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【自己紹介②】私が勉強攻略に至るまで(中編)

こんにちは!熊本の教育&勉強攻略アドバイザー、ブレイクスルー・アカデミー代表の安東正治です!ここからは前回からの続きとなります^ ^


さて私は高校時代「四天王」と呼ばれていました。ワースト4の、つまり成績が常に最底辺の4人は総称してそう呼ばれていたわけです。それくらい高校時代の私は勉強に関して全く関心がありませんでした。


一つ言い忘れていたことがあります。これは私という人間をご理解いただく上で絶対的に知っておいて欲しいことなのですが、私は基本的に「超絶ワガママ」です。やりたいことはやりたいし、やりたくないことは一切やりたくない。そういう性格です。今もそうです。


その結果高校時代は体育祭の応援団や部活、友達や彼女と過ごすことばかりを優先して、やりたくもない勉強は一切やらないという”割り切った”生活をしていました。


そもそも、どうして勉強しなければならないのか意味が分かりませんでした。どうせこんなもの記憶から消えてしまうわけじゃないですか。その証拠にあの教育熱心な両親でさえ、私に勉強を教えることができなかったわけだから、大人になっても生活するために必須の知識というわけでもなさそうです。だったら、いつか忘れることをわざわざ青春を犠牲にしてまですることないよな、というのが私の理屈でした。


そんな私ですから、高校3年生の秋になって、部活も皆引退し、学校全体が受験ムードになっている時期にさえも斜に構えていました。


「よくこんな退屈なことができるなぁ、、、、」


それでも、一応熊本高校は進学校です。私もそれなりに危機感を抱かざるを得ない状況になっていきます。父親も「とにかく走れ。勉強マシーンになれ。色々ごちゃごちゃ考えるな。とにかく勉強しろ。」とばかり言います。それができたら苦労はしないよと返していましたが、とにかく私は、意味がないことはやれない性格だったのです。でも一方で危機感をそのまま放置することもできない。


そこで私はある行動を取ることにしました。なんで勉強なんかしないといけないのか、その理由を教えてもらおうと考えたのです。


その日から私は身近な大人たちにガツガツ接触して


「勉強ってなんすか?」

「どうして人は勉強するんすか?」

「勉強ってそんなに大事なものすか?何がそこまで重要なんすか?」


と聞きまくる日々を過ごしました。学校の教師は勿論、親にもそうだし、仲の良い親戚のおじさん、おばさん、学習塾の講師、果ては部活の先輩や成績の良い同級生まで。とにかく沢山の人に話を聞けば答えが分かるだろうと思ったわけです。しかし、ここで私が行き着いた結論はかなり残念なものでした。


「あ、これダメだわ」


数学の教師に「どうして数学を勉強しないといけないんですか?そもそもベクトルの内積ってなんですか?あれ何がしたいんですか?」と聞いた時、そのおじいさん先生が放った言葉がトドメでしたね。


「ロマンだよ、安東くん。二つのベクトルがあったら掛け合わせたくなるだろ?」


「あ、これダメだわ」


そう思わせるには十分な答えです。そう、私が行き着いた結論はこうでした。


「誰も『なぜ勉強しなければならないのか』の答えを持っていない」


勿論それぞれが個人的に持っている「なぜ勉強しなければならないのか」の答えはあります。それは「その人の考え方」であり「その人が行き着いた納得解」であり、それはつまり「意見」に過ぎません。私が知りたいのは「真理」であり「正解」なんです。でも沢山の人にガツガツ聞きまくったところで、彼らのバラバラの意見しか聞くことができなかった。学校でも学習塾でも、そう言えば「勉強とは何か」なんて授業はなかった。そこが一番大事な知るべき情報だと思うのですが。でもない。誰も教えてくれない。みんなバラバラなことを言う。


