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子哭き寺⑤ FINAL

真相



 私は現実の世界へと引き戻された。やがて夏休みが終わり、新学期の始まりを迎えるだろう。

 あの日の朝、周防山を下山した私は田辺が車で最寄りの駅まで送ってくれるというのでお願いすることになった。

 白い軽貨物車の助手席に座り、頭から埃やら藁を被り、ボロ雑巾のような私はあまりの惨めさに心が折れかけていた。一日で色々なことに遭遇し、泣きそうになるのを堪えるのがいっぱいだった。

 車中、私は両親に迎えに来てもらうように電話した。昨日の出来事をポツリポツリと話しながら、涙をこらえ、事実だけをつまんで話した。田辺が横で相槌あいづちを打っていた。電話を切り、深いため息をついた。

 そんな私の心中を察してか、田辺は道すがら、

「ああ、寺務所の崩壊の件はのう、ワシから村の消防団と警察に連絡しておくから心配せんでええからね。のう?」

と、優しく言ってくれた。私は小さく頷くしかない。田辺は続けて

「まあ、あげなボロ寺は壊れかけていたんじゃから、あんたは気にせんでええからな」

と笑いながら言っていたが、そもそも私たちが肝試しをしたために倒壊したわけで、重苦しい引け目を感じていた。

 私は車窓から朝日に彩られた田園風景を眺めながら、ぼんやりと景子たちのことを考えていた。

 何故、私を置いて景子たちは逃げたのだろうか。私が一体、何をしたというのだろうか。色々と思案をしてみたが、景子たちに恨みを買う覚えが見つからなかった。

 親友に裏切られ、深い悲しみと不安が私の中に渦を巻いて流れていく。私はスマホを取り出し、ニュースを検索してみた。あの事故の詳細が載っていた。

"早朝三時十分頃、山路谷の急なカーブが続く道路で、赤い軽ワゴン車がガードレールを突き破り、谷へ転落した。車は大破し、炎上した。乗っていたのは、いずれも十代から二十代の女性三名と見られる。女性たちは車がガードレールに衝突したはずみで車外に投げ出されたとみられ、いずれも心肺停止が確認された。現在、緊急搬送され、集中治療を受けている。目撃者はおらず、運転していた女性がカーブを曲がり切れず、転落したものと思われる”

「景子・・」

 この事故が景子たちである、と断定できる情報はない。しかし、私は景子たちではないかと身震いした。それは直感なのだろうか。この時の私には知る由もなかった。

 私たちは沈黙のまま、最寄りの駅に着いた。田辺が笑顔で

「嬢ちゃん、着いたで。ここでええんか?」

 と駅を指した。私は

「ええ、田辺さん、送って頂き、有難うございました。では、ここで」

と車を降りると、深々と頭を下げた。田辺は笑顔を見せて

「まあ、気をつけてな」

と言って走り去っていた。
 
 寂れた無人駅の看板だけがひっそりと夏の風に揺られていた。誰もいない早朝の駅。壊れかけた木のベンチに腰を下ろした。全身の疲れがドッと押し寄せる。目の前には、青々とした山々に朝日を浴びた田園風景が広がり、夏の風が芽吹いたばかりの青い稲穂を揺らしていた。

 何時しか私は涙を流していた。それは安堵なのだろうか、それとも裏切りによる怒りなのだか分からなかった。つくづく日々の日常の大切さを感じる瞬間だった。
 
 涙に濡れた瞳から遠くに霞がかった青空を見つめる。陽が昇り始め、セミの鳴き声が辺りに響き、夏の暑さが戻ってきた。
 
 やがて、八時になり、両親と半日ぶりに再会する。母と抱き合い、車に乗り込んだ。私たちは無言のまま、自宅へと向かった。両親は私の気持ちを察してくれたのだろう。私は車の中で安堵し、いつの間にか睡魔が襲ってきた。

 帰宅したのは十時過ぎだった。私は急いでシャワーを浴び、着替えると、ベッドに倒れ込んだ。フカフカのベットがこれほど恋しかったことはなかった。それから母に起こされるまで私は熟睡していた。

 それは十五時半ぐらいだった。私の部屋のドアをノックする音が聞こえた。私は夢うつつで朦朧もうろうとしながら目を覚ました。

「裕美。起きてる?ちょっと下に降りてきて」
 
 母の甲高い声が聞こえた。

「な~に~?」

 私は寝ぼけまなここする。

「警察の人が話を聞きたいんだって」

 警察と聞いて私はドキッとした。私が寺務所を壊したことではないのか。一気に冷や汗が湧いてくる。私は一息飲み込むと

「わ、分かった。今、行く」

 そう言って、慌てて私服に着替えた。心拍数が急に高まり、喉が渇いていく。私はゆっくりと一階へと下りていくと、玄関には制服を着た警察官が二名立っていた。

 一人は男性警察官で三十代前半ぐらいだろうか。中肉中背のこざっぱりとした警察官だった。もう一人は背の高いやせ型の二十代ぐらいの女性警察官が背筋を伸ばして立っている。私の心臓が高鳴り、呼気が喉に上がってきて胸を詰まらせる。と、女性警察官が口火を切る。

「間嶋 裕美さんですね?」

真顔で話しかけてきた。私が小さく頷くと男性警察官が

「昨日の山路谷で起きた事故の事で聞きたいのですが、よろしいですか?」

「えっ?昨日の事故ですか?」

私は少し安堵した。寺務所倒壊の話ではなかったのだ。男性警察官は

「ええ、昨日、山路谷で車が転落した事故の件で伺いました。昨日、あなたは唐田とうだ 景子けいこさんと一緒に出掛けられたと唐田さんのご両親に伺ったのですが、間違いないでしょうか?」

