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子哭き寺④

散歩者

「痛いっ・・」

 混沌こんとんとした意識の中にすずめたちの甲高い声が鼓膜こまくを揺らして、意識を覚まさせる。私は、うっすらと目を開けた。天には明るい朝日が見える。どうやら、あの青い目玉はいなくなったようだ。

 私は安堵あんどした。しかし、覚醒した私の後頭部に激痛が走る。

「痛っ!」

思わず、後頭部に手をやると、血は出ていないようだが二センチほどのコブが出来ているようだった。

「それにしても、ここ、何処だろう?」

 私は辺りを見回した。ちょうど、昨日、畳が裂けた真下の地面を更に掘り下げたような穴が開いているようだった。そこには大量のわらが敷いてあり、そのお陰で、私はこの程度の怪我で済んだようだ。

「この高さで死なずに済んだのは、良かったけど・・。あの女は一体?」

 私はゆっくりと立ち上がる。穴の深さは私の背丈より五十センチほど高いようだ。

「さて、どうやって上がろうか・・」

私は辺りを見渡し、敷き詰められた藁をかき集めた。

「これをこうして・・」

藁を一か所に集めて積み上げる。案外高さを作ることに成功した。

「よいしょ、よいしょ」

私は藁を踏み台にして、穴の中から這い上がった。

「痛っ!」

 その振動で、後頭部に痛みが響く。それにしても、屋根が崩れ落ちた寺務所は無残なものだった。屋根瓦が散乱し、はりとともに土壁崩れ落ちて跡形も無くなっている。こんな惨状でも私は生き伸びれたのだから、私は運がいいのだろう。
 
 寺務所の外で雀が戯れる声が聞こえてくる。私はゆっくりと破片を避けながら、寺務所の外へと出た。辺りは朝の靄(もや)に覆われ、竹の清々しい香りが漂っている。夏の朝日が心地よい風と共にあった。私は思い切り深呼吸をした。空に浮かんだ雲がゆっくりと流れていく。

 と、その時だった。寺の門をくぐり、石畳を歩いてくる老齢の男性が見える。頭に麦わら帽子を被り、首から白い手ぬぐいを下げ、こちらへ歩いてきた。しかし、寺務所の惨状に気づいたのだろう、勢いよく走ってきた。

「ど、ど、どうしたんじゃ!これは!」

老齢の男性は麦わら帽子を投げ捨て、目を丸くして寺務所を見つめた。埃と藁まみれになり、外で立っている私を見つけると

「あんた!どうしたんじゃね!こりゃぁ!」

咄嗟の事で私はどう話していいか分からず

「それが・・。信じて貰えないかもしれないですが、夜、肝試しをしていて、ここまで登ってきたら、急に青い目玉が飛んで来て、私、必死で逃げて・・。ここに隠れたら・・うぅぅっ・・」

 私は膝ががくがくと震えだし、いつの間にか涙を流していた。

「そ、そうか・・。青い目玉が・・」

 老齢の男性は、それ以上何も言わず、私が嗚咽おえつする姿を見守ってくれた。

 しばらくして、私は嗚咽が収まり、少しだけ落ち着いてきた。そのころ合いを見計らって、老齢の男性が話掛けてくる。

「お嬢さん。大丈夫かね?埃まみれじゃないかね」

と言って、私の肩の埃や藁を祓ってくれた。私も自分で祓い落としながら

「ええ、大丈夫です。お陰様で何とか落ち着きました。あのお寺の方ですか?」

「いや、ワシは田辺いうもんじゃが、毎朝、この山を散歩しとるだけじゃよ」

「ああ、そうですか。あの大切なお寺を壊してすみません」

と、私は頭を下げた。しかし、田辺は笑いながら

「はははっ・・。まあ、誰も管理してないし、朽ち果ててたから、いずれ、こうなる運命だったんじゃよ。それにしても、昨日は肝試しをしていたそうじゃなぁ?」

私は何処となく後ろめたさに、言葉に詰まりかけたが

「ええ、友達三人と私の四人でこの周防山に来ました」

田辺は眼を丸くして

「何っ?じゃあ、友達三人は、今、この寺務所の中におるのかね?」

と尋ねた。私は大きく左右に頭を振り

「いいえ、いません。三人とも周防山の駐車場で待っているはずなんですが、赤い車に乗っているのをみかけませんでしたか?」

「下の駐車場?いや、下の駐車場には誰もおらんかったがなぁ」

と田辺は首を傾げる。

「そんなバカな!私たち約束したんです!駐車場で待っているって!」

私は声を荒げた。田辺は驚いた表情を見せたが、眉間にしわを寄せ

「そりゃ、おかしいのぅ。ワシはさっき駐車場を通ってきたけんど、赤い車も他の人間も見かけなんだけどなぁ」

私は愕然とした。景子たちは私を置いて逃げたのだ。

「そんなの信じられない!そんなことって・・」

私は頭を抱え込んでしゃがんだ。そんな私を見て

「ああ、そう言えば・・」

と、田辺は何か思い出したようで

「駐車場で、こんなものを拾ったで」

 と、私にクシャクシャになった白い封筒を差し出した。その封筒には宛名も差出人も書いておらず、中には不思議な図形が書いてある紙が一枚入っているだけだった。私は田辺に

「これだけですか?」

「ああ、これだけじゃ。まあ、昔、こんな図形の話があった気がするがのぅ」

私は何故だかドキッとした。私も何処かで見たような気がしたからだ。

「ど、何処で見たんですか?」

「んっー。確か、十五年前の事件の時だったような気がするのぅ。その時も何やら肝試しをしてたそうじゃがのぅ」

それを聞いて、私の背筋に冷たいものが走った。それは何処かで聞いた記憶の片隅にあった言葉。

 (明美ちゃんが死んだ。山の中で見つかった。肝試しに行って死んだ。変なまじないの所為で・・)

