ケルン エルデハウス(旧ゲシュタポ)へ行ったよ
ケルンにある負の遺産 ナチスによるゲシュタポ(秘密国家警察)へ行ってきました。
当時のゲシュタポの本部だそうです。
学生時代にサラっと習ったゲシュタポ、ドイツ語で Geheime Staatspolizeiというそうです。日本語で秘密国家警察ですかね。日本にいたころはドイツ語なんて1つも知らないと思ってきたけど、実は習っていた言葉も多くてびっくりします。
ケルンの駅から徒歩10分ほどのところにあります。
平日の昼過ぎに行きましたが、学生たちの見学ツアーが2か所くらいで行われていたためそれを避けるようにまわりました。
まずは地下の独房へ
狭く暗く、急に寒くなるような気持ちで進みました。一人だったら怖くて行けないかも・・・。私は前におばさま2人がいたので着いていきました。
当時の独房です。ユダヤ人だけでなく、ナチスに反対したドイツ人・各国のスパイなどありとあらゆる人種・いわゆるアーリア人(ドイツ人)以外は全員迫害を受けたそうです。
実際は5~6人が収容される場所に、多いときで20人から30人収容されていたとのこと。立っているのもやっとで生きる希望すら考えることができずストレスと衰弱で悲鳴が絶えなかったそう。トイレは一つだけ、食料は与えられない、5日間通して寝られなかったと残してありました。
たくさんのメッセージが部屋の中に書いてありました。身内にあてたメッセージ、ナチスにあてた批判、今置かれている現状などが1800通のメッセージとして残されています。
私がここに来たかったのは、今私は「移民」としてドイツに住んでいるので当時のユダヤ人の気持ちが重いくらい分かるのではないかと思って足を運びました。
今ドイツでは一部の極右翼派が反移民を訴えているそうですが、迫害されるとはどういうことなのか、恥ずかしながらどこか自分には当事者意識がなくて実感できなかった。
ナチスによる恐ろしいくらうまい心理洗脳方法・迫害された人種・戦犯の写真など膨大な資料を見ることができました。
私はGoogle翻訳で毎回資料を翻訳して見ていました。
ここケルンも戦争で大きな被害を受けた場所の一つで、ケルン市民ももちろん空爆に苦しめられます。
この展示をみて、ヒトラーに洗脳された当時の世界とナチスがいかにスムーズに戦争にもちこんだのかという歴史を知ることができました。
社会や世界史の授業では事件の流れは教えてくれるけど、当時の思考を自分事として考えられたのは初めてで、自分のなかで色々な思いがあふれました。
もし今ドイツで「移民は全員劣っているから迫害しよう!」という運動が過激化してきたら真っ先にドイツ語も堪能にできない、労働力としても不足している自分が死ぬだろうな、と本能的に感じました。だってドイツに残しておくメリットがない。
でも多くのドイツ人はこのような残虐な事件を再び起こさないように一人ひとりが意見を持っていますよね。(一部の極右翼派を除く)
時には学校でも政治についてかなり深く授業があるというし、大規模なデモを起こすことにためらいがない・・
私はドイツに来て「なんであんなにみんな思想が強いんだろう~」と軽く考えていましたが、そうではなかった。
ナチスの負の経験があったからこそ「多数派が必ずしも正解を導くわけではない」「声の大きい人の意見にだけついていくな」という考えから、一人ひとりが意見を持つようになったという背景があるのですね・・・
実際、ドイツでは小学校のうちから学校でデモを起こす方法を学ぶそうです。
例えば学校に対して変えてほしいことがあれば、
①学校の先生に訴える
②教育委員会に意見書を出す
③それでもだめなら同じ意見を持つ仲間でデモを起こす
このように正しい手順を踏んで正しいアプローチをすれば、社会は変えられると小さいころから教えられるそうです。
それが間違った意見でも、正しい意見でも、です。
あと、心に響いたドイツの言葉がありました。(古い本のタイトル?)
「Nur tote Fische schwemmen mit dem Storm」
死んだ魚だけが水の流れに流されていく
意見を持たないものは流されるだけだ、ということですね。
今まで疑問に思っていたドイツ人の「議論好き」は過去の反省と根深い関係があると思うと歴史を知ることは大切だと改めて思いました。
あと、ドイツ語も学び続けて(がんばれわたし・・・)ドイツに馴染もうとする必要もある。この国に住ませてもらっているのだから、いいところだけを享受するのはおかしいな、とも思いました。
帰りはもうひとつ美術館に寄って帰ろうと思っていましたが、そんな気になれるほど元気ではなくケルン大聖堂でぼーっとしてから帰ってきました。
また来るよ~
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