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「若手は我慢して使わないと育たない」は「嘘」である

何かにつけて「若手を使え」と主張する人が
しばしば口にする文言に
「『若手は使えば育つ』とは思ってないが
『若手は我慢して使わないと育たない』」
がある。
たしかに
いくら有望な若手でも
一軍で使わないことには一軍で活躍することもできないわけで
一見間違ったことを言っていないように見えるが、
先にはっきり言ってしまおう。
これは「嘘」だ


誰に対して「嘘」をつくのか


じゃあ誰に対して「嘘」をついているのか。
それは「若手は使わないと育たない」と言っている自分自身に、である。
わざわざ「嘘」とかぎ括弧をつけたのは
彼らにも嘘を言っている自覚がないためだ。
本当の感情は全く別なところにあるのに
「それではまずい」と理性がはたらきかけるので
一見真っ当に思える「使わないと育たない」と
自分自身に言い聞かせ思い込んでるだけなのである。
では本音はどうなっているのか。
いくつかのタイプを見ていこう。

本音①「若手は使えば育つ」

これは以前
「プロ野球で『暗黒期』を欲する人たち」でも説明した内容。
「使わないと育たない」は「100%育つわけじゃない」が
「使えば育つ」は100%を意味
する。
そして本音が「使えば育つ」の人は、
使っても育たなかった場合に
「100%育つわけじゃない」「使っても育たないことはよくある」
事実を認めたくないので
「首脳陣や編成、FA選手のせい」と言い張り、
チームが強くならなかったなら
抜擢そのものを無かったことにする。

本音②「高校生が1、2年目から一軍スタメンに固定されればそれでいい」

これは高校野球マニアにありがちなタイプ。
高校野球マニアを兼ねている
ドラフト評論家やスポーツライターを想像すると
わかりやすいだろう。
「チームを強くするために5年先10年先を見据えて高校生を獲れ」と
口では言うが、
「5年後10年後」を想定しているはずなのに
高卒選手を1、2年目から一軍スタメンに定着させないと激怒し
「育成する気がない」「コンバートで場所を用意しろ」などと批判する。
このタイプの場合
出自はかなり大事な要素になり、
それまで使われていない高卒選手だと
たとえ7年目(25歳)以上であっても
結果を出せなくてもスタメン固定が評価される。
しかし大卒・社会人出身だと
自分たちが好む「ロマン」でもあれば
評価されるが、
そうじゃなければハードルが著しく上昇し
ある程度結果を出しても
「聖域」「即戦力外」扱いされる。
最後の例は
1、2年目の西川龍馬や大山悠輔などが典型的だ。
「若手は使わないと育たないんだから育てろ」とは主張するものの
実際には
若手が育つかどうか気にもとめていないタイプである。

この傾向は
元々の日本の高校野球人気に加えて
大卒・社会人にのみ適用された逆指名制度への反発、
高卒至上主義のドラフト評論の台頭などもあり、
90年代以降に一般のファンへ急速に広がっていった。
大学・社会人出身選手は
ドラフト指名も
「目先の利益につられた」「育成のやる気を出せ」などと
かなり叩かれることが大半だが、
育成指名選手の場合は
名誉高卒とでも言えばいいのか、
育成と抜擢の成果がやたらと強調される。
育成指名だと
大学生は地方大学の比率がやや多くなるし
「社会人」は
独立リーグかクラブチームに限定されるから
出世物語を作りやすいのも
理由の一つと考えられる。
この育成指名出身者優遇に限っては
ドラフト指名順に格を求める嗜好も相まって
ドラフト評論家のほうがまだ冷静になりがちではある。

本音③「今のチーム、監督などを叩ければそれでいい」

今さら言うまでもないことだが
プロ野球は
強いチームでも勝率は6割程度。
すなわち最低でも残り40%は
自分が快感を得られない負けの試合が占めることになる。
そんなとき
どうやって憂さを晴らし快感を得るか。
その有力な手段の一つが
チーム、監督批判になる。
また
自分はどこかのチームのファンとして
チームを応援しているつもりではいるが、
実際には
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」をたてに
何とかマイナス材料を見つけて
嫌いなチームや首脳陣などを批判しようと
常日頃粗探しで快感を得るタイプもいる。
采配批判で憂さ晴らしをしようとする理由は
今あげた2点以外にも数多くあるだろうから、
これらのタイプの「ファン」は非常に膨大な数にのぼっている
と思ったほうがいいだろう。

