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#言葉

じんせいを人生と書いてみたい、8日間だった。

ずっとnoteもおやすみしていて。 メンタルも弱っていて。 メンタル補強してからじゃないと、泣き言を書いてしまいそうなので。 その機会を待っていました。 母の介護。 やっと8日目を迎えられました。 まだ新米の新米だからなんもいえねーわけですが。 思ったよりはしんどくはなかったのに。 労働的に。 でもしんどかったのは、心でした。 作業の合間に、そのぽっかりした余白に 泣きそうになったり。 こらえたり。 みなさんこういう時間を過ごしているんだろうなって想像してみ

はじめてで、最後の妹。

4月19日。 まるで夏の訪れを感じるような春の日。 5カ月の入院生活を無事に終えて、 母が帰ってきた。 退院の時は、リハビリテーションのみなさんが 退院おめでとうの声を集まってかけてくれた。 母は平然としていたけど、わたしの方がうるっと きてしまった。 あの病院の主治医をはじ療法士さん、看護士さん スタッフの方々、すべてが恵まれ過ぎていた。 わたしが同じ病を得たら、お世話になりたいと決めて いるぐらい。 そんな母はいますべての今日の出来事を終えて 夏の全国高校野球

noteがなければ、家族と出会い直せなかったかもしれない。

今日noteがはじまって10周年だと知った。 10年前にはnoteを知らなかった。 SNSにはなにひとつ手をださないで 過ごしていた。 スマホさえ持っていなかった頃だ。 もう誰かと関わるのも嫌だったし。 なにか無性に傷つきたくなくて、なにも やらないでただホームページに頼まれた 文章だけを書いていた。 ここに来たのはあの感染症のせいだけど。 それでも2020年に来て今2024年までこの 飽き性のわたしがいるなんてちょっと びっくりしている。 わたしの個人的な問題の

E90: 自己紹介風エッセイ3

自己紹介というのは、皆さんの前でフルヌードになっているような恥ずかしさを覚えます。うっすら腹筋が割れていた35年前なら、それなりに自信があったのですが、今のお腹は恥ずかしくて仕方がありません。見ないで! …え? 何の話でしたっけ? では続きを。 このシリーズは今日で終わります。長々とすみません。 私が若い頃、世の中には「マザコン、ファザコン」なる言葉が流行っておりました。父や母とべったりである人を批判するような風潮がありました。 そういう流れで言うと、私は「精神的ババ

藤井風「満ちてゆく」に満たされて。

リリースされてしばらく経っているので 後だしジャンケンなところは否めない。 藤井風の「満ちてゆく」の動画を見ながら いつも号泣してしまう。 noteは遺書だからって前から言っている そのあたりも映像と重なってわたしに とってドンピシャだった。 人が生きて悩んで生きて失ってまた ふたたび老いてゆく自分を生きて、 すべてを差し出しながら死んでゆく という世界観にわたしはとても共鳴 していた。 音楽的の技術などについてどう感じたかは 専門外なので書けないのでこの歌詞にこの映

かなしみに溺れそうな夜に。

母が病に倒れてからなにを感じたかというと たぶん、知っていたことだけどわたしももう そんなに若くないってことだった。 悲観とかじゃなくて。 あたりまえのことだし。 時間は人々に平等に刻まれているから 知っていたけれど。 その時思ったのは、どれぐらいの時間が わたしにも残されているのかわからない けれど。 うまくいえないけど。 ちょっとうまく言おうとするとしたら。 わたしのまわりをちゃんと支えてくれる 人たちものたち、場所たちのことに ちゃんと心を尽くしていきたいと思

私もまた、言葉に救われている。

まだまだ私は言葉を舐めていた。乾いた土に雨水がぐんぐん染み込んでいくように、私の心は言葉のあたたかさに満ちていく。 たかが人間の、意思疎通を図るために生み出された言葉。単なる言語。なのに私たちはどうして、そこに言葉を超えた意味を見出し、心に広げていけるのだろう。 こうして文章を公開するようになって、3年が経つ。3年もいると素晴らしい出会いもあれば、まあ苦々しい別れだってあった。だけどこんなに続けることができたのは何よりも、出会いに恵まれていたおかげだと思う。 ただ公開す