そこでピンときました。


「なるほど、、、誰もその答えを知らないんだな、、、」


ここまで学校制度が当たり前のように全国整備されていて、皆当たり前のように学校に通い、成績を伸ばさなきゃと競争し、成績が芳しくなければ学習塾にまで通って、結局毎日のほとんどを退屈な勉強という作業をやって過ごす。それでも、そこまでの時間と労力をかけて取り組んでいる勉強というものが一体何者なのかということを明確に理解している人がいない。それが事実。


人それぞれが考えて答えを出し取り組んでいる、と考えれば悪くない結論にも聞こえますが、私の解釈は違います。みんなが平等に「勉強しなさい」と言われる環境にあるにも関わらず、皆が共通認識として「勉強とは何か」「勉強をなぜするのか」「なぜ成績が良いことが重要なのか」の答えを持っていないことは問題ではないのか??ということなんです。国が国民に「勉強しなさい」と強制するなら、なぜそれが強制されるべきことなのかを説明して当然です。それが、何かを相手に強制する者の責任だし、その目的が明確でないのに行為だけを有無を言わさず強制するのは「教育」ではない。それは「支配」です。


「校則にこう書いてあるのだから、それは悪いことだ。」


それは教育ではなく支配です。校則がどうとかではなく、それがなぜ悪いことだと言えるのか、それを学生全員に強制的に守らせるだけの正当な理由があるなら、それを説明する義務がある。場合によってはその校則が有効なこともあるだろうが、それはあくまでもケースバイケースであって、全員に適用させるべきものではない。全員に絶対に守らせたいというルールならば、よっぽどの理由や目的があるのだろうし、それを説明して理解を求めれば済む。理解が得られないというのであれば話し合えばいい。それが民主主義です。そしてもしそれが説明できないなら、生徒にはそもそも自由に生きる権利があるのだから、それを束縛するのは法的には人権侵害に当たる。学校だけが聖域として国家の法的支配から免れるなんてことはあり得ません。何よりも学校が「教育」機関であるならば、支配ではなく「教育」を行うべきです。


それは学習塾だって同じです。何よりも勉強を優先する環境であるのは学校環境の踏襲。そこに「勉強に関係ないものは持ってきてはならない」とか「スマホ使用は禁ずる」といったルールがあるのは自由です。でもそれを守る義務は子供たちにはない。他者に迷惑を掛けるような行為が意識的に行われているのならば話は別ですが、勉強に関係のない漫画だって休憩時間に読む分には全く問題ないし、むしろ勉強なんかよりも漫画の方が大事なことを教えてくれるし、スマホは何より文明の利器、勉強に使わない手はないのに、未だにスマホを使うなという塾も多い。むしろその判断の方がナンセンスです。


色んな生き方があります。将来幸せになる道は無数にあるのです。そのうちの手段の一つが勉強であるということは認められても、その生き方の1つに過ぎない勉強を国家の事業として全国に整備し、強制的に学校に通わせて教育を行うと言うのなら、それをする理由や目的を共有しなければならない。でもそれが共有されていない。皆バラバラの理由、バラバラの目的で勉強している。だから意味を見出せず勉強の先に将来を描けない者は、勉強への興味を持てずに結果として成績を伸ばせない。だからいつまで経っても成績格差や学力格差はなくならない。こんな狭い日本の国土に5万教室を超える数の学習塾があっても、なおこの格差の問題は解決してこなかったのです。その問題の根幹がどこにあるのかは明白。


当初はこの記事を「後編」にするはずだったのに、なんだか白熱してしまって大学受験期にまで至れませんでした。そこが一番勉強攻略に至るドンピシャのエピソード満載なのに、高校時代から抱いていたモヤモヤがあまりに大きかったんで、そこをあえて書き出して共有してみました。


ただこの記事は、核心に迫る上で避けては通れない私の認識ですから、しっかりと読み込んでいただきたかった。これから起こる後編での勉強攻略に対する最も核となる発想は、この時期にあったモヤモヤによって生み出されていますので、後編をより深くご理解いただける内容だったと思います。


それでは、予想以上に長くなってしまいましたが、次回は後編でお会いしましょう^ ^

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