孤独の底#吉本ばなな 『キッチン・満月』感想文

過去の写真を見返していて、ふと思い出した本。今日また読み返しました。

そしてこんなことも思い出します。
孤独の底で味わう美しさを、わたしは知っている、と。

吉本ばななさんのこの作品はとても有名ですが、恥ずかしながら読んだのは去年の10月です。
転職したての職場に通う電車の中で、読み進めた本。
読み終わって、出会うべくして出会った作品だなと感じました。


あらずじを少し。
主人公のみかげはたった1人の家族であった祖母を亡くし、天涯孤独となります。その中で、祖母がよく世話をしていた雄一に、家に来ないかと誘われます。雄一の家族であるえり子さんと共に、日常を過ごしながら、孤独や死の影と共に生きていくお話です。


私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う──

あまりに有名なこのセリフ、聞いたこともある人も多いでしょう。
キッチンは、生きるために不可欠な食べ物を生み出す場所であり、切る・煮る・炒める・茹でる、その行為ひとつひとつが確かな営みです。そして、冷蔵庫のブィーンという音を夜中に聞くと、よく分からないけれど、落ち着きます。
死をひしひしと感じながら、粛々と生きるための営みを続けている、奇妙だけれども、これが生きることの本質なのではないかと思ったりもします。


わたしは両親も健在で、友達もいて、恋人もいます。職場の人間関係もまあ良好。文句のつけようのない幸福な人生を生きています。

けれど、とてもとても絶望して、生きていくのをちょっと投げ出したくなったことがあります。食欲が一切無くなりご飯もまともに食べられず、お風呂も入らず、ただただベットで寝ているだけ。誰の言葉も、どんな音楽も、どんな物語も、何も私の心を動かしませんでした。
家族も友達も恋人とも、ほんとうの底の底では決して交わることは出来ない、人というのは結局1人であると確信もしました。

寝られるだけ寝て、何も考えもせず何日か過ごした時、急に缶の炭酸飲料が飲みたくなりました。
一人暮らしだったので、服もパジャマのまま、家の近くの自販機に飲み物を買いに行きました。
買ってきて、100均で買ったステンレス製のストローで冷たく冷えたそれを飲んだ時、猛烈に、鮮明に、生きているという実感を得ました。
当時のことは辛かったとか苦しかったかなどの感情すらよく覚えていないのですが、この出来事だけは覚えています。不思議…。
そんな出来事となんか似ているなあと思ったのが、以下引用です。

闇の中、切り立った崖っぷちをじりじり歩き、国道に出てほっと息をつく。もうたくさんだと思いながら見上げる月明かりの、心にしみ入るような美しさを、私は知っている。

『満月』より

この現象を実際に経験すると、どんなにうまく言語化したって、言葉って所詮は後追いなのだと気付かされます。しっくりくる言葉なんて、絶対にない。

この物語は、文章でこそ綴っていますが、出来事の温度や感情は言葉では追いつかないことも表現していると、個人的に思いました。

孤独の底でしか、分からない美しさってあると確信しています。
そしてその美しさは、事象を描写することでしか表現出来ません、きっと。


重苦しい闇は続くし、空は青い。冬の空気は冷たくて澄んでいるし、誰かと飲む紅茶は美味しい。そして当たり前のように死の影は付きまとう。

誰しも、心にそれぞれこの作品の中のキッチンのような場所があり、孤独の中しっかり立って、生きているのだと思った物語でした。

拙文、読んでくださりありがとうございました。

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