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ニューミュージック・マガジン 1971年5月号 日本語ロック論争 全文掲載

福田一郎 ミッキー・カーティス 内田裕也 大滝詠一 松本隆 折田育造 中村とうよう 小倉エージ

4月3日、4日、の日比谷ロック・フェスティバルが終った翌日の5日(月)よる、中村宅の狭い部屋にロック人種たちがひしめいた。日本のロックの現状を語ろうという座談会をやるためなのだが、内田裕也が急にテレビの仕事のために時間に間にあわなくなり、一応彼を除いた顔ぶれで話し始めた。なお、誌面が充分にとれなかったため、この夜の豊富な話合いの内容をきわめて不充分にしかお伝えできないことを、読者と出席者の双方におわびしたい。

中村 『ニューミュージック・マガジン』レコード賞の”日本のロック賞”がはっぴいえんどに行ったというのが、裕也氏はかなり気にくわないらしくて、3日夜のヤマハの深夜コンサートのときも、ぼくがステージにひっぱり出されて、からまれちゃったんだけど、ミッキーはこのレコード、どう思った?

ミッキー もうすばらしい。ヤキモチでカッカしてるんだ。音楽家としても優秀だし、曲も気がきいていて、粋だね。録音もいいし。日本語で全部やったのがゴキゲンなわけ。オリジナリティがあるかって点は、あれをそのまま英語にしたら誰かに似てるかもしれないよ。でもとにかく、楽しめたわけ、すごく。

中村 ずいぶん褒められちゃったけど、はっぴいえんどの大滝くんと松本くん、どう?

大滝・松本 (テレて何もいえない)

中村 けなす人もあとで来るからさ、今のうちに喜んでおいた方がいいよ。

大滝 恐縮です。

ミッキー なんか普段話しているような言葉がそのまま歌になって、バッチリ乗ってるってとこが、すごくいいよね。

松本 ぼくらが日本語で歌ってるのは、曲を作るのに英語の歌詞が書けないという単純な理由なんです。日本語のせるのに苦労してるのは事実です。

福田 ぼくが買ってるのは「春よ来い」1曲だけなんだ。

小倉 それはどういう点からですか。

福田 いろいろあるけど、音のバランスにしても悪すぎるよ。

松本 ミキシングもカッティングも悪いです。

福田 そう。 そういう点で、本当ならもっと説得力も迫力もあるはずなんだけどね。

ミッキー 全体的に日本のほかのレコードにくらべて、あれならミキシングはいいほうだけど、悪いのはカッティングだな。

福田 そういう欠点はあるけど、とにかく、日本語もロックのリズムに乗るということを証明してくれたことだけでもすごく大きい。

中村 (大滝・松本に)やっぱり自分たちの音楽をロックだと思ってますか。

松本 思ってます。フォークじゃない。ぼくたちはずっとロックをやってきたし…。日本語がロックに乗るという自信はありましたね。まだうまくは行ってないけど…。

折田 サウンド的にはロックそのものですね。言葉が聞きとりづらいという欠点もあるし、完全に日本語をロックに消化しているとはいえないだろうな。ボブ・ディランのように陰影のある言葉を音楽にのせて歌うところまでは行ってませんね。ぼくのばあいは、インターナショナルに成功したいという気持ちが大きいので、やっぱり英語でやりたいですね。ぼくは、はっぴいえんどのレコード聞いてちょっと疲れましたけど、それは、バッファロー・スプリングフィールドみたいなサウンドで言葉が日本語だということのせいじゃないかな。

ミッキー インターナショナルに成功するために英語でなきゃ、というのは裕也はいつも言ってることだけど、ぼくはこう思うわけ。いまの日本のやり方では、英語の歌のコピーから始めて、少しわかってきた連中が日本語に切りかえてる。ぼくはこれは逆だと思うわけ。英語はわかんないんだから。自分の言葉でスタートして、完全に自分のものができたらそれをいい英語に直すのが本当じゃないの。いま英語で歌えばインターナショナルなものになるかといったら、ぼくなんか聞いてヒトッコトもわかんないような英語で歌ってる人も多いわけよ。

折田 ミッキーさんのおっしゃること、すごくわかるんです。でも現実に日本語でいい詩を書く人がいないってことで、ぼくがプロデュースしたフード・ブレインのアルバムではボーカルなしでやっちゃったわけです。