そんな人たちにとって、
盗塁、バントなどの小技や継投とともに
采配批判をしやすいのが「若手の抜擢」だ。
ここでの「若手は我慢して使わないと育たない」は
采配批判のための道具にすぎず、
本音②と同様に
若手が育つかどうか気にもとめていないタイプにあたる。
この本音が顕著に出るのが
実際に若手が我慢して使われた時。
それまでずっと
「使わないと育たない。調子が悪くても我慢(=聖域に)しろ」と
首脳陣批判をしてきたのに、
実際に使われた若手がなかなか成長しないと
「聖域にするな」「二軍に落としてもう使うな、クビだ」と
全く逆のことを言い始めるのだ。


具体的な事例

近年、特に2021年前後には
ここに書いた「嘘」と現実を示す事例が
相次いだ。

実際の事例をいくつか見ていこう。

事例① ドラフト競合1位への怨嗟

最初に取り上げるのは
清宮幸太郎や根尾昂の起用である。
近年のファイターズは
二軍の若手の伸び悩みが顕著になっており、
その中では結果を出してもいた清宮を
一軍で使い続ける方針をとっていた。
また彼の1年目は
DHに入ったアルシアの結果がいまいちで、
「清宮を使い続けろ」の声を多数目にしたものだ。
一方2021年のドラゴンズも
3年目の根尾を開幕から使い続けることにし、
開幕前は
「結果が出なくても使い続けてくれ」を前提に
賞賛されていた。
しかしこの2人がなかなか結果を残せないと、
2人の起用に対してすぐに手のひらが返され
「聖域にするな」批判の声が強くなったのだ。
これは本音①と②の複合形と言っていいだろう。
2人ともドラフト1位競合の選手なので
「スター候補だから聖域にされている」との
反感を買いやすい存在なのも一因かもしれない。

また根尾の場合は
スタメンで使われれば「聖域」、
スタメンを外れれば「なぜ我慢できない」「一貫性がない」と、
どの選択をしても
そのつど手のひらを返して監督の起用が批判される
本音③の典型的な事例
になった。
このように彼らへの非難は、
選手本人へのヘイトとともに
当時の栗山、与田両監督へのヘイトも
非常に大きな要因だったのは言うまでもない。

事例② 「一軍で300打席我慢しろ」の裏にあるもの

2021年6月に文春野球に掲載された
杉本裕太郎抜擢と「一軍300打席理論」の話
「若手は使わないと育たない」を主張する人たちには、
この記事はもれなく支持されたと記憶している。
しかしこの記事には
「我慢して使え」の矛盾点がはっきり見えている。

著者の市原氏は
「強打者候補には一軍で300打席は我慢して使い続けろ」と主張し
「杉本を干して使いやすい『小兵』ばかりを使い続けた」と
福良、西村監督時代を批判している。
だが検証してみると
実際に「杉本に代わって」使われることが多かったのは
吉田正尚、ロメロなどのスラッガー
宗佑磨、西村凌、西浦颯大、中川圭太、佐野皓大などの
当時すでに20代後半の杉本より5歳以上若い若手だった。

この記事はこれだけでも充分問題なのだが、
今回指摘したいのは
この記事に共感し賛同する人たちである。
市原氏の場合は
杉本のような体格の優れたスラッガータイプがとにかく好みで
杉本より若く実績も充分だが背の高くないスラッガーにも
中距離打者候補の若手にも
全く興味がなかっただけの可能性もある。
だがこの市原氏の記事と理論に賛同して
「だから福良、西村監督、うちのチームはだめなんだ」
「うちも中嶋監督の杉本抜擢を見習い我慢して若手を使え」
と叫ぶオリックスや他球団のファンは明らかに大問題。
二軍スタッツにまだ難のあった杉本よりも
はるかに成績を残せていない若手を使えと主張するのは
いつものことだが、
ここで言われる若手には
杉本の1年目にあたる25歳以上の選手はまずおらず
10代~20代前半、よくてもせいぜい23歳まで。
さらにチームによっては
「(昨年や一昨年の杉本よりも若い)主力選手を
一軍スタメンから追い出して干し、
20歳前後の若手を我慢して使い続けろ」
とも主張されている。
つまり
福良、西村両監督の起用を批判しながら
福良、西村両監督と全く同じ起用をしろと主張し、
しかもこの矛盾には何一つ気づいていない
のだ。
もちろん
本音②も持っている人たちからは
杉本のような大卒社会人は
ドラフト指名そのものが批判され、
1年目で大活躍できなければ
「即戦力外」のレッテルを貼られること、
そして杉本自身も2019年までは
「若手を使え」を主張する人たちから批判され続けていた
ことは
言うまでもない。