その日の気持ちも映りこんでいる、スマホの写真たち。

SNSではプライベートで、ご飯を撮って 投稿するということが今は当たり前だけれど。 2022年からTwitterを始めた頃はちょっと 慣れていなかった。 昔はまわりの若い子たちはいち早くみんな、 Twitterやインスタをやっていたので。 お昼に一緒に行くと、今まで喋っていたのに。 お料理が届いたらぷつんと静かになる。 被写体を美しく撮ろうと彼女たちの 眼差しは必死だった。 食べる前に写真を撮ってそれをポスト するって不思議な行為だなってSNSやらない わたしはず

家族って減点ゲームじゃなかったんだと、知った。

熱い心はもうどこかに置いて きたのかもしれない。 昔もっていたかもしれない野心とか 負けん気とか。 熱すぎたり、自己顕示欲が過ぎたりして 自分のバランスを崩しがちだった あの頃からしたら今はとても 静かな心なのかもしれない。 母が倒れてから、日常がすこしずつ変わって いった。 ふたり暮らしが独り暮らしになった。 ごみの量が減った。 電気代も半分になった。 新聞を読むのがわたしだけになった。 咳をしてもひとりになった。 プチ断捨離をしていたら不燃ごみが ふえていった。

ずっと続いてほしかったエンドロール。

わたしの好きなドラマ、「カルテット」。 夢がかないそうで叶わない。 いつまでこんなことやってるんだっていう 想いにも駆られながらも、夢にピリオドを 打つことを止めにした彼らが好きだった。 一緒に下る坂を下ろうぜみたいな。 四重奏楽団カルテットを組んだ男女4人の 物語。 脚本の坂元裕二さん好きな人には馴染み すぎているぐらいの 台詞だけど。 泣きながらご飯食べたことがある人は、生きていけます。 っていうのがある。 主人公のマキさん(松たか子)が、いろいろありすぎた

雨の日の図書館とことばたち。

若い頃は本が嫌いだった。 唯一読めるのは谷崎潤一郎の『痴人の愛』 だけだった。 それが中学生のはじめの頃。 きっかけは、この原作をわたしが通っていた 卒業生の方が女優になられて演じたことが きっかけだった。 本を後に回して、キネマ旬報のシナリオから 読んだら、はまった。 字だけなのに映像がもう動いている世界って おもろいなって思って、夢中になって 学校から帰ると部屋にこもって読んでいた。 それから原作の『痴人の愛』をこっそり買った。 わたしは家族の中で誰よりも本

アカウントひとつ消したら「じぶん」が戻ってきた。

アカウントというものをはじめて持った時の ふしぎな感覚をまだ覚えていたりする。 本名を消したくて、アカウントを作ったので どっちかというと、もうひとりの自分みたいで 心地よかった。 ちょっとした逃げ場所みたいに考えていた。 でも時間が経つと、逃げ場所でSNSをやっている とそこは日常のいつもの場所になってゆく。 そしてキャラもTwitterならTwitterのなかの わたしであり。 noteで言えばnoteのなかのわたしになってゆく。 それはそれで楽しかった。

3万円で静けさを買った。

夜、さまざまなスイッチを 消してしまうと、 静けさが訪れるはずだった。 独り暮らしを始めてもうあっという間に 3か月が経とうとしている。 寂しいのかなって思ったけど。 案外それは訪れなかった。 夜になると、片づけをしたくなったり 読書をしたくなったり、見逃したドラマを みたくなったりする。 誰かにメールを書いている時も、キーボードを押してる音ともうひとつ聞こえるのはシンクの蛇口の音だった。 水漏れしていた。 よく昭和の映画とかのシーンでちょっと 寂れた部屋とか、

SNS、秒の言葉、秒の気持ち。

スマホって手のひらから生えてるんですか? 時折そう言いたいじぶんがいた。 朝もスマホのアラームで目覚め。 Twitterをお布団の中でチェックして 返事を出して、時には温い電気ブランケットの なかで一仕事してしまう。 言葉がスマホを通してなら言える。 元Twitterなら言える、Xなら言える。 みたいな世界からいったん 抜け出したかった。 きっかけはこちらの記事だった⇩ そうか、こうすればいいのか。 スマホからTwitterのアプリを外せば いいのか、簡単じゃない