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北の大地を旅して①~モントリオール留学記

 留学生活の折り返しである2ヶ月前から、色々あって大学のレジデンスに引っ越した。3階建てに15人の交換留学生が住む小さくて大きいおうち。

 その家の同居人を中心とした10人で、学期の中休みを使い、7日間のドライブ旅行をすることになった。行き先はニュー・ブランズウィック州、ノバスコシア州、そしてアメリカのメイン州を経由してモントリオールに帰還する。2つの国立公園でのハイキング、いくつかの街の散策が目玉である。

 アルバムに写真をひとつまたひとつと貼り付けるように、無数の思い出が幸せの香りをまとって漂うような、私が知ってるような旅が待っていると思っていた。
 でもこの旅は、私をことごとく動揺させて、疲れさせた。
 それはきっと、ここが北米大陸という慣れない地であることや、同居人の多くが自分と異なる文化圏の出身であること、彼らと普段とは比べものにならない密度で関わったことが関係している。

 これは旅行記であり、留学体験記であり、そこを超え出る部分を顧みれば、民族誌ですらあるのかもしれない。この1週間、自分がなにであり、なにでないのかが、予想だにしない形で浮かび上がることになった。


なにたべ

 まずは楽しくご飯の話とかしようと思う。「なにたべ」はこっちのバイト先での同僚がまかないの希望を聞くときに発する言葉で、お気に入りなので使ってみた。

 2年くらい前に旅行について書いたとき、こう締めくくった。

“それから他の皆さんも、ぜひ一緒にこんど旅行に行きましょう。こんなこと書いていながら、いざ旅行先につくと地元の美味しいごはんと地酒にきゃいきゃい言っているだけかもしれませんが、悪しからず。”

わたし(2021) 『旅行するということ』

 旅行の質って、なにたべたかにかなり依るよなって思っている。ぱっと思うところだと福岡とか大阪とかが代表的だけれども、日本では基本どこでも行く先々のご飯屋さんが本当に美味しい。○○県と言えば?みたいな食べ物や食文化が必ずあって、それを楽しめるお店がたくさんある。お土産も豊富。

 ということに気づいたのは、この北米旅ではそういうことがほぼ無かったから。どこにでもありそうなピザ屋さんとか、タイ料理屋さんとかギリシャ料理屋さんとかに入った。1回だけ、ご当地食べ物としてハリファックスという都市のいいレストランでロブスターを食べた。美味しかった。あと、めっちゃティムホートンズに寄った。北米を牛耳るドーナツ屋さんで、いくつドーナツ食べたか覚えていない。

 それ以外の食事は、自分たちで買い物したもので済ませた。朝昼はほとんど、トーストかサンドイッチ。トーストには、共用のマーガリン、ジャム、ヌテラを組み合わせる。みんなで作るサンドイッチには、いつもハムとチーズとマスタード、ときどきほうれん草とレタス。飽きるわけじゃないけど旅行に来ているのに・・・という気持ちは正直大きかった。
 夜はその日の料理担当が作ることが多くて、バーベキュー(なんかごついグリルでソーセージとハンバーグを焼いてやはり大量にあるパンに挟むというもの)、ボロネーゼ、カレーなどをみんなで食べた。旅行に(以下略)。

 でも、昨日モントリオール住みの友人と旅行の話をしたとき、第一声が「で、あなたはなにか料理したの?」だった。「みんなで何か作って食べるのが、大人数で旅行に行って大きな家に泊まる醍醐味だよね。学生の頃を思い出すな。」と言われた。なるほど、前提が違うんだと気づいた。

 日本での旅行に慣れた身としては、「この旅は、新鮮味のある食体験の豊かさを欠いた」と言える。でも、それにはいろんな軸の違いが絡んでいる。 
 一つには、北米のご当地食べ物のバラエティが乏しいのは確かにあると思う。欧米的な料理法が浸透しているし、食材もどこのスーパーに行っても画一化している。そう思うと日本が不思議に思える。スケール感もあるよね。日本は小さいけど長くて気候がばらける。歴史も関係していそう。
 そもそも外食の概念がずれているみたいなところもある。みんな家で食べるし、外食と言えば、いわゆるな感じの「エスニック料理」か、ファストフードないしそれのちょっといいバージョンか、めっちゃいいレストランかみたいな。
 だからこそ、宿泊先で大料理大会をするし、それが「楽しみ」になるんやね。家でもできるやんって思うし正直物足りないけど、これが「ほんまもん」の体験なのが面白かったよという話でした。ごちそうさまでした。
 

一応、次に続きます。


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