この「一軍300打席」理論には懸念材料がもう一つ。
「300打席与えて育ってないからこいつはもういらない。
次の若手を使え」と
ファンが若手を次々使い捨てる可能性も高いことだ。
もし一軍スタメン固定にはまだ早いのに
ファンの声でスタメン固定させられる時代が来たら、
「300打席与えたから」と
飽きっぽく批判しかしない「ファン」から
若手が「聖域」扱いされ切り捨てられるのは
目に見えている。
選手自身や
じっくりと時間をかけて一つ一つ段階を踏ませ
それこそ「10年先」の主力を育てようとしている
チームにとっては
たまったものではない。
清宮や
しばらく批判のほうがはるかに多くなっていたが
2021年に活躍しだしてから再び手のひらを返されている宗、
スラッガータイプではないが
高卒1、2年目から使われ続けた後藤駿太などへの「聖域」批判は
こうした要素も影響しているかもしれない。


事例③ 「長打力のために我慢しろ」しかし…

次に
「打率が高いのに得点がとれない」カープ佐々岡監督への采配批判
を考えてみよう。
一応記事へのリンクは貼ったが
「得点がとれないのは小技をしないからだ」という
昔ながらの月並みな采配批判記事なので、
記事そのものは全く見る価値がないと言っていい。

2021セ打撃成績

この打撃成績からわかる
カープの得点力が低かった最大の理由は
どう見ても長打が少ないことだ。
HRがドラゴンズに次いで少なく、
二塁打にいたってはリーグワーストである。
そのため打率は高くても
長打率がかなり低い。
出塁率も高いわけではない。
さほど多くない出塁した選手を
長打が少ないので大量に返すこともできていない

3連覇を支えてきたこれまでの主力の調子が上がらず、
代わりに使われている
小園海斗、林晃汰、坂倉将吾らも
打率は高いのだが長打があまり多くなかったので、
どうしてもこういう打撃成績になってしまう。
単にこれだけの話なのである。

さてここで問題になるのは
事例②と同じく
この記事に共感し佐々岡監督の采配批判をする人たちだ。
というのも
今説明したように
チームの長打が少なく得点力が低い理由の一つには
「若手を使い続けたから」があるからだ。
若手のスタメン起用が続いたことに関しては
不調の主力よりは調子も成績もよかったので
何もおかしいところはなく、
長打に関しては
彼らが一軍でさらにワンランク、ツーランク上がるまで耐える、
若手至上主義者が言う「我慢」の時期そのものと言える。
それなのに
これまで佐々岡監督、緒方前監督を
「我慢して若手を使い続けろ」と叩いてきた人たちが
この「我慢」を全くできず、
鬱憤の矛先を
盗塁、エンドランなど監督の小技の采配に向けた
のである。

さらに矛盾点がもう一つ。
通常、「若手を我慢して使え」と言う人たちは
「長打力のある選手を育てろ」と
事例②に近いことを主張してくる。
ところが、この采配批判では
「長打がなくとも足を使った攻撃をすれば点はいくらでも取れる」
と主張されている。
すなわち彼らは
「本当は長打力にこれといった価値を認めておらず
打率と走力、小技を最重要視している」
こと、
「長打力を育てるために若手を我慢して使え」は
「ロマンを感じた若手を自分が飽きるまで使わせたい」だけ、
「首脳陣を叩くためにまだ使われていない若手を利用したい」だけの
方便にすぎない
とわかるのだ。
まあベイスターズのラミレス前監督や
坂本勇人、大田泰示など
自己犠牲型ではない選手の二番打者起用への批判などからも
ある程度予想できた話ではあるのだが…。
運良く自分が飽きないうちに若手が成長すれば自分の手柄、
成長する前に自分が飽きれば首脳陣か若手のせい、
チームが勝った時は若手を使えと言った自分の手柄で
勝てないのは采配のせいか
チーム・首脳陣・選手のやる気がないせいにすればいい。
どのパターンでも自分だけは気持ちよくなれるわけで、
若手が成長しなくても
彼らにとってはたいして問題ないことになる。
一軍で使われても自分の思い通りの速度で成長しない若手を
「聖域」と手のひら返しするのも
うなずけるというものだ。

