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わかる・分かる・解る・判る

学校のペーパーテストで満点をとっても,その内容が分かったとは言えないんじゃないかと考えます.自分自身,学生時代から試験で調べてわかる問題は嫌いでした.だから暗記系の科目は避けてきたし,覚えることは最低限にして,理論的に導き出して,応用や適応範囲が広い科目が大好きでした.

そんなことを考えていたときに「『わかる』ということは,まるっきり未知の問題にぶつかったときに,それを解くことができる能力である」という話を聞いて,なるほどと思いました.学校のテストの問題は解答が用意されています.つまり解ける問題が出されているわけです.講義として行う学生実験も同じ.事前に夏休みや冬休みに先生や大学院生が実験装置を組み立てて,理論的なデータがとれることを確認した上で,理論値と合わないときは微調整を繰り返しながら理論値を再現できるようにチューニングしています.

そんな中,日本の国公立の理系学部では最終学年で卒業研究を行います.この卒業研究,答えが出るとは限りません.答えが無いかもしれないのです.ここで,それまで既に存在している答えを導くことに秀でた,いわゆる優秀な学生がつまずくケースがみられます.

しかも工学部の場合ですと,理論的に答えが導くことが出来ない問題でも,答えを導かなければなりません.代表的な例として多体問題があります.太陽と地球との相互作用を厳密に計算することができます.地球と月との相互作用も厳密に計算することができます.しかし,太陽と地球と月の3つの天体のそれぞれの相互作用を考慮しつつ,それらの相互作用をあらゆる場合において厳密に計算することは出来ない,というものです.ガンダム好きな人ならよく知っておられるのラグランジュ・ポイントはこの多体問題の特殊解です.

こんなことを,先日の「試験にスマホを持ち込むことの是非」について,つらつら考えて思っていました.


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