなり怒り出すので怒られる理由はよく分からなかった。とにかく、いつも怖かった。私は、どうやったら相手の役に立つのか、どうしたら気に入られるのか、相手の望む自分でいる事で家庭の中での自分の居場所を作って生き延びた。そのお陰で、色んな人の心の動きに敏感になった。神経症的な症状が身体に現れ、苦しい体験はとても辛かったけど、そうでなければ、身につけることのできなかった、かけがえのない感覚を得る事が出来たのだと思うと、神様への感謝が溢れる。

前置きが長くなってしまってけれど
ここからが本題

そんな中で育った私は、子供の頃
「愛する人と穏やかな暮らしをし、手を繋いで散歩したい。」

それがずっと思い続けた夢。


他にはこんな夢があった

1、歌手になる
2、東京に住む
3、テレビに出て祖母を喜ばせたい
4、愛する夫と田舎で野菜を作り自給自足の生活をする
5、ヨーロッパに住む
6、アンティークの家具に囲まれた家に住む
7、通訳なしで外国人と話す
8、老後は夫婦で手を繋いで散歩したい

9、おばあちゃんになって孫に若い時の写真を見せる

気がついたら、9番以外のわたしの夢はほとんど叶っていた。


私が本当にしたかったのは、
愛する人と綺麗な空を眺めて
「綺麗だね」と2人で感じること
「風が気持ち良いね」と2人で感じること


ただ、何もない田舎道を一緒に歩きたい
綺麗な夜空を一緒に眺めたい

ただそこに一緒に居るだけで
しあわせで
ありがたい

私の人生でそんな人に出会えたことが嬉しい

これまで選択したものの結果が今の私だから
これまでの自分の苦しい選択は
愛する夫と巡り会うためだったのだと思う

あの時のあの決断がなければ
夫とは巡り会えていないのだ

私は、
夫と結婚するとき
「この人が居たら、もはや地位も名声もキャリアも何も要らない」と思った。

結婚の誓いの際
「生涯妻として愛することを誓いますか」と神父様のことばに

「はい、誓います」と、
一点の曇りもなく宣言してくれた事が嬉しくて
私の目には涙が溢れ続けた。

それくらい夫の事が大好きだ
人生最大の神様からのプレゼントだと思う。

彼はいつも私のそばにいて
いつ側に行っても喜んで私を受け入れてくれる

寄り添い
相談に乗り
目先の損得ではなく、
何より私の心に負担が少ないアドバイスをくれる


それをする事で、多大な金銭が発生しても
たとえ、どんなにしのぶが不条理なことを飲み込まなければならない事があっても、

優先順位は
「どうしたらしのぶの心が軽くなるか」

無口で、普段は自分を表さない人だけど
心が軽くなれば
世界が変わるのを知っているんだなと
心の中で尊敬した


「理不尽だと思っても、どちらかが100%悪いと言うことはないし、たとえ、怒り、悲しみ、悔しさ、やるせなさがあったとしても、事が動き出せば、全てが明らかになる時が来るから」と

夫にそう言われて
思い出した言葉がある
「お天道様は見ている」


私は、自分の大切なものを守るために命をかけた。そして、それを守る事が出来た。それはこれから眩いばかりの尊い光を放っていくだろう。その選択をした自分が誇らしい。


「人は魂の成長あるのみ」
言葉を遥かに超えたところに存在している

今日という日にありがとう






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