事例④ 「我慢して使われた若手」を待つ地獄絵図

2021年は
スワローズが20年ぶりの日本一を手にした。
そのこともあって、
今や球界を代表するスラッガーに成長した
村上宗隆の2019年の起用を
「村上のように我慢して使わないと若手は育たない」と
喧伝する人がさらに多くなった。
しかしこれもまた非常におかしな主張なのである。

詳しい理由は
「『若手を我慢して使う』ことを村上宗隆に学ぶ」
書いているのでそちらを見てほしいのだが、
この事例の重大な問題点は
リーグ平均を大きく上回るOPS.764~.864と
各チームに1~3人ぐらいしかいない成績を残し、
我慢する必要もないほどの結果を出し続けた2019年の村上を
「我慢して使った」と述べている
ことだ。
これは
「今の村上ぐらいの成績を残せないスタメンは全員若手に代えろ」
という意味になる。
低打率と高い三振率を理由にできなくはないが、
中村剛也など他のスラッガーでも
このぐらいの打率の年はよくある選手はいるので
言い訳にはならない。

そしてもう一つ。
たとえばある若手が我慢して使われたあと
リーグ屈指のスラッガーとまではいかないが
押しも押されもせぬチームの主力に成長したとしよう。
しかし
「村上のように我慢して使え」と主張する人たちにとっては、
リーグ屈指のスラッガーではない時点で
「次の若手に切り替える対象」でしかない。
つまり
実際に「我慢して使った」成果が出た選手であっても、
よほどの選手じゃなければ
彼らはその「我慢」の成果も選手の価値も認めない
ことになるのである。
しっかりとした実力の持ち主を
わざわざ力の劣る若手に代えて戦力ダウンさせたというのに、
実際に主力に成長した若手と
我慢して使った首脳陣に対して
この仕打ちはたまったものではない。
しかも事例②を合わせた場合、
若手に与えられる猶予がたった300打席しかない人も
数多くいることになるわけだ。

それなら彼らは
本当に日本を代表する存在に成長した選手を
さすがに若手に代えようとはしないのかというと、
若手と取り換える方法が一つだけある。
MLBに挑戦してもらうことだ。
この人たちにとっては、
MLBでプレーする日本人選手が見られるうえに
日本国内では若手を堪能できると
いいことづくめなのだろう。
そういえばこの人たち、
国内FA選手の獲得を常に批判するのに
FA権取得期間の短縮や自動FAの導入に対しては
なぜか賛成する
ことが多い。
「選手の権利のため」と言ってはいるが
矛盾した主張の本当の狙いはそういうことだったのか。

腹を割る前にまずは腹を掻っ捌け

実際の彼らの本音は、
ここであげた内容のうちたった一つではなく、
こうした本音の集合体と考えられる。
ここであげた以外に
別な本音を持っている人もいるだろう。
ただどの本音の場合でも
「若手選手を育てる」ことではなく、
「自分が気に入った若手が使われる」
「『若手を我慢して使え』と首脳陣を叩く」ことで
カタルシスを得ており、
その快感自体が目的化しているのは間違いないと思う。
一方で
これらの本音は当の本人がまず気づいていないことが多い。
そのため
彼らの主張には矛盾が生じ
話もかみ合わなくなる。

自分の本音を知るポイントを挙げるなら
自分の思い通りの起用がされないときに
その若手を使わない合理的な理由を考えようとするか。
若手が成長しなかった際に
その事実をある程度割り切ることができるか。
こういったところだろうか。
他にもポイントはいくつもありそうだが、
いずれにせよ
腹を割って話すのであれば
自分の腹の中にある本当の感情を知らないと始まらない。
なのでまずは自分の腹を掻っ捌き、
その中身をしっかりと確認しなければならないのだ。


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