「それは、一体どういう事件だったんですか?」

私は身を乗り出して訊ねた。しかし、田辺は一瞬、戸惑いの色を見せた。何か話したくないことなのだろう。私は

「どうしても知りたいんです!」

と必死になって訊ねる。田辺は深いため息をつくと、ポツリポツリ話し始めた。

「そうじゃのう。ありゃぁ、今から十五年前の暑い日の事じゃった。当時十六歳じゃったかのう。高校生のおなごが、肝試しをしていて、この山で行方不明になってのう。そりゃみんなで探した。肝試しから三日後じゃったか。寺務所の脇にあった井戸の中で死んでいたのを発見したんじゃ」

「井戸の中で?」

「ああ、そう。あそこじゃ」

田辺の指さす場所はちょうど、私が出てきたところだった。

「あそこは井戸だったんですか?」

「そうじゃ。あの事件の後にゲンが悪いって埋め立てて、母屋を増築したんじゃがのう」

(そうだったんだ。あそこが井戸だったから私は助かったんだ)

「それで、その娘は見つかって、何か分かったんですか?」

「ああ、まあ、警察の調べでは、事故死ってことになっておるがのう・・」

田辺の話はどうも歯切れが悪くなっている。何か隠しているのだろうか。おそらく、それ以上聞けることはないだろうと考え、私は違う方向にアプローチを変える。

「それで、その時、この図形は何処かにあったっていうんですか?」

「ワシが聞いたのは、その図形を描いた紙は近くの田園に捨てられていたと聞いておる。ただ、どんなものかはワシも知らんので、これと同じか分からんが・・」

私は落胆した。この図形はなにを意味するものなのだろう。田辺は何かしら知っているのかもしれない。いや、青い目玉の話をした時に、田辺は不可解に思わなかったのだろうか。もしかしたら・・

「あの、田辺さん。先ほど話した青い目玉について、何かご存じですか?」

田辺は鳩が豆鉄砲を食らったように顔色を変えた。年輪の刻まれた顔に動揺の色がうかがえる。

「いや・・その・・」

私は畳み掛ける。

「お願いです!教えてください!どうして私が青い目玉に襲われたのか知りたいんです!」

私は懇願した。田辺は困惑の色を見せながら

「そうじゃのう。まあ、あんたが青い目玉を見たんじゃったら、話しても良いかのう。江戸時代の事じゃ。この周防寺というのは元々、尼寺じゃった。ところが世の中には悪いやつがおってのう。尼しかいないこの寺を襲ったやつらがおったそうじゃ。尼たちは凌辱の限りを尽くされ、最後は眼をくり抜かれ、殺されたそうじゃ。その時に生まれた赤子は井戸に投げ捨てられ、夜な夜な泣くと言われておる。以来、周防寺の事をワシらの中では”子哭き寺”と呼ぶようになったんじゃ」

それを聞いて私は身震いした。十五年前の事件だけではなく、もっと前にそんな事件があったなんて・・。

「それからじゃな。青白い目玉やら女の幽霊やらが現れ出したのは。ただ、人を襲うというのは聞いた事がないが・・」

 田辺は首を傾げていた。私は戦慄を覚えていた。私を襲った理由は他に理由があるんじゃないかと思ったからだ。

 と、そんな話をしていると、遠くから救急車のサイレン音が聞こえてきた。田辺が不意に東の空を見上げると

「ああ、そう言えば、今日、大きな事故しとったなぁ」

「大きな事故ですか?」

「ああ、今日の三時ぐらいやったが、車、一台に三人の若い女が乗っていたそうじゃが全員即死だったそうじゃ」

「えっ!そんな事故が?」

私はスマホを取り出して、ネットニュースを調べた。確かに、この周防山付近で事故のニュースが出てきた。

”本日 午前三時頃、女性三人の乗った赤い車がガードレールを突き破り、大破、炎上した。国道二車線の見通しの良い直線道路で・・”

と書いてあった。田辺が続ける。

「まあ、ワシもテレビで少し見ただけじゃけど、この山の南側に山路谷っちゅう、渓谷があるんじゃが、その渓谷から乗用車が転落したとか言っとったなぁ」

 私の脳裏に景子たちが浮かんできた。来る途中に渓谷があったが、あそこではないか。私がこの山を登り始めたのは二時前後、景子からメールが届いたのは二時半近くだ。逃げ帰ったとすれば、三時になったのだろうか。私を置いて逃げた罰じゃないのか。私の中で様々な感情が混沌としていると田辺が

「まあ、そろそろ降りるかね」

と、促してきた。私は小さく頷き、田辺の後を付いて山を下りることにした。

 山道を下りながら、明るい夏の朝日の中、夏の風に竹藪の笹の葉が揺られている。少しずつ暑さを取り戻してきた周防山から離れ、私は元の世界へと戻る。それが、今の私にできることだった。

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