損切り力が人生を豊かにする【ライフスタイル】
最近、たまにあるのが「美味しそうだと思って買った食品が不味かった。。」ということ。
世界的にも食べ物が美味しいことで有名な日本で、「不味い」までの食べ物に遭遇することは少ないが、それでも少なからずあるし、「美味しくない」「食べられなくはない」「不味くはないけど美味しくもない」などは普通に存在しているように思う。
あるいは、不味くはないが、カロリーに対するコスパが悪いものなどもあったりする。例えば、たったひと口しかないのに、100kcalを超えるような食べ物などは、よほど美味しいものでないと口に入れたくないなんて思ってしまったりもするが、そこまで美味しいものでもないのに、これをひと口食べたら100kcalを消費しなくてはならないと考えると、多少なりとも憂鬱な気分になったりするものだ。
フードロスを減らす、という観点から見ると、食べられる食品を捨てるなんて論外だろう。
賛否はあるかもしれないが、美味しくないものを無理やり食べて、脂肪とストレスを溜め込んでしまうよりは、処分してしまう方がいいかもしれない。と、私は思う。単純にその方が幸せだし、病気の予防にもなるからだ。
しかし、私の場合、染み付いた貧乏根性からなのか、なかなか美味しくなかった食べ物を捨てる勇気を持てない。
そして、食べて後悔する。
たいして美味しくないものを食べて、ストレスを溜めて、消費しなくてはならないカロリーも増えて、果たしてこれは豊かな人生だと言えるだろうか。
食に興味がないという人ならともかく、私は食べることが大好きだ。できれば美味しいもの(高級なものという意味ではなく、カップラーメンでもいいから自分が美味しいと思うもの)が食べたい。
もちろん、食だけに限らない。
服だってそうだ。試着をして購入したけれど、実際に普段着てみるとイマイチに感じる服や着心地の悪い服。
昔は好きだったけど、今は似合わないとかではなく、買ったばかりだけどすぐにイマイチだったと分かってしまった服。
インテリアでも、小物でも、何でもそう。
モノに限らず、コトだってそう。
普段と違う、ちょっといいモノが欲しくて家から遠いお店に来たのに、目的のモノがなく、「せっかく時間をかけて来たのだから、いい買い物をして帰りたい!」なんて思うと、大抵は時間だけを無駄に浪費して終わることになるのだ。
こんな時は、何も買わずにサッサと退店してしまうに限るのに。
こういったことに対して、潔く諦めて、次に向けるか。
失敗したモノを潔く捨てられるか。
失敗した時間の使い方を、仕方ないと諦めて、次を有効に使うか。
この潔い損切りこそが、人生を豊かにしてくれるのだと思う。
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