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#番外編 『虹の学校』に行ってきた!前編

 မင်္ဂလာပါ။ (ミンガラーバー!)かうんぞーです。11月の下旬に、サンクラブリーにある『虹の学校』に4日間お邪魔してきました!『虹の学校』は朋子さんという日本人の先生が校長を務める学校で、子どもたちは学校に泊まりながら生活を共にし、この学校で育っています。彼らのほとんどが無国籍で、厳しい境遇の中さまざまな理由でこの学校にきています。
 今回は4日間虹の学校でこどもたちと共に生活し、そこで経験したこと、感じたことを記事にしてみたいと思います!

虹の学校のホームページはこちら↓

ここもまた、タイ国境の村

バスで計15時間半

 虹の学校はサンクラブリー郡のフアイマライ村に位置しています。メーソートからサンクラブリーへの直通ルートはなく、最短ルートはカンチャナブリ経由(メーソートからは南へ470kmほど)でそこから220kmほど北上しサンクラブリーへ行けるそうです。地図で見るとわかるのですが、ほんとうにミャンマーがすぐ目の前にあるまさに国境の村です。
 しかし今回は夜行バスでバンコクを経由して向かったため、メーソートからバンコクまで9時間、バスを乗り換えてサンクラブリーまで6時間半の大変なバス旅となってしました(汗)そんなわけで、4日間の滞在とはいえ学校に到着したのは初日の夕方でした、、、

山、草原、大自然

 フアイマライ村は本当に自然が豊かで美しい場所でした。目の前には畑や草原が広がり、遠くには山々がそびえ、夜は家の灯りも少ないので完璧な星空を望むことができます。

田んぼの景色。ここで稲刈りを行いました

虹の学校での一日

学校の子どもたち

 学校にいるのはモンやカレンといった山岳民族の子どもたちで、先生も含め学校での共通語はタイ語。(モン語やカレン語も子どもたちから少し教えてもらいました)タイ語がわからない私にとっては完全アウェーでした。(笑)しかし、2日目の朝、男の子たちがサッカーに誘ってくれて、朝からみんなでサッカーをして1日が始まりました(一緒にサッカーできたのも馴染むきっかけになって本当にありがたかったです)。学校では日本語の授業もあるため、みんな日本語も少し話してくれて「こっち、こっち」と言って連れて行ってくれて、みんなが本当に積極的に絡んでくれたおかげで自分自身もすぐに馴染むことができました。
 中学生のこどもたちが中学校に行き、虹の学校に残った子どもたちの授業が始まります。算数の授業で答えをチェックしたり、ひらがなカードを使って暗記チェックをしたり少しお手伝いをさせていただきましたが、特に英語の歌を歌いながら英語を勉強していたのが印象に残っています。

歌詞が書いてある大きなボードを使って歌いながら英語を学ぶ子どもたち

 ギターを弾かせていただいてみんなで一緒にカントリーロードを歌ったり、Let it goを歌ったり、みんなで歌うのは気持ちいいし英語も学べるし本当に楽しい授業だと思いました。
 午後は新しい歌詞ボードを作ったり、体育の授業のお手伝いをしました。私は大学でアルティメットというディスク(フリスビー)競技をしていることを初日の夜に朋子さんと旦那さんのゆうすけさんにお話して、それっぽいものを体育でやってみようということになり、フリスビーではなくボールで、ルールも簡単にしてやってみました。思った以上にちゃんと競技になっていて楽しかったし、子どもたちの体力、パワーに驚かされました。

かなり運動量が必要なスポーツですが、休みもなくぶっ通しでやっていました汗

 夜は年明けに開催されるミュージカルの練習をしていて、見させていただきました!車のヘッドライトを灯りにして、一生懸命やっていました。

ミュージカル練習。見ているだけでも元気をもらえます

 人間のエネルギーって感じることはできても目で見て実感するのは難しいですよね。でも、この練習の時、1日を通してずっと感じていた子どもたちのエネルギーが目に見える形となってミュージカルに表現されていて、元気とか、たくましさとか、そういったものが一つの輪になったような空気感を味わいました。自分もその中に加わりたくなるような、でも遠くから見守っていたいような、これはもしかしたら本番ではなく練習だからこそ、そう感じられたのかもしれません。
 この時改めて、自分は素晴らしい場所に来たんだと実感しました。 

同い年のボランティアとの出会い

 実は、ここ虹の学校には以前からボランティアとしてやって来て滞在している方がいました。インドから来たSnehaさんという方で、彼女も私と同じ二十歳。学校の近くにある朋子さんの家に滞在していて、朋子さん、玄壮くんと珀雨くん(朋子さんのお子さんです)と一緒に毎朝学校に来て夜になるとまた一緒に帰るという感じです。インドでは美術を専攻しているそうで、虹の学校では英語と美術のクラスを担当しています。
 Snehaがどうしてこのタイの辺境の学校に来たのか気になり、ここに来た経緯について聞いてみました。もともと、Snehaの母親がインドのNGOで活動していることが一つのきっかけだそうです。
 インドの話になりますが、ムンバイのカマシプラという地区には歓楽街(風俗街と言ってもいいのかもしれません)でセックスワーカーとして働かなければならない女性(周縁に追いやれてしまっている女性たち)がいるという現状があります。この団体はそんな彼女たちがそのような"Red right district"から抜け出し社会を変えるリーダーになるために支援をしているそうです。
 そのような母の背景もあり、Snehaは大学に入る前に休学し、(休学という表現が正しいか分かりませんが、Taking a breakと言っていました)海外でのボランティアを色々探し、このサンクラブリーの虹の学校にたどり着いたそうです。Snehaは1月までここでボランティアをし、大学はハンガリーの美術大学も考えているそうです。彼女の作品はこちらです!↓

 自分と同い年の人が自分と同じような立場で世界で挑戦しようとしている姿に勇気をもらったし、「俺もやんなきゃ」って思わされました。彼女にとっても、学校の子どもたちには英語が通じないしコミュニケーションを取るのも学校で授業を教えるのも困難。それでも笑顔をシェアすることはできるし、それがモチベーションになっているとSnehaは言っていました。
 これも2人で話したことですが、できることは限られていても、与えられた場所で、自分にできることで、幸せを見つけることができるのだと思います。大事なのは、Confort zoneを出ること「できることが限られる場所」に身を置くこと、そして置かれた場所で幸せを見つけること。
 「できることが限られる場所」は、「新たにできることを見つけられる場所」であり、「できることを増やす努力ができる場所」なのです。満たされた環境で努力をするのは難しいので。だから私は、できることを増やすためビルマ語力を鍛える努力を怠るわけにはいけないのです。

後編では、稲刈り体験のことを書きたいと思います!お楽しみに〜


このブログについて

 このブログは、任意団体Listening to Communities(LtoC)の紹介を通じて、現地ボランティアの機会を得た日本人の学生が書いています。LtoCは、タイ国境で暮らすミャンマーの土地を追われた人々や、弱い立場にある移民の人々を支援する団体です。日本の学生と現地をつなぐ教育・交流活動も行なっています。団体の詳細についてはこちらをご覧ください。

 LtoCでは皆様からいただいた寄付金で支援を行なっております。いただいたご寄付は、子どもたちのGED(大学進学を目指す際に必要となる米国の高卒認定資格)の受験料をはじめとする教育支援に大切に使わせていただきます。皆様からのご支援をお待ちしております。ぜひご協力をお願いいたします。

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