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愛情や友情や恋や理性


先日、中高一貫の級友たちに会った。当時、学校の人間関係は私にとっての社会だった。故にたいして親しくはなかったが、卒業して本物の社会に放り出されてからは、自分たちのアイデンティティを確かめ合うように会って距離を縮めてきた。
もしかしたらあわよくば恋愛のためでもあったのかもしれない。でもこれまで一度も誰とも関係性を恋愛に発展させることはなかった。

友達とは。
彼らは、男友達や女友達という概念は無いと言った。性が違うと友達にはなれないと言った。
たしかに、男友達/女友達なんて概念は無いと思う。でもそれは、友達は友達であって性別は関係ないからだ。男性だから友達になれない、とか、女性だから友達になれない、とか、そういうのは何か可能性が狭められてしまう気がして切ない。

私は彼らを男性/女性としてではなくて、人間として好きだ。だから一緒にいたら楽しいし、幸せであってほしいし、同じ時間を共有したいと思う。はなから性的対象として考えないし、考えてほしくないのが正直なところだ。

でも、皆が皆同じ考え方じゃないのが人間の面白くも難しいところで。いくら力説したところで、人間である以前に女は女であり男は男であると考えている人の意見をねじ曲げることはできないし、変えてしまえるほどの確固たる強さは私に無い。違う機能を持った生き物であることは間違いないわけだし。本人の自覚の問題は自由だけれど、物体として生殖のための役割が違うのだから、より本能的に生きている人はそう考えるのかもしれない。

ずっとそんなことを考え続けたくなかったし、人の意見も聞いてみたくて、職場のお姉さんに「愛情と友情の違いって何なんでしょう?」って聞いたら「同じなんじゃない」ってさらっと。
かっこよかった。そうですよね。広さや深さの違いですよね。
きっと、注ぐ愛情の量や時間の違い、なのかな。持てる情報や知識や経験に比例して決まるんだろうか。
いや、同じものだけど対象によって言葉が変わるだけなのかもしれない。
今の私はその答えを持ち合わせていない。
同級生になんか、ほとんど全員に愛情を持ってる。今までのバイト先や職場の人たちにだってそうだ。

友情や愛情が自分の中に確認できるのは幸せなのに、恋となるとどうしてもストッパーがかかる。
ずっと愛する一人が欲しかったのに。私はただ単に私の情欲を満たす恋人が欲しいのだろうか。
恋は冷めるもので、コミュニケーションではなく一方通行だってわかってるのに、何故囚われてしまいたくなるのだろうか。愚かで蔑みたいのに、いま眩しくてたまらないのか。

理屈じゃないんだろうな、とは思ってる。
でも、恋に落ちたたった一人を全力で愛したいって気持ちも捨てきれない。それにはやっぱり理性は必要だと思うし賢くありたいのに。

理性を捨てたい気持ちをどうやって消化したらいいのだろうか。一緒に居られない人に恋する癖、本当にどうにかならないかな。何故なんだろうな。不用意に傷つけられないからかな。臆病者だな。もしくは強欲すぎるのか。

まぁいいや。冷めるまで、せっかくだし楽しもう。

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