岩田靖夫『いま哲学とはなにか』(岩波新書、2008年)を読んで。

 本書は著者の仕事の集大成と言える本であり、著者が具体的に数々の哲学書を読み解いて見出したものを惜しげもなく提示する渾身の書である。哲学入門の体裁を取りながらも、著者の長年の研究を経て見出された読解のエッセンスが書き記されている贅沢な本なのである。哲学の根本問題をいま私たちが如何に受け留めることができるかを問う本書は、時を経ても変わることのない哲学の姿を如実に伝えてくれる一冊である。刊行年からもわかるように東日本大震災の前に書かれた本でありながら、本書において問いかけられている生きることへの問いは全く古びていない。
 第一章の「人はいかに生きるべきか」はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』における幸福論と友愛論を取り上げている。第二章の「人はいかなる共同体をつくるべきか」はプラトンの『国家』とアリストテレスの『政治学』を読み解いている。第三章の「究極根拠への問い」はハイデガーの『存在と時間』と後期思想を導きとして存在への問いを取り上げる。第四章の「他者という謎」においてはレヴィナスの生涯にわたる思考からその他者論を明らかにするものである。そして最終章の「差別と戦争と復讐のかなたへ」はロールズを起点に現代における正義論の可能性を検討するものである。
 著者の研究書はそれぞれにその分野で第一級の位置を占めるものであり、それらの研究書によって読み解かれた著作群のエッセンスが提示されているものが本書と言える。中でも印象的なのはギリシア語のアレテーについての説明をすることなくギリシア的な徳と幸福観をこれ以上にないであろう仕方で提示していることである。本書を読み解くことを通して自然と読者は『ニコマコス倫理学』の大事な部分の理解が与えられてしまうのである。そしてハイデガー論においてはハイデガーと同じ地平に立ち、その問題を引き受けながらヘルダーリンを読み解く箇所は強烈な印象を残す。そして何より本書を特徴づけるのは第四章のレヴィナス論である。それまでに書かれたレヴィナス論の集大成と言えるレヴィナス読解が本書において提示されているのである。本書を通して読者は、古代哲学から現代哲学の本質部分について足を踏み入れることになる。しかしその記述は哲学についての理解を前提とすることなく平易な叙述で貫かれており、哲学入門でありかつ、哲学に既に馴染みにある読者にとっても省察に富んだ内容を蔵しているのである。
 本書は著者の著作群の中でもっとも開かれたもっとも平易な本でありかつそれまでの研究に基づいた著者の省察を凝縮させた稀有な一冊と言える。カントやデカルトについては少し唐突に感じられる箇所もなくはないものの、絶えず問いかけながら進んでいく本書の叙述は著者が読み解いてきた古典的著作のエッセンスを提示するものであり、類まれな哲学入門であり、原典を通した哲学史入門と言えよう。哲学に興味を持つ人、哲学をすでに学んでいる人、生きることの意味を問いかけたことのある人に強く薦めたい一冊である。

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