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フーガの技法と まっすぐに生きること

僕はヨハン・ゼバスティアン・バッハの音楽作品が好きです。

その中でも僕が一番好きな作品はフーガの技法(Die Kunst der Fuge)です。
僕はフーガの技法を聞くと、なぜか心が慰められる、そんな気がします。

君は、とても一途で不器用だ。
物事を論理的に考えてしまい、他のみんなとうまく打ち解けることができない。
君は、物事をとても真剣に、とても深刻に考えてしまう。
でも、それでいいんだ。それでいいんだよ。
この世界は混沌と理不尽で満ちている。
しかし、君は自分の論理を貫いて、まっすぐに生きていくのが良い。
それでいい。それでいいんだよ。

フーガの技法を聞くと、僕は、そんなふうにに語りかけられているような気がしてならないのです。

フーガの技法の音楽的な評価や分析は、数多くの優秀な音楽研究者の皆さんにお任せすることにして、僕は物理学者としての立場から、フーガの技法に論理的でかつ斬新な・帰納的飛躍のある美しさがあるように思います。

それはある公理系から始めて豊かな定理が次々と生み出される数学の世界のようで、そして時には帰納的な論理の飛躍があり、先が全く見通せない美しさと展開があり、でも全ての作品を力強く貫く一つの中心軸があってまったく逸れることがない。

フーガの技法の中の次々と変化してゆく作品を聴いていると、論理的でありまた帰納的飛躍に満ちていて、僕は、あぁこんな風に生きていければいいな、などと考えてしまうのです。

英国の作曲家ジョン・ラター(John Rutter)の作品「大地の美のために」(For the beauty of the earth)も僕はとても好きですが、僕個人としては、この自然や宇宙の「美しさ」を語ることのできる物理学者でありたいと願っています。

この美しさは、数学や物理学といった論理的な言葉で表現されるものですが、バッハの音楽となんらかの共通点があるのではないかな、などと考えてしまいます。あるいは音楽全般にわたる共通点なのかも知れません。

音楽も科学も数学も、同じ人間が作り上げたものですから、その根底に共通するもの、例えば「美の追求・探究」というものがあってもおかしくないのではないかと僕は思います。

フーガの技法は、まっすぐに生きること・そんな生き方をあきらめないことを僕に強く優しく語りかけているような、そんな気がしてならないのです。

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