新年会での違和感

戸田真琴さんの著「あなたの孤独は美しい」を一先ず巻末まで読み終えて、先日の会社の飲み会で感じた違和感を思い出しました。

それは、私が今いる会社に入りたてのころに、その当時の女性マネージャーが仕事に対して大変厳しく、パワハラまがいの言動が怖かったという話になった時のことです。
おそらく誰かから人づてに聞いたのでしょう、その当時を知っている女性が、
「(私)さんだって、入ってすぐに、こんなところでは仕事できませんって言ったんですよね」
当時、私がつらくあたるマネージャーと接するなかで、パニックになり、その場で実際に取った行動のことを話題に出しました。
その話題を出されることはどうでもよくて、はす向かいに座っていた、その当時を知らない、同じチームの男性派遣社員が、なぜ、そんな環境だったのに辞めなかったとかと私に質問してきました。
その当時、派遣元の担当者が親身に説得してくれて、「最終的には自分で判断して」と言われて考えを改めたことを告げました。
その次の瞬間、質問した男性が、
「えっ、付き合ってたの?」
と返してきたのです。

当時の私の担当者は男性でした。
年はおそらく40台後半くらいの、メタボでお腹がぽっこり出ているような、”おじさん”でした。
でも、どことなく清潔感があって、フランクな接し方に好感を持っていたのは確かだし、発作的に「辞める」といってしまったあと、仕事終わり、自宅についたころに社用携帯から電話をかけてきてくれて、お説教のような、それでいて愛のある示唆を、とくとく1時間かけて対話してくれたことは、きっと単なる派遣の担当者のやる範疇を超えた行動だったのかもしれないです。
私は恩義を感じ、心の中で愛情ともつかない感情が湧いたのを自覚していました。
それから、今の会社に残ることになり、数日してから、同じように夜9時近くに一度電話をくれたときがありました。
「ちゃんと仕事ができているのか、やってけそうか」といった確認の電話だったと記憶しています。

それから半年ほどで担当が別の人に代わってしまうまで、その男性担当者が派遣先との打ち合わせで来訪したついでに、タイムシートを渡しに顔を合わせる際は、なんとも言えない高揚感を感じたのを覚えています。

ただ、私はその愛情のような感情を、
すぐ「付き合ってる」だとか、「好きなんだ、異性としてみてるんだ」といった、単純な発想に結びつけてほしくありません。

人生において、少しの間すれ違った人に過ぎないこと。
でも、その人でなかったら、今の私は存在しないこと。

これが確かなことです。

だからこそ、もう一度言います。
付き合う・付き合わない、といった二択で片づける感情ではないのです。

私はその飲み会では、「じゃあ付き合ってたのかもしれないです」をとりあえずの返答を返し、終わりにしました。
その飲み会で、今書いてるようなことを言ったら、きっと場の空気を乱していたでしょう。
そもその会社経費で開いた新年会ですから、社会人として、大人としての仮面をしっかり付けて、取り留めのない会話に終始するが正解です。
こういった場には、それなりの相応しい立ち居振る舞いがあるのは知っています。
けど、私が今見出したい、この手に実感したい”ありかた”との乖離に心が乱れているのも確かです。

戸田さんの本では、それぞれにとっての普通、それぞれとっての愛し方について、丁寧に言葉を重ねて肯定してくれています。

私の、あの時のあの愛情のような感情をも肯定してもらえた気がして、すこし心か軽くなった気がしたのです。

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