私は大きく頷き

「ええ、間違いありません。昨日、景子と他の二人の友人と出掛けました」

「そうですか、そのあたりを詳しく伺いたいのですが」

 女性警察官が手帳を取り出し、メモを取り始める。私は昨日、景子たちと周防山に肝試しに行ったこと。私だけが、周防寺に行かされ、寺は倒壊したこと。田辺という老人に会って、山を下り、駅まで送って貰った事を身振り手振りをしながら話した。ただ、あの目の黒い少女と青白い目玉の話をするのは非科学的だと思い、止めておいた。

 警察官たちは時折、うなづきながら、私の話を真剣な眼差しで聞いてくれた。私の話が終わったのを見計らったかのように女性警察官が真剣な眼差しで

「そうですか・・。つまり、景子さんたちは、あなただけをあの山へ置き去りにしたということなんですね。なるほど・・」

と言って、手帳にメモをしながら、時折、宙を描くように視線を動かし、何かを考えているようだった。私はその姿を不思議な気持ちで見守っていた。と、男性警察官が意を決したのか

「ああ、ちょっと・・」

そう言って、ポケットに手を入れて白い紙を取り出した。

「間嶋さん。これ、唐田 景子さんの両親から預かったんですが、見て貰えますか?」

「えっ?」

 私がその白い紙を広げてみると、そこには景子の自筆で書かれた文章と図形が描いてあった。その図形は、あの山で田辺が拾った紙の図形と同様のものに見える。しかし、書き殴られた文章を読んだ刹那、私の背筋に氷を入れられたかのように両肩が震えた。そこには

”裕美。あんたが許せない!私の憧れだった和田くんとアンタが付き合うなんて最低!絶対に許せない!お前を子哭き寺で同じ目に合わせてやる!昔、殺されたあの女みたいに・・”

 私は息を飲んだ。景子も和田くんが好きだったのだ。私は愕然として立ち尽くした。男性警察官が

「どうやら、景子さんは、あなたを恨んでいたような節があるんですが、心当たりはありませんか?」

と聞いてきた。私はドキッとして

「ええ、まあ、景子の言う通り、この夏に和田くんっていうクラスの男の子と付き合うことになったのは事実です。でも、景子に話したら、喜んでくれたんですよ。なのに・・そんなこと・・」

 私はうつむき泣きそうになった。そんなことで、景子に裏切られ、あの山に置き去りにされたのかと思うと、悲しくなってきたからだ。私が口ごもったので、女性警察官が横から

「あなたが悪いわけじゃないのよ。友達っていうのは、同じ立場じゃないと嫉妬したりして、なかなかうまくいかないものだからね。特に学生時代はよくあることだから」

そう、私の肩を軽く叩きながら慰めてくれた。隣の男性警察官も頷き

「まあ、若い時は色々と感情が変わるからね。あと、間嶋さん、この図形見たことはないですか?」

と訊ねてきた。私は図形を見ながら

「その図形は、あの山で出会った田辺さんが同じような図形が描かれた紙を駐車場で拾ったと言って見せてくれました」

と、肩を震わせた。女性警察官は必死でメモを取る。男性警察官が

「なるほど、田辺さんが拾った紙で見たんですね」

「ええ、そうです。それが何か?」

男性警察官は少し考えて

「この図形はネットで調べてみたんだけど、黄泉の国の護符っていうらしい」

「黄泉の国の護符?!」

「そうなんだよ。この護符は呪う相手を黄泉の国へ引きり込むっていうものらしい」

私は絶句した。そんなものが、この世の中にあるのか。男性警察官が続ける。

「まあ、警察としては、そんな迷信めいたものに証拠能力があるとは思えないんだけど、唐田 景子さんたちの死が不可解でね」

「えっ?!景子たちは亡くなったんですか?」

「ええ、残念ながら今朝、死亡が確認されました。ただ、全員、車がガードレールに衝突する前に窓ガラスから放り出されて亡くなっていたんですよ」

 私は二の句が継げなくなった。やはり景子たちは亡くなっていたのだ。私の死を祈っていたはずなのに自らが死を迎えた。男性警察官が続ける。

「しかも、三人とも、この護符を握りしめてね。何故、握っていたんですかね?」

 不思議そうに首を傾げた。私は思い出していた。あの肝試しの順番を決めるクジ引きだ。もしかしたら、景子は全てのクジに護符を描いていたのではないか。そして、その護符によって、景子たちは死を迎えた。そう考えると合点がいく。しかし、死の直前、何故握っていたのだろうか。と、その時だった。

”うふふっ・・”

甲高い女性の笑い声が聞こえた。私は振り返る。そこに誰もいない。警察官たちは首をかしげた。私は辺りの様子をうかがう。

”うふふっ・・”

(まただ。)

 私はその音の在り処を探そうと辺りを見回した。すると、スマホが振動するではないか。急いで立ち上げると、またメールが一通届いていた。差出人に名前が無い。私は息を飲んで開いた。

『私だよ。明美だよ。この世から消された私。皆から仲間はずれにされた私。私も昔ね、この寺に一人で放り出されたの。そして、あの世へ引き摺られたの。あの三人も黄泉の国へ引き摺られていったわ。自らの呪いとともに』

 私は、いつしか、目頭から熱いものがこみ上げてくるのを抑えられなくなっていた。そして、思い出したのだ。私が三歳の頃、私より十五歳離れた従妹の間嶋ましま 明美あけみちゃんが山で遭難し、遺体で発見された事実を。

それは、あの周防山で起こった出来事だったのだ。私の遠い過去の記憶が呼び覚まされ、ただ従妹を偲んで、むせび泣いたのであった。


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