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そっちがそれなりならこっちもnoteを始める
はじめまして。belleと申します。
大学を卒業して新卒で入った会社に勤めて早数年の20代です。
それなりに頑張って駒を進め社会人になり、それなりに周りと上手くやり、それなりに楽しく生きている「それなり人間」。
そんなわたしは、幼い頃から、自然とよく考え、それから行動するタイプだった。
考えてから行動するから、これといった大きな挫折もしたことがない。(できればこれからもしたくない)(誰かの目に留まるほどではない小さいのは星の数ほどある)
これが自称「それなり人間」の所以だと思っている。
だが、社会というのはいちいちそんなシンキングタイムを設けてはくれない。
~について発表できるように考えをまとめておいて!と言われた時には期日はもう明日だったりするのだ。
フィーリングで話せるほど器用な人間ではないし(それができたら一番良いのだろうが)、納得しきれないまま早々に結論も出したくない。
限られた時間の中でわたしは、文字にする。場合によっては紙に書きなぐる。
そんな、文字をたくさん詰め込んだたくさんの紙をむりやり食べ、むりやり消化させ、胃もたれをしているような感覚のまま、わたしは出した結論を発表する。
その結論はまたそれなりのものとして受け入れられるのだが、それも束の間大きな大きな社会の中ではすぐに忘れられ、過ぎ去る。
そういうもんだ。
世の中を生きるのに便利な結論への直行便「そういうもんだ」を使い、またわたしは挫折を回避しながらそれなりで生きる。
しかし、ふとした時に完全に消化されなかった文字たちが奥底でもやもやしている。これがとても気持ちが悪い。
この行き場をなくした文字、そこにある「感情」「感動」「結論への過程」を瞬間的に生み出し、忘れ去ってしまうというのは、全体で考えたらまだまだ序盤の人生、この先あまりに面白くないと思った。
そこで忘れないように、大切にしまっておく場にしようとnoteを始める。
いつかその中のどれかが新たなチャレンジのきっかけになってくれると信じながら。