納富信留『プラトンが語る正義と国家』(ビジネス社、2024年)を読んで。
プラトンの主著は『国家』である。そう繰り返し語られてきた。しかしその著作に向き合う読者を案内する本というのは、内山勝利氏の『プラトン『国家』 逆説のユートピア』(書物誕生)を除いて今までなかったように思う。さまざまな概説書を通して、プラトンの『国家』にどれだけ重要な思想が蔵されているかということが分かったとしても、そこからプラトンその人の著作に向き合おうとする読者はそこに見えざる壁を感じたこともあるのではないだろうか。すでにプラトンの著作に親しんだ読者にとって、プラトンの『国家』は汲み尽くしえぬ魅力を湛えた著作に違いない。しかしまだその魅力を掴んでいない読者にとって本書『プラトンが語る正義と国家』はうってつけの案内となるであろう。
本書はテンミニッツ講義という講義で話された話が元になっているため、一つの講義が10分ほどで読める内容になっている。16の講義からなる本書は160分ほどで読み切ることができるであろう。プラトン著作の中でも『法律』に次いで長い『国家』は本書でも書かれているように容易に読み通せる著作ではない。さまざまなミュートス(物語)が織りなす長大な著作を解きほぐしていくのが本書の特徴といえる。プラトンの『国家』にはプラトン哲学のすべてが盛り込まれており、平明な物語の叙述とは裏腹にそれに対する賛否両論を含め様々に読まれてきた。この著作についてどのように語られたのかをも含めた本書の叙述はその後プラトン研究を紐解く読者にとっても、一切の脚注も参考文献もないにもかかわらず、確かな手掛かりを与えてくれるものであろう。
本書は今まで期待されていたにもかかわらずなかなか出ることのなかった、『国家』で扱われる物語をほぼ全編にわたって丁寧に紹介する読解本である。もちろんプラトンその人の著作に触れることがなければ楽しめないであろう醍醐味はそれぞれの読者が実際に取り組むときのために取っておいては置かれているものの、プラトンの主著たる『国家』で扱われる物語の一つひとつがその全体の中でどのような意味を持っているのかを明らかにしてくれる。著者がなぜプラトンの主著を「国家」ではなく「ポリテイア」という呼び方をしているのかは別の著作『プラトン 理想国の現在』に詳述されているのだが、本書においてもそのことは語られている。
本書で印象的なのは物語の一つひとつに込められた仕掛けを解きほぐしていくことにある。プラトンがなぜこの長大な対話篇の場面設定をペイライエウスにしたのか、その語られた「時」、そして対話相手のそれぞれについての生き生きとした描写は、プラトンその人の語りの鮮やかさはさることながら、この「ポリテイア」という著作を読むことの愉しみを読者に余すことなく伝えてくれる。著者の『哲学の誕生』(『哲学者の誕生』の新版)で印象的に描かれるアルキビアデスとの関わりも本書には盛り込まれており、プラトンがポリテイアという著作をいつどのような意図で、どんな意味合いを込めて書き記したのかを鮮やかに描き出す本書は、著者の他の著作のエッセンスを凝縮しながらもすべての人に開かれた語り口でプラトン哲学の核心へと読者を案内してくれる。
人類の古典と呼ばれる著作には、その書がたとえ2000年以上前に書かれたものであるにも関わらず読者をドキッとさせるような言葉が記されていることが多々ある。プラトンの『国家』もそのような著作の一つであり、本書は私たちがなぜ今読むべき本であるのかを明らかにしている。プラトンに馴染みのある人にもそうでない人にも、すべての人にお勧めしたい一冊である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?