ミッキー まァ英語の発音がある程度日本人ふうになるのは、日本人だから仕方ない、許せるけど、歌ってる人が歌詞の意味を完全に理解して歌わない限り、まったく説得力が出ないと思う。説得力のない音楽なんてやっても無駄よ。そんなのなら、やめて靴屋さんになった方がいいと思うわけ。少なくともコンテンポラリー・ロックをやるのなら歌詞がわかってなきゃ全然ダメだね。むこうから帰ってきて一番感じたのは、それよね。だから、意味もわからずにコピーしないで、オリジナルをやらなきゃダメだというんだよね。
 日本に帰ってきたとき、どうしてもっと新しいことやんないの、っていろんなグループに聞いたら、新しいレコードが入ってこないっていうわけ。ぼくは、どうして自分の新しいものを作り出さないんだ、といってるのに、新しいレコードが手に入んないから新しい曲がコピーできないって返事されて、何て話したらいいのかわかんなくなっちゃったのよ。
 でも、最近はそうじゃなくなったね。近ごろは、あのバンドはコピーやってるからツマンナイ、って言った方がカッコいいと思ってる人もいるみたいだけどね日本って面白いところでサ。それに、日本の仕事場は1晩に50分のステージを4回やらなきゃなんない。ロンドンあたりだったら1晩ワン・ステージだからオリジナルだけで充分もつけど、日本じゃオリジナルだけじゃ足りないわけ。そんなにオリジナル曲どんどん作れないもんね。

大滝 ぼくら仕事ってコンサートだけで、ワン・ステージ40分くらいしかもらえないし、そのコンサートもせんぜい月に3、4回で多いほうだから、レパートリー10曲もないくらいだけど…。なにしろ新曲をふやすの、すごい大変なんです。去年1年かかって、やっと「はいからはくち」1曲しかできなかった。

中村 そんな仕事ぶりで食っていけますか。

大滝 一応生きてますけど…。

ミッキー イギリスあたりでは音楽では食えなくて昼間はほかの仕事をやってるミュージシャンはすごく多いよ。

福田 その点日本のミュージシャンは恵まれすぎてるね。ほんのちょっと何かできればけっこういいカッコしてられるでしょ。

ミッキー そう。そうなんだ。

福田 そしてちょっと下り坂になると、こんどは音楽をやめてアッサリとバーテンなんかになっちゃう。そんなことなら初めから音楽なんかやるなっていうんだ。

ー福田氏TBSへ行く時間が来たため退場

ー内田氏あらわれる

小倉 内田さんのはっぴいえんどにたいする疑問点を聞かせてください。

内田 ウーン。「春よ来い」にしたってサ、よっぽど注意して聞かないと、言ってることがわかんないんだ。せっかく母国語で歌うんだから、もっとスッと入ってこなくちゃ。

中村 発音が不明瞭だっていうこと?

内田 そうじゃなくてね、歌詞とメロディとリズムのバランスというかね、日本語とロックとの結びつきに成功したといわれてるけど、そうは思わない。

中村 もちろん不充分な点は多いけど、日本のロック全体の水準から考えないと…。

内田 ぼくは去年の『ニューミュージック・マガジン』の日本のロックの一位が岡林で、今年ははっぴいえんどだと、そんなにURCのレコードがいいのか、われわれだって一生懸命やってんだ、といいたくなるんだ。

ミッキー そんなこと、いいじゃないか。誰もお前が一生懸命やってないなんて、いってやしないんだよ。俺はジョン・メイオールのとき日劇で一週間いて一番乗ったのが岡林。お客さんのリアクションも一番あったしね。

内田 観客の受取り方が、PYGだとヒッコメというし、岡林だとワーッとなるけど、移行したということではどっちも同じだと思うんだ。音楽的にも岡林なんて、そこらへんにいるアマチュアと変んないと思うけどな。

ミッキー 岡林に音楽的なこといっても仕方ないよ。そんなこといやぁ、ボブ・ディランだって同じだよ。それでも説得力があるんだ。はっきりいって、いまのコンテンポラリー・ミュージックに、音楽的なものっていうのは、そんなに大事じゃないと思うわけ。それよりかむしろ、創造力というか、ひとつのものをどういうふうにエクセキュートするかということで決まると思うんだ。

内田 ウーン…。

松本 ぼくたちは岡林のバックをやってたけど、たしかに岡林は音楽的にはド素人もいいとこでしょうね。それでも説得力というか、人をひきつけるところがあるわけですね。

内田 はっぴいえんどたちは、ぼくんとこかミッキーかモップスのレコードについてどう思うの。端的にいうべきだと思うよ。

松本 ぼくたちは、人のバンドが英語で歌おうと日本語で歌おうとかまわないと思うし、音楽についても趣味の問題だから…。

大滝 ぼくもハード・ロックを聞かなくなって大分たつし、自分の趣味にコリ固まって偏屈になってるもんで…。

中村 どうもきょうはあまり座談会らしくまとまんなかったけど、かえってザックバランな話が出たかもしれないね。これから裕也とミッキーはTBSの福田さんの番組に出ることになってるんで、ぼくもいっしょに行きましょう。

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